第一色 ②

 「え――?」

 目の前には赤や紫といった派手な色の建物が所狭しと並んでいた。中からは笑い声や話し声が聞こえている。

 先程まで自分を呼んでいたフクロウの姿はどこにも見当たらない。

 おまけに、降り積もっていた雪も全くなく、舗装されていない土の茶色が永遠と続いているだけだった。

 物干し竿にかかっている衣類は、これまた派手な色の甚平や作務衣さむえに似た和服で、この世界の季節が真冬でないことを表していた。

 琥珀こはくは茫然とした後、西日の眩しさから我に返った。空を見上げると、夕日が半分近くまで沈み、薄っすらと暗くなっている。

 完全に日が沈んでしまう前に人を探そうと琥珀は歩き出した。少し歩いていくと、左手側に大きな橋が見えた。その先には長屋を思わせる建物が並んでいる。

 琥珀はそのまま橋を渡り、更に奥へ進んだ。そのまま歩いて行くと、やがて長屋が並ぶ一画へ出た。

 人が多く、店と思われる建物の前では店員らしき人たちが積極的に呼び込みをしていた。

 酒や焼き鳥など食べ物を売る店から、薬屋など様々だ。店の近くには休憩スペースと思われる木製のテーブルと長椅子が設置されている。

 甚平や作務衣を着ている人もいれば、普通の着物を着ている人もいた。

 けれど、琥珀のように洋服を着ている人は一人も見当たらない。

 琥珀は周りの視線を感じていた。早くここから立ち去りたい衝動に駆られる。

 (早く誰かに声をかけなきゃ……)

 ふと、辺りで通行人に声掛けをしている緑色の髪の女の人が目に入った。 

 「あの、すみません。札幌駅に行くにはどうしたらいいですか?」

 髪を後ろにお団子に結った背の高い女の人は首を傾げてから、

 「サッポロ? 何だい、それ?」

 不思議そうな顔で琥珀を見た。

 女の人の反応に困惑した。この人は日本人ではないのだろうか?

 「ここ札幌じゃないんですか? じゃあ、ここどこなんですか?」

 不安に駆られながら再びいてみると、女の人は少しの間考えてから、

 「ここは彩街あやまちって言って、この辺りじゃ一番大きな歓楽街だよ。あれ、あんたさあ?」

 女の人は屈むと、琥珀の顔を覗き込むように見た。驚いた表情で、

 「あんた、もしかしてニンゲンじゃない?」

 女の人の質問が理解出来なかったけれど、一応頷く。

 「そうですけど、どうしてそんなこと……」

 「あたしの耳を見てごらん」

 そう言うと、髪を耳の後ろへ掛けて自分の耳を琥珀へ見せた。琥珀は驚いて目を見開いた。女の人の耳はエルフのように先がとがり、真ん中に切れ目が入っていて、桜の花びらを思わせる不思議な形をしていた。

 「それから歯ね」

 女の人は口を横に開き、自分の歯を彼に見せた。

 「あっ!」

 「耳も合わせて、見分け方はこんな感じかな。やっぱりあんたとは違うでしょ?」

 彼女の歯には緑色の刻印のような模様がびっしりと刻まれていた。

 屈んだ体勢のまま、女の人が続ける。

 「あたしの友達にあんたと同じニンゲンがいるんだ。女のヒトだよ」

 「本当ですか?」

 琥珀に笑顔が浮かぶ。

 自分と同じ人間がこの世界にいる、ということを知り、琥珀はほっとした。今すぐにでもその人のところへ連れて行って欲しいくらいだ。

 女の人は屈むのをやめると、

 「ちょっと待ってな、今父さんに店を出ることを伝えて来るから。あたし常磐ときわって言うんだけど、あんたは?」

 「琥珀です」

 「そっか、良い名前だね。じゃあ、琥珀少し待ってて……」

 女の人が言いかけてから突然顔を上げた。琥珀も同じように顔を上げようとした時、いきなり店の中へ押し込まれた。

 次の瞬間、誰かに勢いよくぶつかった。

 「あっ、すみません!」

 琥珀が顔を上げると、目の前には紅い髪と同様の目を持つ男の人が立っていた。長身で精悍な顔つきをしているせいか、少し近寄りがたい雰囲気を感じる。耳は常磐と全く同じ形をしていた。

