第3話 役目を終えた召喚獣は、還る。
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「ご馳走様でした」
「………毎回それ聞くけど、摂取された食材に摂取したことを事後報告するって、やっぱり神経質過ぎない?」
「だから日本の文化習俗なんだって」
何だかんだで、すっかり皿の上の料理はすっからかんになり、アリゼに手伝ってもらいながら流し台へと空いた皿を運ぶ。食洗機が無いのがちょっと不便だが、別に二人分だし問題はない。
竜人が食器を洗っている間。アリゼはまた居間のテーブルに書物や紙束を置き始め、その中から分厚い一冊を取って読み始めた。召喚術の原理で灯される照明は少し暗く、竜人は水道の蛇口を止めて、テーブルのランタンのつまみを少し回した。ぽうっ、とテーブルと書物、それにアリゼの表情が照らされる。
「………やっぱり新約言語と旧約言語の互換性は………そもそも前提理論に齟齬が………? まさか、だったら言語理論自体が成立しないはずだし………」
「なんつーか、すごい勉強熱心だよな」
広げられた書物を傍で覗き込むが、異世界の言語でびっちり文章が書かれており、例え文字が理解できたとしても竜人には到底読む気になれないだろう。
「………てか、俺。こっちの文字は読めないのに言葉だけはお互い通じるんだよな」
「そりゃあ、当たり前じゃない。召喚獣と意思疎通ができなかったら言うことを聞かせることもできないでしょ?」
「俺、召喚〝獣〟かよ………」
召喚されたら皆〝召喚獣〟よ。当たり前じゃない。とアリゼはにべもなく書物から視線を動かさずに言い放った。しばらくは、ペラリ、ペラリ、と頁をめくる音だけが聞こえる。
「まだ召喚術が興ったばかりの頃は、召喚獣と意思疎通ができなくて結局元の世界に戻したり、召喚士が襲われたりなんてこともあったみたいだけど。現代召喚術は召喚獣への意思疎通能力を召喚陣に組み込んであるの」
「へぇ。読み書きもできるようになれば便利なのにな」
そしたらこっちの世界の本とか、新聞とか読めるようになるのに。料理本とかあったらこっちの世界の料理だって作れるのにな。
だが、アリゼは少し呆れた様子で、
「あ、あんた………脳に直接知識を書き加えるって、元の人格を破壊しかねない危険なことなのよ。召喚獣への意思疎通能力だって、慎重に理論と理論を重ねてようやく安全な形で完成したものなんだから。ま、結局は地道に勉強するのが一番確実で、安全なのよ」
「………じゃあ、地道に『コレ』からか」
竜人は手近な本棚にあった一冊の薄く広い本を手に取った。
題名は「おやすみ前の楽しいおはなし」。まだ寝る前に読み聞かせが必要な子供向けの本だ。
それと、この世界の初等学校1年生向けの単語集。絵と単語が描かれており、とても分かりやすい。
「えーと………〈ゾア〉が『青空』で………〈シギラ〉が『シギの実』………なぁ、シギの実って何だ?」
「あんたの世界で言う所の『リンゴ』みたいなものよ。前に冷蔵箱に入ってたでしょ? ………てか、こっちの言葉、勉強する気なの?」
「そりゃ、この分だとしばらくお世話になりそうだし」
「………それ、結局の所私の召喚術が上手くいかないって暗に言ってるのよね………」
最初。ある日の午後8時にこの異世界に召喚された時には、それはもう二人で大パニックになったものだ。
―――――な、な、何で〝天竜〟の召喚術式のはずなのに人間が召喚されるのよ!?
―――――え!? ちょ、俺帰れるよな!? まさか一生帰れないとかそんなんじゃないよな!?
―――――そ、それは大丈夫よ。術式を反転させれば元の世界に戻れるの。
―――――じゃ、じゃあさっさと戻してくれよっ!
