第四色

第四色 ①

 「空、まだ作業しているのか?」

 風呂から上がったとびが作業場を覗き込んで尋ねる。

 「うん。でも、あともう少しで終わるから」

 空は和紙から漏れる灯りに照らされながら、作業場で男性用の着物の染まり具合を確認していた。

 「ああ、三日後に渡す着物か」

 「うん、そう。上手く染まっているかどうか確認してたの」

 空は藍色の着物から目を離し、鳶を見て答えた。

 「何もこんな遅くまで作業せんでも」

 「もう少しで終わるから、平気よ。心配しないで。じいちゃんこそ疲れてない?」

 「なあに、ワシは平気じゃ。作業が終わったら、ゆっくり風呂に浸かるといい」

 「うん、そうする。ありがとう」

 鳶は笑みを浮かべると、作業場を後にした。

 空は再び着物に視線を戻した。

 

 「紅月こうげつ、動かないでね?」

 琥珀こはくがちょうど紅月をモデルに絵を描いていた時、

 「琥珀」

 七両しちりょうに名前を呼ばれて振り返ると、

 「常磐ときわが来てんだが、これから空の所へ行くらしい。お前も行くか?」

 その誘いを聞いた琥珀の顔がぱっと明るくなった。

 「うん。待ってて、すぐに着替えるから」

 琥珀は開いていた落書き用の台帳を閉じると、すぐに出かける準備に取りかかった。 

 その様子を紅月が不満そうに眺めている。

 数分で支度を終えた琥珀は、七両と常磐とともに集合住宅を出た。暑い日差しが琥珀たちを照り付ける。

 「常磐さん、それ何ですか?」

 琥珀は常磐が抱えているかごを指さして尋ねる。彼女は笑顔で籠の上に掛けられている布をめくると、

 「父さんがお得意さんから桃を貰ったんだよ。結構量があるから、空のところに持って行こうと思ってね。あっ、琥珀たちの分も七両に渡したから後で食べとくれよ」

 「ありがとうございます! 結構ありますね」

 琥珀は常磐が抱える桃に目をやる。

 ざっと数えても十個はある。どれも瑞々しく、今が食べ頃のようだ。顔を近づけると、甘い良い香りが漂った。

 「そうなんだよ、たくさん採れたからってさ。家に帰ればまだまだあるよ」

 「それは食べるの大変ですね」

 常磐と琥珀が話していると、七両が急に足を止めた。

 「七両、どうしたんだよ? 急に立ち止まったりして」

 常磐が彼に顔を向けた時、

 「おう、お前らか」

 「山吹さん! 何か、いつもと違いますね」

 目の前の山吹の恰好かっこうは前に見た山吹色の甚平姿ではなく、紺色の半纏はんてん股引またひき、黒色の足袋たびを身に着けた格好だった。

 「山吹は大工だからな」

 「え? そうだったの?」

 「ああ、お前にそう話さなかったか?」

 「聞いてないよ! 僕、今初めて知ったんだけど?」

 琥珀は七両に突っ込んだ後、再び山吹に顔を戻した。

 作業着姿は彼によく似合っている。

 山吹の後ろには建設途中の建物の骨組みが見えた。

 「もう仕事は上がりか?」

 七両が尋ねると彼は頷いて、

 「まあな。ところで、お前らどこ行くんだよ?」

 「空さんのところです。お得意さんから桃を貰ったらしくて、それを届けに」

 「ああ、なるほどな」

 山吹は常磐の持っている籠の中の桃を見て頷いた。

 「後で山吹のところにも持って行くよ」

 「おお、本当か?」

 常磐は頷いてから捲った布を再び桃に掛ける。

 「お前はこの後どうすんだ?」

 七両の問い掛けに、少し考えてから、

 「そうだな…… 俺も行くわ。この後暇だし」

 「作業着のまま行くんですか?」

 「いや、さすがにこのままじゃ行かねぇよ。着替えてから……」

 「どうかしたんですか?」

 琥珀が不思議そうな表情でくと、山吹は堪りかねたように言った。

 「お前のその話し方だよ! 何で俺たちには余所余所よそよそしいんだ?」

 「――え?」

 余りのことに琥珀は頭の中が真っ白になった。言葉が出て来ない。

 山吹はというと、茫然としている琥珀を他所にお構いなしに続けた。

 「別にそんな話し方しなくていいんだって! 七両と話してた時みたいに話せってことだよ!」

 琥珀は呆気に取られたまま、七両と常磐を見た。常磐は屈んで琥珀と目線を合わせてから、

 「そうだよ、琥珀。別に気にしなくていいよ。確かにあたしたち、琥珀より少し年上だけどさ」

 「いや、少しじゃねぇだろ?」

 常磐に七両が突っ込みを入れる。

 「それから、付けもいらねぇ。これからは山吹って呼べ」

 山吹は自分のことを親指でさして言った。

 「あたしのことも常磐でいいよ」

 常磐も笑みを浮かべる。

 「でも……」

 「まあ、こいつらがいいって言ってんだからそれでいいだろ?」

 「じゃあ、俺着替えて来る」

 背を向けて山吹は更衣所へ歩いて行った。

 少ししてから山吹が戻って来て、

 「おう、待たせたな」

 着替えた山吹は前に見た時と同じ山吹色の甚平だった。

 「よし、じゃあ早速行こうぜ。桃が傷んじまう前に」

 「そんなにすぐ傷まないよ」

 常磐がそう言うと、続いて琥珀も、

 「でも、日差しが強いから早めに届けた方が……」

 「だったら七両、お前出してくれよ?」

 「あれ?」

 琥珀と常磐が首を傾げる。

 七両も無言で山吹を見た。

 「お前、前に龍出してたじゃん。あれで空の所に行けば早いだろ?」

 山吹は名案だとでもいうように自信満々に言ってみせた。

 「アホなこと抜かしてんじゃねぇよ、行くぞ」

 七両は山吹を無視して歩き出す。

 「何でだよ? いいじゃんか」

 「四人はさすがに重いかも」

 琥珀が呟いた後、常磐が山吹の背中を軽く叩いて促す。

 「ほら、行くよ。山吹」

 山吹は不満そうな表情を見せた後、歩き出した。

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