第五色 ③

 「うーむ、恐らく捻挫ねんざだな。まあ、最低でも二週間は安静にすることだ」

 五十代後半と思われる医師が七両しちりょうにそう告げた。

 「二週間もか?」

 七両は驚きを隠せず、目を見開いて医師を見る。

 「お前、足を痛めているのにどうやって絵を描くつもりだ? 早く治すには安静が一番なんだぞ」

 そう注意してから、棚の中に保管されていた包帯を取ると、彼の足首に巻き付けてゆく。

 「何日か前に山吹やまぶきから聞いたが、ニンゲンの子供の世話をしているそうだな?」

 「ああ」

 「聞いた時は何かの間違いかと思った。お前が子供の面倒を見るとはな」

 「他の奴らからもよく言われるよ」

 「山吹の話では、生意気なところがなくて素直な子だということだった。ただ、疑うことを知らないふしがあると」

 「山吹の言う通りかもな」

 「それから」

 医師は手を止めると、顔を上げてから、

 「紫紺しこんに会ったと聞いた」

 その目には心配とも緊張ともつかない色が滲んでいる。

 七両の脳裏に以前の出来事が蘇る。

 浅葱あさぎに肩を掴まれた山吹の姿や、表情を強張らせた常磐ときわの姿、尻餅をついていた琥珀の姿が七両の頭の中で駆け巡る。

 そして、琥珀に忌々いまいまし気な視線を向けていた紫紺の姿。

 一体、琥珀をどうするつもりだったのか――?

 七両は眉間にシワを寄せた。顔を伏せたまま低い声で医師に尋ねる。

 「あいつには釘を刺しておいた。それで、ここにも来たのか?」

 「いや、ここに来たことはない。ただ、私の知り合いがな、自分の元に来たと言っていた。えらく傷だらけだったそうだ」

 「へぇ」

 笑みを浮かべてそう答える。

 「七両、今回もそうだがあまり無茶をするな。子供の世話をしているなら尚更だ」

 「ああ」

 「お前は釘を刺したと言ったが、また何があるか分からない。今後も用心した方がいい」

 真剣な顔で七両に言い聞かせる。

 彼は返事をする代わりに、再び小さく笑みを浮かべた。


 ※※※


 かすみ三画さんかくのとある道を歩いていると、前方から悲鳴が聞こえた。

 急いで駆け付けると、ちょうど男が逃げていくのが見えた。

 黒の甚平を着た背の高い瘦せ型の男。頭には顔を見られないようにするためか、甚平と同じ黒い風呂敷を被っている。

 「何があった?」

 霞が悲鳴を上げた女性に尋ねると、

 「あの、先程買ったを取られてしまって……」

 青ざめた顔をこちらに向けている。 

 「取られた色は何色だ?」

 「若草色です」

 「分かった。あの男は必ず捕まえる」

 それだけ伝えると、霞は男を追いかけた。

 視界は段々と狭くなってきていて、距離を開ければ見失いそうな程霧が濃くなっていた。

 霞は追い続けたが、角を曲がった時に男を見失った。 

「ちくしょう! どこに逃げた?」

 男の足の早さと視界の悪さから、逃げられてしまった。

 探そうにもこんなに辺りが真っ白になってしまえば、無闇に動いても体力が減るだけだ。

 仕方がないので、晴れるまで待つことにする。

 (確か、この近くに神社があったな)

 霞は自分の今いる場所を推測した。

 自分の感覚が正しければ、神社までの距離はそれほどないはずだ。

 右手側にうつすらと見える石垣に沿って歩き出す。

 やがて数分もしないうちに、神社の柱と石段が見えた。

 ゆっくりと階段を上がって行く。

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