第4話 立ち向かう勇気
さて、それから僕の生活は変わっていった。
学校が終わればダッシュで神社の裏に行き、よいしょと鉈を振り上げて、桜の幹を傷つける。
そうして向こうの世界に行き、アーニャやニチェと一緒に遊ぶ。
向こうで日が傾く前に、僕はこちらに戻ってくる。
そんな毎日を繰り返すと、おのずといくつかのパターンみたいなものが見えてくる。
まず一つ、桜の木の傷つける場所は、どこでもいいってわけじゃないらしい。
僕が最初に傷をつけた、根元から一メートルくらいの場所。そこを強く、鉈で切る。一切手加減をせずに、全力で。一度試しに力を抜いて切ってみたけれど、その時は異世界に飛ぶことはできなかった。全く仕組みは分からない。
そして二つ目。
時間の流れ方は向こうとこちらで変わらない。だけど、時差みたいなものがあった。
こちらの時間で丁度12時間ほどの時差。だから放課後に向こうに行くと、ちょうど朝方で、こちらの世界で夜になる前に、僕は戻って来ていた。
あんまり夜遅くなりすぎると、父さんと母さんが心配するしね。
向こうで何をしていたかというと、とりたてて特に何もしていなかった、というのが正しい。
よくゲームや漫画であるような、勇者みたいに悪の権化と戦う事もなければ、ヒーローみたいに誰かを救う事もなかった。
ただ毎日、ニチェとアーニャと一緒に過ごしていた。ババ様の家事の手伝いをしたこともあったっけ。
あぁ、でもそういえば一度だけ。
一度だけ、魔獣と戦ったことがあった。
あれは確か、異世界とこちらを行き来するようになって、丁度一年くらい経った頃のことだった。
✿✿✿
「あー! まためそめそしてる!」
きっかけはニチェの責めるような言葉だった。
あの日はそう、学校の体育の授業でドッヂボールがあった日だ。
異世界とこちらを行き来するようになって、一年ほどが経っていたけれど、相変わらず僕はいじめられていた。思えばあの時の僕は、異世界に来る事をただ逃げ場にしていたんだと思う。
だから変わる事もなく、成長することもなく、ドッジボールで嫌と言う程ボールを当てられた僕は、放課後になってすぐに桜の木を傷つけて、ニチェとアーニャに会いに来たのだった。
「かわいそうに、体中痣だらけじゃない。……こっちにおいで、傷薬ぬったげるから」
アーニャは優しかった。
僕がいじめられてやってくると、「どうしたの?」と話を聞いてくれて、うんうんと相槌を打ちながら静かに僕の泣き言を受け止めてくれて、そして最後にはそっと僕を抱きしめて、よしよしと頭を撫でてくれた。
僕はそれがたまらなく気持ちよくて、毎日の様にアーニャに甘えていた。
一方、ニチェは厳しかった。
いじめられて泣き寝入りするのはおかしい。耐えるのはおかしい。
そう言ってはいつも泣いてやってくる僕を咎めて、いじめているやつらをやっつけようと、色々策を練ってくれた。
当時の僕には分からなかったけれど、あれも間違いなく僕を気遣ってやってくれていたことで、形は違えど、彼女も僕の事を心配してくれていたのだと思う。
「あー! まためそめそしてる!」
だから、あの言葉もまた、責めるようではあったけれど。彼女なりの優しさが含まれていたのだろう。
「いつも言ってるでしょ、やられたらやり返さなきゃダメだって!」
強い彼女の言葉に怯え、僕は泣きながらアーニャの服の裾を強く握った。
「誰もがそんな風に強く生きられるわけじゃないのよ、ニチェ。カナタは優しいから。このままでいいの」
「優しさとあきらめることは別物でしょう?」
「またどこでそんな屁理屈を覚えてきたの……」
実はニチェはババ様の部屋にこっそり忍び込んで、本を読み、見栄えのいい言葉を見つけては覚えていたのだけれど、それはまた別の話だ。
「とにかく、私は納得いかない! カナタ、いくよ!」
「え、え……?」
「ちょっと、ニチェ?」
ニチェは僕の手を取ると、ずんずんと歩き出した。
この頃は僕よりニチェの方が力は強くて、体も少し大きくて、僕は成す術もなく引っ張られた。
やがてたどり着いたのは修練場と呼ばれる場所だった。
異世界の村の外には魔獣が徘徊していて、村の中に入って来ないよう、門兵たちが見張っていた。
修練場は、そんな門兵たちが腕を磨く場だった。
「よーーーーし、行ってこい、カナターーーー!」
「へ? へ? うわぁああああああああああ!」
修練場の周りには子供が入れないように柵が立っているんだけど、たまにぼろくなって壊れそうになっている部分があった。
ニチェはそこを蹴破るや否や、僕をその中に投げ飛ばした。
「ニチェ! 何やってるのあなた!」
「こうでもしないと、カナタは一生あのままだもん!」
「言ったでしょう、それでいいの! こんなことまでして――――」
柵の外からする二人の話声が、いやに遠く聞こえた。
正確には、その時僕は、そちらに注意力を割くほどの余裕がなかった。
目が、意識が、感情が、全て目の前の化け物に注がれていたから。
コボルト、という魔獣だった。
親戚のおじさんが飼っているゴールデンレトリバーを三倍くらい大きくして、顔を五十倍ぐらい獰猛にして、毛並みを思いっきり悪くした挙句、二足歩行にしたみたいな化け物が、そこに居た。
