第5話 アリゼの決意
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睡魔に負けかけてようやく6時限目の日本史の授業が終わり、放課後。
駅前まではいつもの4人でワイワイ騒ぎながら歩いたが、スクランブル交差点の所で別れ、竜人は一路、向かい側にあるデパートを目指す。最近できたばかりの全面ガラス張りの建物で、入っているのは誰もが知る有名な店ばかり。人気店にはいつものように長蛇の列ができている。
エスカレーターで地下一階へ。広大なデパ地下に並ぶ店の一つ………【ショコラッティエ】なるケーキ屋さんへ。
「あの。昨日電話した天竜なんですけど」
「はい! チョコレート・ショコラッティエを予約されました天竜様ですね? お待ちしておりました」
ポイントを貯めるために電子マネーで決済し、竜人の受け取りに合わせて作られていた小さなホールのチョコレートケーキが出てくる。ケーキ箱に詰められ、【Chocolattier!】の店名とエンブレムが描かれた手提げ袋に入ったそれを「ありがとうございます」と受け取り、竜人はすぐにエスカレーターを上がってデパートを出た。
バスに乗り、家の近くのバス停で降りて、真っ直ぐ帰宅。
真新しい新築の2階建てだが、父も母も仕事で四六時中海外を飛び回っており、家に帰ってくることは滅多にない。一通りの家事がこなせるようになった小学校高学年の頃からずっとこんな調子だった。
気の合う仲間と放課後ワイワイ騒いでも、家に帰れば一人静かな生活。自分一人でこなす料理洗濯の雑音やテレビの音以外はほとんど入ってこない。すっかり慣れきっていたが、一抹の寂しさや孤独感は拭いようがなかった。一人で過ごすことが何よりも竜人は嫌だった。
だからこそ、毎日午後8時からアリゼに喚ばれることを、いつも心のどこかで心待ちにしている自分がいた。そんなことを言ったらアリゼは不本意そうに口を曲げるに違いないが。
ケーキは冷蔵庫に。軽く家の掃除や勉強をして8時前まで過ごし、パソコンの表計算ソフトで、異世界の方に置いてある食材の在庫を確認。そろそろ醤油とマヨネーズが切れる頃か。
5分前にはいそいそと、保冷剤バッグを用意して向こうで足りない食材や調味料、その後にケーキを中へ。7時50分。
そして、壁に掛けられていた時計の針がきっかり8時を示した時………
「お………」
足下に複雑な紋様が刻まれた輝く円陣が現れ、漏れだす光が竜人を包み始めた。
竜人は保冷剤バッグを大事に抱えて、唐突な浮遊感。
落ちていく感覚の中、遥か向こうに見えるもう一つの円陣……召喚陣目がけて竜人の身体は急激に押し出されていく。
そして………
「やった! 今度こそ完璧………」
「やっほ。お疲れ~」
〝天竜〟を喚ぶための召喚陣の上に天竜竜人が降り立った時、アリゼの表情はありありと、呆然⇒失望⇒絶望⇒憤怒へと目まぐるしく変わっていった。
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これまでで最も緻密に描き上げた召喚陣。円周比率も完璧。
召喚術式には、シバーリア先生のアドバイス通りに対象の容姿に関する新約言語を組み込んだ。
詠唱も一切間違ってない。
注がれた魔力も十分。
召喚術が最も成功しやすい午後8刻時きっかりに召喚を始めた。
それなのに………
「やっほ。お疲れ~」
呑気な顔して、また〝アイツ〟が現れた。
「喚びたいのは………喚びたいのは………アンタじゃぬぁーいっ!!」
「いでっ!」
憤怒に我を忘れて、ポコポコと目の前のアイツ………竜人目がけて杖を振り下ろしまくるアリゼだったが、女の子で大して力のないアリゼに突かれた所で、彼女より少し背が高く体格もそれなりにしっかりしている竜人には大して痛がってない様子で、
「ま、待った待った! ほら………ケーキ買ってきたからさ」
「ケーキ!? やったー! ………ってそうじゃなくて!!」
ケーキなる竜人の世界で人気の菓子。前に竜人が持ってきた時の、口の中でクリームやケーキが甘く溶けていくその感覚が思わずアリゼの脳内で再現されてしまう。
「何でアンタが喚ばれる前提で色々準備してるのよっ!?」