 男の人の髪と目の色を見た時、あのフクロウの紅色を思い出した。

 「お前、ニンゲンなんだって?」

 低い声で尋ねられる。

 「は、はい」

 琥珀がうわずった声で答えると、男の人は店の入り口に目をやってから、

 「もう少し奥へ行った方が良いかもしれねぇな。付いて来な」

 そう言うと更に奥へ進んで行った。琥珀は訳も分からず後ろを付いて行く。

 「あの、どうしてこんなに奥に行くんですか?」

 「後で説明してやるよ」


 ※※※


 常磐は笑顔で客を出迎えた。

 「ああ、いらっしゃい」

 「常磐、相変わらず繁盛しているようだな。ところで今ガキの姿を見掛けたような気がするが?」

 その男は袈裟けさのような衣服を身に着けた大男だった。僧侶のようにも見える。髪も目も紫色で、その衣服と同じ色をしている。

 「子供だって? 見間違えじゃないかい? うちは子供はお断りだよ。酒を提供しているからね。あんただって知っているだろう?」

 「ふん、相変わらず生意気な娘だな」

 「今日はどうしたんだい? いつもはうちなんか寄らないじゃないか」

 「ガキを見たと思ったんだがな、ニンゲンの。だが、どこにもおらんな」

 「ニンゲンの子供なんかいないよ。言いがかりはよしとくれ。商売の邪魔だよ」

 「良い酒が入る頃にまた来てやるさ」

 そう言うと男は何事もなかったかのように店を後にした。

 常盤は男が帰って行ったのを確認して、ほっと胸を撫で下ろした。

 「ごめんね、琥珀。あれ、琥珀?」

 「常磐、あいつに何かされなかったか?」

 「何もされていないよ。ところで七両しちりょう、あんた何でここにいるのさ?」

 七両と呼ばれた男の人は気怠そうに答える。

 「物色だ。家の酒が切れたんでな」

 「あの、もう出ても良いんですか?」

 七両の後ろから琥珀が顔を出す。その表情には不安がにじんでいる。

 「うん、もう大丈夫だよ。ごめんね、びっくりしただろ?」

 「あっ、はい。ええと、僕この人に奥に来るように言われたんですけど」

 琥珀は七両を横目で見ると、

 「常磐がお前を中へ入れたのは、な奴が来たからだ。お前は会わない方が良い」

 「えっ?」

 訳が分からず聞き返そうとした時、常磐が口を開いた。

 「まあ、そういう奴もいるってことだよ。ほら、琥珀行くよ。七両、あんたもそろそろ行かないと間に合わないよ」

 七両は常磐の言葉に反応を見せず、一人歩き出した。その後ろに常盤が続き、琥珀もその後ろを付いて行った。


 ※※※


 先程の店の集まった一画から少し離れたところに出ると、七両が口を開いた。

 「常磐、のところへはお前が連れて行ってやってくれ」

 そらとは自分と同じ人間の名前だろうか?

 「分かっているよ。あんたも頑張りな」

 「七両さん、どこかに行くんですか?」

 「今から仕事だよ」

 常磐が笑って答える。

 七両と別れると、常磐がその人間のいるところまで案内してくれた。

 そこには大きな竿が幾つも間隔を開けて設置されていて、そのすぐ後ろに店らしき建造物がある。

 「こんばんは、空いる?」

  常磐が店の引き戸を開けると、中には六十代くらいの男性が作業をしているところだった。茶色の髪と目を持つ眼鏡を掛けた老人で、布の染め上がり具合を確認していた。

 顔をあげると笑顔を向けて、

 「おお、常磐か。空なら奥の作業場で布を染めて……。おや、その少年はどうした?」

 「迷子だよ。空と同じニンゲンの子」

 「おや、何とまあ」

 目を丸くしてそう呟くと、こちらに近付いて来た。顎鬚あごひげさすりながらしげしげと琥珀の顔をのぞき込んでいる。

 「あれま、本当にニンゲンの子供だな。ちょっと待っとれ」

 奥にある作業場へ近付いて行き、声を掛ける。

 「おーい、空。こっちへ来とくれ」

 呼ばれた女の人は駆け足で現れた。

 「じいちゃん、どうしたの?」

 空と呼ばれた女の人は常磐に気付くと笑顔を向けた。黒く短い髪に黒い瞳、琥珀と同じ形の耳を持つ二十代半ばくらいの女の人だ。

 「あら、常磐いらっしゃい。ねえ、その子は?」

 たずねた次の瞬間、琥珀が人間だと気付くと彼の顔を覗き込んだ。

 「この子、人間じゃない! どうしてこんなところに……」

 「気付いたらこっちに来ていたみたいだよ。なんかサッポロエキとか言うところに行きたかったみたいだけど」

 「札幌!」

 彼女は大きな声をあげると、琥珀の両肩をつかんで尋ねた。

 「ねえ、あなた札幌から来たの?」

 「あ、いえ。家族で北海道に旅行に来たんですけど、駅の近くにある自動販売機の横の壁の一部が赤くなっているのに気付いて、紅いフクロウがその中に入ったんです。僕も同じように入ったら、ここに来ちゃって」

 みんな不思議そうな顔で琥珀の話を聞いていた。

 「紅いフクロウ……」

 空は呟いた後はっとした顔をして、琥珀に顔を戻した。

 「ごめんなさいね、名前も言わずに。私は空。あなたと同じ人間の住む世界からこの街に来たのよ。あのヒトはこの店の店主で、とびっていうの」

 空は自己紹介した後、先程の茶髪の男の人を紹介した。 

 「僕は琥珀です。あの、空さんはどうやってここに来たんですか?」

 一瞬空の顔が曇った。その後笑顔で、

 「ぼーっと歩いていたら、いつの間にかこっちの世界に来ていたの。それからずっとここで暮らしているのよ」

 「え? ずっと?」

 琥珀に再び不安が広がる。ずっとここで暮らしているということは、元の世界には一度も戻っていないのだろうか。

 「大丈夫よ、そんな顔しなくても。絶対に帰れるから。ねえ、ここで話すのもなんだから、外に出ない? ここに来る途中たくさんお店が出ていたでしょう?」

 「はい、カラフルな店がいっぱい並んでいました」

 「ねえ、じいちゃん。私、もう上がっていい? ちょうど切りの良いところで終わっているから」

 鳶に確認すると、

 「ああ、構わんよ。気を付けて行っておいで」

 「あたしも父さんに言って上がらせて貰おうかな?」

 「お店の方は大丈夫ですか? 結構お客さん来てましたけど」

 琥珀が訊くと、常磐は少し考えてから、

 「じゃあ、あんたたち先に行っててよ。あたし、一旦店に戻るから」

 そう言うと常磐は入り口に向かった。

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