第二色 ④

  琥珀こはくは黙って自分たちに近付いて来るものを凝視した。常磐ときわたちも同じく前に顔を向けていると、紫紺しこんも琥珀から視線を外し前方を見た。

 真っ赤なそれは徐々に姿がはっきりとした。再び咆哮が聞こえた時には、それが何なのか理解出来た。

 「オオカミ?」

 紫紺が呟いた後、真っ赤なオオカミは躊躇ためらううことなく紫紺に飛び掛かった。

 紫紺は紫色に光るむちのようなものを出現させると、それをオオカミに向かって伸ばそうとする。

 「そうはいかないよ!」

 常磐は駆け出すと紫紺の鞭のようなそれを掴んだ。みるみるうちに紫色が緑色に変わり、石のように固まってゆく。

 常磐が手を離した時には完全に固まり、動かなくなった。

 隙をついて、再びオオカミが紫紺に飛び掛かる。

 琥珀が呆気に取られていると、ホーホーという聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。まさかと思い、見上げると紅月こうげつが頭上をぐるぐると回っているのが見えた。

 「紅月! どうしてここが分かったの?」

 紅月は琥珀の頭に乗ると、鋭く声を上げた。咆哮に近いそれはフクロウのものとは思えなかった。

 琥珀たちの居場所を教えているように思える。誰に知らせているのかは明白だ。

 間もなく、龍に乗った七両しちりょうの姿が見えた。

 「お前らが外に出た後、紅月こいつも部屋から出て行ったんだよ」

 龍から飛び降りて、七両が答えた。

 「七両!」

 常磐が口を開いた。七両はこちらに歩いて来ると琥珀の前で立ち止まり、その場で屈んだ。

 「お前、何で服切れてんだよ? 紫紺にやられたのか?」

 琥珀はゆっくりと首を横に振った。

 「あの馬鹿のせいだよ!」

 常磐が山吹を指さして答える。

 七両は横目で山吹を見てから、琥珀に視線を戻した。

 「怪我は?」

 「ううん、大丈夫……」

 やっとそれだけ口にする。

 「立てるか?」

 七両が琥珀に向かって手を伸ばす。琥珀はぎこちなく自分の手を差し出すと、七両がその手を掴んで自分の方へ引っ張った。

 琥珀が立ったのを確認してからすぐに手を離すと、オオカミに襲われている紫紺に顔を向けた。

 「紫紺、琥珀に金輪際こんりんざい近付くな」

 それに対して紫紺は何も返さない。恨めしい表情で自分を襲うオオカミに抵抗している。

 「お前、怪我だけじゃまなくなるぞ」

 「七両、もうやめて! あのヒト死んじゃうよ!」

 彼の腕を引っ張る琥珀の目は涙目になっている。琥珀に視線を向けた後、

 「安心しろ、殺したりしねえよ」

 「……分かった。それより、早くこいつをどうにかしろ」

 先程の常磐たちへ見せていた冷静な表情は消えていた。苛立たし気にこちらを睨んでいる。

 「おい、もういいぞ。離せ」

 オオカミはすぐに紫紺から離れ、何事もなかったように主人の元へ戻って来た。

 「相変わらず手荒い真似をするな、七両?」

 紫紺は琥珀を見る時とはまた違った目で七両をねめつけた。その目には怒りの色が強く表れていたが、あちこちに噛まれた跡や擦り傷が出来た彼に反撃する力はない。

 「大丈夫ですか?」

 琥珀が駆け寄ろうとした時、紫紺は顔を歪めて鋭く、

 「来るな! 余計な世話だ」

 琥珀の身体がびくりと震える。

 すぐさま常磐が小走りで駆け寄り、琥珀の肩に両手を置いた。 

 琥珀と七両の脇を通り抜ける際、

 「……紫紺、次はねえぞ?」

 怒りを滲ませた七両が呟く。

 紫紺は彼を睨み付けると、その場を去って行った。

 「琥珀、大丈夫かい?」

 常磐に続いて、浅葱も駆け付けて来た。

 「とりあえず、青鈍あおにびたちが来る前に逃げよう」

 「逃げるってどこに逃げんだよ?」

