第一色 ⑤

 布団に入ったはいいが、琥珀こはくはなかなか寝付けず何度も寝返りを打った。

 北海道に旅行に来た時のことや、この彩街に来てからの出来事が走馬灯のように頭の中を駆けてゆく。

 父や母は今頃どうしているだろうか? きっと自分を探し回っているのではないか? 

 早く帰りたいという思いが突然襲って来た。さっきは常磐ときわそらもいたから寂しい気持ちは薄れていたけれど、こうして一人であれこれと考えていると、強い孤独を感じずにはいられなかった。

 琥珀は寝返りを打ち、隣で寝ていた七両しちりょうに視線を向けた。その時、急に紅月こうげつが部屋の中を飛び回り始めた。一通り飛び終えると、七両の傍に置いてあった筆に止まった。

 「七両さんの筆……」

 広場で筆を操りながら舞う彼の姿が頭に浮かんだ。琥珀は起き上がると、寝ている七両へ近づいた。音を立てないようにゆっくりと進んでいく。

 寝ている彼を気にしながら、筆に手を伸ばした。

 大きなそれはずっしりと重い。小柄である琥珀には、とてもではないが扱えそうにない。

 琥珀は七両の舞いを思い出しながら、真似をした。けれど、何度やってもほうに色が滲むことはなかった。

 もう一度挑戦しようと筆を持ち直した時、手がすべった。

 「あ――!」

 まずい! と思った時、目の前に伸びた手が筆を押さえた。

 「何してんだよ、お前」

 「す、すみません!」

 怒られると思ったけれど、彼の顔は怒っているようには見えない。

 「眠れねぇのか?」

 ぶっきらぼうな調子で訊かれ、そのまま琥珀はこくりと頷いた。

 「悪かったな、こんなところに連れて来ちまって」

 「どうして七両さんが謝るんですか?」

 「紅月は俺が描いたんだ。さっきの龍と同じようにな。だから、俺の責任だと思ってる。おい、紅月!」

 七両は紅月を睨むと、

 「お前、また同じことをしてみろ。そん時はお前のこと消すぞ」

 叱られた紅月は、琥珀の頭の上で小さく身体を縮こまらせている。力なくホーホーと鳴く声は悲しそうだ。

 「琥珀、必ずお前を元の世界へ帰す。だからもう少し我慢してくれ」

 琥珀の頭の上に手を置いてから、もう片方の手で台帳を掴んだ。琥珀の頭から手を離すと、台帳を捲っていく。

 龍のページで手を止めると、再び窓を開けた。

 「あの、何をするんですか?」

 琥珀が不思議そうな顔をしていると、七両は龍が描かれているページを外に向けた。

 すると、紙の中に収まっていた龍が突然抜け出してきた。

 「さっきの龍! どうやって出したんですか?」

 興奮気味に訊く琥珀に、

 「静かにしろよ、夜中だぞ。眠れないならこいつに乗って散歩でもしようと思ったんだが、行くか?」

 「はい!」

 龍に乗ると、街全体を見渡すことが出来た。明かりが点いている家は少ない。それに比べて、さきほど空たちと一緒にいた長屋が並んでいた場所はまだ明るい。

 乗っていた龍に重みが加わった。琥珀が驚いて振り返ると、七両が腰を下ろすのが見えた。

 主が乗ったことを確認した龍がゆっくりと動き出す。

 飛行機に乗った時のような不安定さを一瞬感じたけれど、怖いという気持ちは琥珀の中にはない。

 ゆったりと夜の街を進んで行く。夜風が気持ちいい。さきほどの不安が少しずつ小さくなっていくのを感じる。

 「気分はどうだ、琥珀?」

 「楽しいです! 夢みたい」

 琥珀は七両を振り返って、興奮したまま言った。

 「あとな」

 七両は言いかけてから一旦言葉を切ると、

 「そんな堅苦しい話し方やめろよ。普通でいいんだよ。付けもいらねえ」

 「でも……」

 「俺はそういうの嫌なんだよ。楽にいこうぜ」

 「うん!」

 七両は何も言わない代わりに微笑を返した。

 琥珀は頷いた後、前に向き直った。

 この街について聞きたいことが山程ある。けれど、それを訊くのは明日にしよう、と思った。

 今はこの街の景色を眺めていたいと思ったから。

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