第5話 僕の気持ち
中学生になると、僕をいじめるやつが少しずついなくなっていった。
みんなが心的に成長したり、環境が変わったり、理由は色々あったかもしれないけど。あの日僕が反抗したことが、大きな理由一つではあるらしかった。
どうやらあの時僕が歯向かった相手は、自他ともに認める相当の悪ガキだったらしく、そいつらに一矢報いたことが、他のいじめっ子たちの抑止力となったようだ。
そんな事があったからか、僕にも初めて、こちらの世界で何人か友達ができた。
休み時間に一緒にだべったり、帰り道に寄り道したり、お互いの家に遊びに行ったりする経験は、それはそれは新鮮で、刺激的で、楽しくて。
僕が異世界に行く頻度は、小学生の頃よりも減っていた。
それでもやはり、週に数度は行っていた。
楽しい事があった時、悲しい事があった時。
僕は桜を傷つけて、ニチェやアーニャに会いに行った。
彼女たちの事を、僕はすごくすごく大切に思っていたから、大好きだったから。
会いに行きたいと思っていた。
それでもある日、目に見えて来る頻度が下がった僕に。ニチェが怒ったことがあった。中学三年生くらいの時だった。
「そんなに自分の世界が楽しいなら、もう来なかったらいいんじゃない⁈」
友達と休み時間にしでかした、最高に面白い出来事を微に入り細に入り語った僕に、ニチェはそう言い放つと、家からどたどたと出て行った。
「……僕、なんか変なこと言った? 話、面白くなかった?」
あらあら、とニチェを笑って見送ったアーニャに、僕は問いかけた。
「面白かったわよ? でもそうね……あの子は面白くなかったかも」
「どっちなのさ」
「嫉妬してるのよ」
「嫉妬? 誰に?」
「あなたの世界の、お友達全員に。もしかしたら、あなたの世界、そのものに」
「……?」
イマイチ意味が分からない僕に、アーニャは優しく微笑んだ。
僕やニチェよりは少し年上なアーニャは、腕や顔にだんだんと毛が生えてきていた。
ヌコ族の人たちが、大人になり始めた証拠だ。
その美しいシルクの様な毛並みを撫でながら、とつとつとアーニャは話した。
「ニチェは……もちろん私も、ババ様も、あなたのことが大好きだから。つい独り占めしたくなるのよ。かなうなら、ずっとこちらにいて欲しいと、思っているんじゃないかしら」
「……僕だって二人の事は大好きだよ。もちろんババ様も。でも、仕方ないじゃないか。僕には僕の世界があって、君たちには君たちの世界がある。それはどうしようもないことで、だからそれであんなふうに怒られるなんて、僕は……」
「その通りよ。カナタは間違ってないわ。でも、あの子の気持ちが間違っているとも、私は思わない。気持ちと理屈は別物で、気持ちに善悪はないの。ニチェの中に生まれた感情を、私は大事にしてあげたい」
アーニャのいう事も、分からなくはなかったけど、僕はやっぱり釈然としなかった。
「アーニャは大人だね……。ニチェは……子供だよ。そんなだから、全然毛が生えてこないんだ」
自分の口から出た言葉は、思ったよりも拗ねたような声音で、僕はまたもやもやした。
ニチェくらいの歳になれば、もう毛が生えてきていてもおかしくなかった。
けれど、ニチェは未だに毛が薄く、ともすれば見た目は僕ら人間とほとんど変わらなかった。
本人はそれを気にしているようで、少しでも僕がそのことについて触れると烈火のごとく怒った。
ヌコ族の爪はやっぱりネコと同じだと痛感したのもその時だ。
「ふふ、私はニチェが羨ましいけどね」
「……どうして?」
「どうしてだと、思う?」
その時のアーニャの目は。
いつものように優しくはなかった。
責めるようで、愛でるようで、泣きそうで、でも笑いそうで。
そして何より、艶やかで、色っぽかった。
「それ……は……」
言いよどむ僕に、アーニャがにじりよった。
その様はまさにネコそのもので、音もなく、静かに距離を詰めた彼女は、僕の顔を下から覗き込んだ。
ふわりとお日様の香りがした。
「わからない、よ……」
絞り出すように、僕はそう答えた。
「そっか」
糸の様な声で、彼女も答えた。
「どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーして誰も追っかけてこないのよーーーーーーーーーーーーーー!」
嵐の様なニチェが帰ってきたことで、その話題はおしまいとなった。
それ以来僕も、アーニャも、あの時の事について話したことはない。
なんとなく、理由については思い当たる節もあるのだけれど、それは僕の勘違いかもしれないし、思い過ごしかもしれないし、とんでもない思い上がりなような気もするから。
僕の気持ちも、僕の答えも。
そっと、心の中にしまってある。
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