 山吹が腰に手をあてて訊ねる。

 七両は煙管を口に咥えてから呟いた。

 「とりあえず、空んとこ行くぞ」


 「じゃあ、みんな怪我はないのね?」

 一通り話を聞いてから空は誰ともなく確認した。

 「ああ、僕たちは大丈夫だ。ごめんな、みんなで押しかけて」

 浅葱が受け取った湯のみ茶碗を持つ。

 「いいのよ、みんな無事で良かったわ」

 「それより、琥珀は大丈夫か?」

 空の仕事場の店主であるとびも仕事を一時中断して彼らの話を聞いていた。

 「はい。まあ、なんとか」

 笑って答えたのだが、空と鳶はまだ心配そうに琥珀を見つめている。

 琥珀は空から和服を借りて着ていた。丁度琥珀でも着られるサイズのものがあったのだ。

 「それで、何で山吹は紫紺さんとケンカになったんだ?」

 出されたお茶を一口飲んだ後、浅葱が問いかけた。

 「彩街に初めて来たっていう女の子たちが、《色彩分与》はどこで見れるのかって聞いて来たんだよ。そしたら、いきなりあいつが文句言ってきやがって」

 山吹は乱暴に湯飲みを持つと、一気に中に入っているお茶を飲み干した。

 「色彩分与って何ですか?」

 「この街のヒトたちって、みんな一人一色しか色を持っていないでしょう? 赤なら赤、青なら青って具合に。だから、自分の持っている色とは別の色が欲しい時は、その欲しい色を持っているヒトに頼んで分けてもらうの。これを『色彩分与』っていうのよ。分与っていうのは分け与えること」

 空の説明を聞きながら、先程七両から聞いた話を思い出す。

 「分けてもらった色って何に使うんですか?」

 「人によって使い方は違うわね。部屋の雰囲気を変えたい時とか、みんなが着ている和服も別の色のものが欲しい場合は、他のヒトから色を分けてもらったりしているの」

 話を聞いていて琥珀の中に一つの疑問が浮かぶ。

 「そんなこと出来るんだ。でも、みんな同じ色の服を着ていますけど」

 「そりゃあ、自分の色が一番しっくりくるからだよ。馴染んでるっつーか、落ち着くっつーか」

 山吹は自分を親指で指して答えた。

 「他のヒトの色をもらって、別の能力を使うこととかは……」

 「いや、それは無理じゃ。あくまでも物にしか使えない。能力まで使うことは出来ん」

 鳶は言い終わると、お茶に口をつけた。

 「ねえ、気晴らしにみんなで呉服屋に行かないかい? 琥珀の服買いにさ」

 「でも、また紫紺さんみたいなヒトに会ったら」

 「安心しろ。あそこにはニンゲンを見ても差別するやつなんかいねえよ」

  心配そうな表情の琥珀を見て、七両が答える。

 「私も何度か行ったことがあるから大丈夫よ、安心して」

 琥珀は空の言葉を聞いて不安が少し薄れた。

 常磐が琥珀の前で屈んで笑みを浮かべてから、

 「琥珀、服は山吹に買ってもらいな。こいつのせいで駄目になったんだしね」

 「何で俺なんだよ? このガキの面倒って空が見てんじゃないのか? 同じニンゲンだろ?」

 山吹は冗談じゃないとでも言うように、常磐を見た。

 それを浅葱が否定する。

 「あのな、山吹。お前に言ってなかったけど、琥珀は七両のところにいるんだ」

 「はあ? 七両がそんなことするなんて、どんな風の吹き回しだよ?」 

 わめいている山吹を無視して、七両が立ち上がった。

 「七両、もう行くの?」

 「ああ、あんたも仕事中だろ。じいさんも悪かったな」

 七両が答えると、鳶は笑って、

 「気にするな。また何か困ったらうちに来るといい」

 「本当にすみません。みんなで押しかけてしまって」

 浅葱も申し訳なさそうに答える。

 その後、二人に礼を言って空の仕事場を後にした。

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