門兵の修練用に飼われていたコボルトは、実は口に鉄の枷がついていて、手足は柱につながれていたから、本当は僕に危害が及ぶ可能性は万に一つもなかった。
でも、その時の僕はそんなところまで把握できるほどの余裕はなくて、ただ目の前の得体のしれない化け物が襲い掛かってくるビジョンしか見えなかった。
逃げよう。
叫ぼう。
助けを呼ぼう。
頭の中はそんな逃げ腰な考えでいっぱいだったんだけど、少しだけ冷静な思考が、その時の僕には働いていた。
あぁ、僕の人生みたいだな。って。
そんな事を思った。
目の前の大きな怪物は、さながら僕の人生にいつも立ちはだかる、困難そのものを体現しているみたいに見えた。
それは体の大きないじめっ子かもしれない。
内気な僕を怒る先生かもしれない。
難解な言葉で書かれたテストかもしれない。
いつまでも強くなれない、変わる事の出来ない。
自分の弱さかも、しれない。
これに打ち勝たなければ。
倒さなければ。
自分は一生このままなんだと、言われている気がした。
「いやだ」
そんなのは嫌だ。
「いやだ」
いやだ。
「いやだ!」
いや、なんだ。
いつまでも逃げてばかりなのは。
気づいた時には、僕は近くに落ちていた木の棒で、コボルトの顔を思い切り殴っていた。
「ぎゃうん⁈」
切羽詰まった僕の気持ちとは裏腹に、なんのこっちゃと僕を眺めていただけのコボルトは、不意をつかれてその場に崩れ落ちた。
後から気付いたんだけど、毎日思い鉈をふるっていた僕は、その年にしては人並み以上に筋力がついていたらしい。全然気づかなかったけれど。
その後、ニチェはババ様にこっぴどく、それはもう、不憫になるくらいにこっぴどく怒られて、修練場の柵はばっちり強化された。
あれを最後に、僕は魔獣と戦ったことも、相対したこともない。
異世界は平和で、本で読んだような戦いはなくて、戦争や小競り合いなんかは、ずっとずっと、遠い国同士で行われているようだった。
そこで繰り広げられている戦いとは、似ても似つかない、笑ってしまうくらいにあっけない出来事だったけど、あの日コボルトと遭遇した経験は、僕に大きな変化をもたらした。
具体的には、いじめっ子たちが全く怖くなくなった。
「こんなところで何やってんだよ」
にやにやと、いつもの通りやってきたいじめっ子のAだかBだかCだかは、校舎裏で休み時間を穏やかに過ごそうと思っていた僕に絡んできた。
「別に何も……」
「へぇ、じゃぁ相撲しようぜ、相撲!」
「やらないよ……」
よくあるやり口だった。
相撲を取ろうと言って、あるいはプロレスをやろうと言って。その実5対1くらいの、スポーツマンシップに則らない謎の競技をやらされるのだ。
そして、万が一先生に見つかれば、遊んでいたんです、と言い逃れする。小賢しい手だ。
「あ? やるんだよ」
僕に拒否権はない。
首根っこを掴まれて、無理やりリング上に上がらされて、なんの構えもないままに、戦いのゴングが勝手に鳴る。
いつもの光景だった。
そう、いつもの。
「……やらないって、言ってるだろ」
僕の肩に伸びてきていた手を払いのけて、僕は言った。
内心、すごくドキドキしていて、口から心臓がもんどりうって出てきそうだったのは内緒だ。
それでも僕は、初めてはっきりと拒絶の言葉を口にした。
「……誰に向かってそんな口きいてんだ?」
目の前にいるいじめっ子は、クラスメイトだった。
異世界の化け物じゃない。
手の大きさはよく見れば同じくらいだし、鋭い爪もついていない。
顔はどっちかといえば不細工だし、目は一重で垂れ目だ。
真っ赤に燃える、切れ長の獰猛な目じゃない。
牙もついていない、歯並びは悪いけど。
あぁ、なんだ。全然怖くないじゃないか。
僕は一体何に怖がっていたんだろう、と笑いそうになった。
きっと僕が怖かったのは、いじめっ子たちそのものに対してではなく、僕が勝手に描いていた、彼らに対するイメージに対してだったんだろう。
そのイメージは、殴られるたび、蹴られるたび、どんどん凶悪に、醜悪に肥大化していってやがて絶対勝てない化け物に育ってしまった。
だけど。
「んー……誰だっけ、名前、忘れちゃった」
異世界でコボルトと対峙したことで、そのイメージは粉々に砕かれた。
そんなイメージよりも、遥かに怖い化け物に僕は立ち向かえたんだから。
こんなやつくらいどうってことないだろう? そう思えた。
「お前ら、やっちまうぞ」
その日、僕は初めてケンカをした。
まぁ結果から言えば、当然一対多数で勝てるわけがなくて、最終的に僕はいつも以上にぼこぼこにされたわけなんだけど。
それでも僕は泣かなかった。なんなら、清々しい気分だった。
僕は戦える。
僕は立ち向かえる。
その確信が、持てたから。
傷だらけの泥だらけでやってきた僕を見て、アーニャは泣きながら、ニチェは爆笑しながら、僕を迎え入れてくれた。
静謐で嫋やかに揺蕩う、清流の様なアーニャ。
温かくも激しく弾ける、焚火のようなニチェ。
二人の異なる優しさに触れて、僕はこの時からだんだんと大人になっていく。
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