第6話 Return Night

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「へぇ………」


 その時竜人は、「すごいな」としか言葉を発することができなかった。

 高校生としての竜人は、至極平凡で平和な学生だった。授業中に睡魔と格闘しながら勉強して、友達と騒いで遊んで……そこそこの成績で卒業して、そこそこ偏差値のある大学に入って、地元のそれほど忙しくない会社で働いて、それなりに幸せで平凡であればそれが幸せだと、勝手に考えていた。


 でもアリゼは、そんな日々に幸せを感じられないという。


「俺は………平凡で平和であることが一番幸せだと思うけどな」

「そういう考え方もあるわ。でも、そうじゃないという考え方もある。平和や平凡の捉え方だって、それこそ人の数だけあるもの。自分の生活観念を、むやみに他人に強制してはいけないわ」

「そ、そう。やっぱ………ゴメン」

「えぇ?」



 突然の竜人の言葉に怪訝な表情を見せるアリゼ。竜人は「い、いや……」気まずげに笑って、



「こうやってさ、召喚されてから料理作ったりとか、家事を手伝ったりとか自分流に色々やってるけど、そういうのって迷惑なのかなって………」

「竜人………ま、待ってちょうだい。まさかそんな誤解の仕方をされるなんて予想してなかったわ」



 アリゼは食事の手をすっかり止めて、竜人の方を真っ直ぐ見やった。綺麗な瞳だな、何て考えて思わず竜人は恥ずかしくなって一瞬視線を逸らしてしまった。



「正直………竜人が喚ばれるってことは〝天竜〟の召喚が失敗してるって意味だけど、だからといって竜人を否定する気は無いわ。こうやって食事とか掃除とかやってくれたり、手伝ったりしてくれるのだって………まあ認めたくはないけど、助かってるし感謝してる。それに………」

「それに?」



 だが、アリゼは二の句が継げずに、竜人に負けず頬を赤く染めてそっぽ向いてしまった。



「………や、やっぱ何でもない! とにかく迷惑だなんてとんだ誤解だわ。意味不明な誤解をされるなんて、そっちこそ迷惑よ!」


 それから先、アリゼは勢いよく食事にがっついて喋ろうともしなかった。竜人も、食事を再開する。

 夕食を済ませた後、空いた食器を片付けて、【ショコラッティエ】のチョコレートケーキの箱をテーブルの上に置いた。箱を開け、中のチョコレートケーキを見た瞬間、アリゼが一層目を輝かせる。



「す、すごい大きいじゃない!」

「1日じゃ食べられないよね。2日に分けて、1人4分の1ずつで」



 小さい4号ケーキだが、二人なら十分なサイズ。チョコホイップを崩さないように切り分けて、アリゼの小皿に乗せるとアリゼはさっさとフォークで一欠片、切り取って口に運んだ。



「おいしい………!」

「【ショコラッティエ】のケーキは人気だからね。こっちの世界ってこういうのあるの?」

「無いわけじゃないけど、お金持ちとか貴族の嗜好品よ。市販のお菓子とかはあるけど」

「ふーん。まあ、俺の世界と同じ感じか。俺もケーキとか滅多に食べないし」



 いつになく幸せそうな表情でケーキを楽しむアリゼに、竜人も自然と笑みが浮かぶ。

 ものの数分で小さなケーキは半分無くなってしまったが、さすがに残りはまた明日。丁寧に箱に入れ直して冷蔵庫へと入れる。



「あぁ………甘い余韻がまだ残ってるわ」

「また、そうだな。12月にも持ってくるよ。クリスマスだし」

「ホントに!? ………って、く………そうやって召喚術を失敗させ続けようったって………ぐぐ………」



〝天竜〟と【ショコラッティエ】のチョコレートケーキを心の天秤にかけて苦悩しているアリゼ。よほど気に入ったらしい。さすが駅前の人気店。

 二人でケーキを食べた後は、ごくごくいつも通りの時間が過ぎた。アリゼはケーキの余韻に集中力をすっかり奪われながらも召喚術の勉強を始め、竜人は食器を洗って片付け、簡単な掃除に、異世界の文字の勉強。


 と、竜人は一冊の分厚い本を手に取った。辛うじて、この世界の神話に関する書物だと表題を理解する。

 ページをめくると、その中に一頭の、白銀のドラゴンの絵が入った頁が目に飛び込んできた。銀色の吐息を大地に吹き付けると、世紀末じみた荒廃した地上がみるみる緑豊かな世界へと変わっていく光景が、描かれている。



「これ………〝天竜〟………?」

「ん? こっち見せて………ええそうよ。天から遣わされし、救済の竜。喚び出され、この世界に現れる度、世界は危機と荒廃から救われたと言われているわ」



 凡人そのものの天竜竜人と、名前以外物理的にも外見的にも一切合致しないその姿は古い絵画であっても神々しさが表現されており、それだけでもどれだけの畏怖と敬意を、この召喚獣が一身に受けていたかがよく分かった。


 世界を救う竜。確かに、これを召喚できれば、世界中の誰もがアリゼの実力を認めざるを得ないだろう。

 そしてその日が来るとしたら………



「あ、竜人。そろそろ時間………」

「ん。分かった」



 時計を見ると、10時50分と少々。間もなく現実世界に帰る時間だ。



 すでに身支度を整えてあったバッグを担いで部屋の召喚陣の真ん中へ。杖を手にしたアリゼがスッと目を閉じて、小さく息を吸った。

 やがて、11時前を時計の針が示した。



「………ギニク……ゾーエ……〈反転〉……ゾーエ……シラヴァナカ………」



 短い詠唱。昨日と同じく召喚陣から光が漏れ、竜人を包み込んでいく。

 今日は、別に何も言わなくていいかな。

 また明日会えるのなら。アリゼは不本意だろうけど。



「ねえ!」



 光に包まれる中、ふと、竜人は自分が呼びかけられたことに気が付いた。この空間には自分とアリゼしかいない。



「なーに?」

「………た、明日………喚ぶから………」



 顔を背けながら、アリゼはぼそり、とそう言ったのだ。その頬は、若干赤みが浮かんでいるようにも………

 驚いて何か言って返そうと思ったが、その時には完全に竜人の身体は光に包み込まれてしまっており、やがてこの世界から消え去り元の世界へと戻っていった。





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