第2話 人生の分岐点

 神社の裏手に、少し広い空き地がある。

 そこは近くの小学校に通う子供たちの格好の遊び場になっていた。

 理由は二つ。


 一つは小学校から近く、適度に広いから。

 もう一つは、人が滅多に来ないから。


「げ……ぇっ……」


 どんな風に呻いていたかは覚えていないけど、とりあえず蹲って嘔吐して、涙を流していたことだけは間違いない。

 だってあの頃の僕は、放課後になればいつだってあいつらに殴られていた。


「うわぁ、きったねぇ」

「はー、すっきりした、行こうぜー」

「お腹すいたなー」


 何人組だったかな、それすら記憶は曖昧だ。

 日によって相手も違ったし、組み合わせも違ったからしょうがない。

 

 とにもかくにも、あの日も僕は同級生やその兄弟にぼこぼこにされて、空き地の片隅で泣いていた。

 

 小学生の頃にいじめられる理由なんて、深い物じゃない。

 体が小さいから、よわっちいから、物静かだから、なんか気に食わないから。  まぁ、大方こんなところか。

 

 どれかに、もしくはその全てに該当した僕は、低学年の頃からいじめられていた。

 いじめるやつらの中には、僕と同じくらいの身長のやつもいたけれど、最低一人はやたらとがたいのいい奴がいて、よくそいつが筆頭になっていた。

 

 けがをすれば当然両親は心配したけれど、共働きで疲れて帰ってきている事を知っていた僕は、ちょっと転んだだけ、と笑顔で取り繕っていた。

 親を心配させたくなかったのも勿論だけど、それ以上にいじめられているという事実を知られたくなかったんだと思う。

 

 そんなこんなで、両親にばれることはなく、学校側に露呈することもなく、いじめは続いていた。まぁ、教師の何人かは気付いていてもおかしくなかったと、今から考えれば思うのだけれど。

 

 いつかは終わるだろう。

 年が変われば終わるだろう。

 クラスが変われば終わるだろう。

 学年が変われば終わるだろう。


 その全てに裏切られ、それでも何も言わず、誰にも言わず。

 耐えて、耐えて、耐えていた僕は。


 けれど、その日決壊した。


「あああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 泣いた。

 みんなが居なくなった空き地の隅で、真っ暗な暗闇の中で、声を上げて泣いた。

 どうして僕ばっかり。

 なんで僕が。

 僕はなんでこんなにも弱いんだろう。

 こんなにもどんくさいんだろう。

 何をやってもうまくいかないんだろう。

 

 やるせなくて、やりきれなくて。

 考えれば考えるほど、やっぱり苦しくて。

 心にあまりにも大きなモヤモヤが溜まっていて、僕はむせび泣いた。

 

 その時、月明かりを浴びて静かに鈍く光る物が視界に入った。

 鉈だった。

 

 その日だったか、もっと前だったか。

 天国について先生が話してくれたのを思い出した。

 曰く、天国はとても綺麗で美しくて、そして苦痛がない。楽園の様なところだと。死んだ後に、今まで苦労した人が心を休める場所なのだと。

 

 僕は天国に行きたいと思った。

 こんなにつらい思いをしているんだ。天国にだってきっと行ける。

 この鉈で手首を切れば、きっと一瞬で死ぬことができる。そう思った。


 今から考えれば、あまりにも猟奇的な思考回路なのだけど、あの時の僕はそれくらい追いつめられていた。小学生の思考は短絡的で、偏狭で、そして突飛だ。


 痛む体を引きずって、僕は鉈に近づいた。

 そして、柄に手をかけ、持ち上げた。

 持ち上げようとした。


「え」


 後から分かったことだけど、大きな刃物というのはそれだけで結構な重量で、僕の貧相な、傷ついた体では、持ち上げるのにかなりの力が必要だった。

 それを知らなかった僕は、予想外の鉈の重さによろめき、転び、そして――――鉈は近くの樹の幹に深々と刺さった。




 瞬間。




 僕は野原の中にいた。

 さっきまで夜だったはずなのに、太陽は高く高く昇っていた。

 あまりの眩しさに目がくらんだ。

 ゆっくりと目を開けて、周囲を見渡すと、どう考えてもそこは神社裏の空き地ではなかった。

 限りなく広い野原、緩やかに隆起する丘と、視界の先に広がる大きな村。

 その景色に圧倒され後ずさると、こつんと後頭部に何かが当たった。

 この異色な光景の中、唯一見覚えのあるもの。

 


 僕が間違って傷つけた、桜の木だった。



 あぁ、きっと罰が当たったんだ。神社に生えている桜の木に傷をつけたから。

 それで僕は、罰として遠い遠い世界に飛ばされてしまったんだ。

 

 そんな事を考えていた僕は、とん、と肩を叩かれ、飛び上がらんばかりに驚いた。

 で、振り向いてさらに驚いた。


「これはまた、珍しいお客さんが来たものだねぇ」

「え、え、あ……」


 まず、耳に目がいった。三角形のかわいらしい耳はぴょこんと顔の上側についていて、ぴこぴこと細かく動いている。

 次に顔だ。毛むくじゃら。

 灰色の毛がふさふさと生えている。

 顔どころの騒ぎじゃない、腕も足も、何もかも毛むくじゃら。

 まぁ、簡単に言えば。


「猫の化け物⁈」

「誰が化け物じゃ無礼者っ!」

「いってぇええ!」


 思いっきり杖で叩かれて、僕は叫んだ。

 正直何が何だか分かってなかった。

 

 でもこれが間違いなく僕の人生の分岐点。

 ババ様との出会いだった。

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