「毎日喚ばれるから」
「うぐぐ~~~~~~~!!」
悔しさに思わず悶絶するアリゼをよそに、「また冷蔵庫に借りるぞー」と竜人はすっかり自分好みに変えてしまったキッチンへと行ってしまう。家事など一切しない(できない)アリゼに代わって、料理に掃除に洗濯………改めて竜人に何かと生活面で依存してしまっている危機感がアリゼを震わせる。
「な、何とかしなきゃ………。いや、それより……やっぱり新約言語と旧約言語には十分な互換性が………? それとも接合の〈解釈〉に問題があるのかも………術式の比率は………」
「今日は晩飯何にする~? 色々持ってきたから好きなの作ってやるぞ」
「あ、じゃあ肉で」
「りょ~」
「ん………って! ああもうっ! すっかり胃袋掴まれちゃったじゃないの!」
ベッドに飛び込んで苦悩するアリゼをよそに、竜人はさっさとキッチンに入って支度を始めた。しばらく、野菜を切る音や肉を焼く音だけが聞こえてくる。それに呑気な鼻歌も。
そうすることおよそ1時間後、
「できたぞ~」
「………はぁ」
「ため息で返事されてもな………」
「……はぁ~」
渾身の召喚術が失敗してすっかりどんよりしたアリゼはテーブルの席に座り、竜人はテーブルナプキンを広げて手際よくご飯と直火焼き肉、サラダとシチューを置いていった。
そのいい匂いに、さすがのアリゼも思わず顔を輝かせて、
「うわ………今日御馳走じゃないの」
「今日は特別な日だからな」
「へ?」
驚いて顔を上げると、竜人は二ッと笑いかけてきた。
「俺が………最初に召喚されてから365日、ちょうど一年になるから。別に、大したことじゃないと思うけど、お祝いした方がいいかなって思って」
「………365日、私が召喚に失敗したことを祝えと」
「うん。ケーキも買ってきたし」
罪悪感の欠片もない竜人の言いようにむぎぎ………とアリゼが悔しげに歯ぎしりしたが、流石に目の前のご馳走やケーキには抗しきれず、
「………まあ、ご馳走が出ることには文句はないわ」
「来年が楽しみだね」
「もう365日失敗させる気かい!」
「冷めるとおいしくなくなるぞ。いただきます」
竜人は自分で作った料理をおいしそうに食べ始めた。
アリゼもしぶしぶと………だが小皿のソースに浸した焼き肉を一口入れた瞬間に自然と頬がほころぶ。
「おいしい………!」
「ケーキが後であるから、量は少なめだけどね。朝と昼はちゃんと食べた?」
「だから召喚術の勉強が忙しいのよ。新約召喚理論の試験は絶対落とせないの。満点取って、飛び級目指してるから」
へぇ~、と感心した様子の竜人に、アリゼはふふんと得意げに鼻を鳴らした。
「実際、飛び級認定はもう近いの。一気に最高学年まで上がって、召喚士認定試験に合格すれば一人前の召喚士よ。………でも、それで終わりじゃないわ」
「?」
「正直、召喚士なんて掃いて捨てるほどいるもの。そんな大勢に埋もれて生きるなんて、嫌なの。召喚士ってだけじゃ、今時どこかの研究所か商会に雇われて、ありきたりな賃金で働かされて終わりよ。………私はもっと、行ける所まで行ってみたいの」
平凡な生活だって、悪くないと思う。小さな商会を営む両親は幸せそうだし、アリゼをリフニール召喚学園に入れるぐらいの稼ぎもある。召喚士になれば安定した仕事と生活が約束される。ここはそういう世界だ。
だが、アリゼは、とことん自分を試したかった。召喚術を極めて、名を挙げて、歴史に残るような実績を残す。そんな自分を夢見ていた。
「………そのために、〝天竜〟を召喚しようとしてるんだ」
「そうよ。歴史上〝天竜〟を召喚できたのはほんの数人だけ。その中に名を刻むことができれば、後世まで私の名前は語り継がれるわ」
「アリゼは、有名人になりたいのか?」
「私は………何て言ったらいいのかしら………私の可能性を試さずに人生を終えたくないの。皆に合わせて平凡で平和に生きるのも、素敵なことだと思うけど、私は……そこに自分の幸せを見出すことはできないわ。本当の幸せを」
アリゼの瞳はどこまでも澄んで、真っ直ぐだった。
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