―――――そんなの出来る訳ないじゃない! この召喚術でどれだけ魔力を消費したと思ってるのよ! 少なくとも3~4刻時間は私の魔力は回復しないわ。
―――――えぇ!? 3、4時間って………金曜映画劇場観れないじゃん! 録画してないのに………。
散々な体験で終わった最初の召喚。結局見逃したブルーズ・ルー主演の最新アクション映画は新作一泊二日700円でTSUYATAで借りることに。
だがその翌日の同じ時間にも竜人は異世界へと召喚される。結局、借りたDVDは観れずじまいで、その次の日にも………
――――――な、何で毎日毎日俺を召喚するんだよ!?
――――――あたしだって喚びたいのはアンタじゃないのよ! 全く……〝天竜〟召喚のための完璧な術式なのに………
――――――天竜? 俺のことか?
――――――はぁ!?
――――――俺、天竜竜人っていうんだ。
――――――それは人名でしょ!? 私が呼びたいのは種族の〝天竜〟の方なの!!
等々の掛け合いがすっかり耳に慣れ、午後8時から11時までは異世界で。それ以外の日常は現実世界で過ごすことが当たり前になり………もうそろそろ1年が過ぎようとしている。
ただ、その間竜人は一度もこの部屋から外に出たことはない。現実世界と異世界のこの一室を行き来するだけだ。なぜなら、
「なあ、やっぱり外に出ちゃダメなのか?」
「もう何度も言わせないで! ダメに決まってるじゃない! 許可なく召喚獣を外に出したら立派な法律違反よ。許可を取るためには一人前の召喚士として認められる必要があるの」
窓の外には現実世界にはない異世界の光景が広がってるというのに、竜人が見ることができるのは窓の外の景色だけだ。
半人前の召喚士に許されるのは、研究の範囲内での召喚術のみ。召喚獣は部屋の中だけで十分監視されて、速やかに元の世界に戻さなければならないらしい。大冒険は、どうやらずっと先のようだ。
とりあえず、さっさと残った食器の後片付けを済ませて再び居間に。少し目を離した隙にもう10冊以上、分厚い本がテーブルの脇に積み上げられていた。
アリゼは、いつの間にか冷蔵庫から取り出したソーダ味のガリッガリ君をシャリシャリ食みながら、何やらノートに書きこんでいる。きっと、召喚術の勉強か、〝天竜〟なる生き物を喚び出すための理論の研究だろう。
食器の後片付けが終わったらその後特にすることはない。明日提出する学校の課題も終わらせてあるし、現実世界に戻ったら風呂に入って寝るだけだ。ちょうど11時過ぎにお湯張りが終わるように設定も済ませてある。
「掃除でもするか」
昨日も掃除したのだが、1日の間にいつも書物や紙束が散らばった状態に戻っている。最初に来た時は、汚れや蜘蛛の巣まで張っており、女の子の部屋とは思えないなかなか酷い状態だったのをよく覚えている。
と、床に散らばった本をかき集めている所でアリゼがこちらに気付いたようで、
「な、何やってるのよ?」
「掃除。てか、少しは整理整頓しろよな」
「それはその場所に置くって決めてるの!」
「じゃあこの本の次の巻は?」
「………………えーと」
ダメじゃん………。
「本だって床に置いたら埃で痛むだろうし、こまめに手入れもしないといけないじゃないか?」
「うぐ………私の買った本なんだから私の勝手でしょ!?」
「まあ、そうだけど………」
正直言って、ただのお節介だ。
それでも、さすがに床に散らばった本や紙束は本棚へと持っていき、本棚にすでに収められている分も含めて埃を払ったり、本棚も軽く掃除し、床も軽く箒で掃く。
その後は、異世界の文字の勉強をしたり、アリゼに質問してみたり(その度に勉強を邪魔されたアリゼに怒られる)、ぼんやり窓の外の夜景を眺めたり。
そうしている内に、壁に掛けられている時計が午後11刻時を示そうとしていた。この世界も現実世界と同じ1日24時間で回っている。アリゼ曰く、不完全な召喚術だと、公転周期が同一の異世界からよく召喚獣が呼び寄せられるとか。
「………もうこんな時間。じゃあ、あんたを送り返すから召喚陣の上に立って」
「りょーかい」
ここに来た時に自分が立っていた、複雑な紋様が幾重にも描かれた円陣の真ん中へと竜人は立つ。
アリゼは、ゆっくりと杖を掲げて、
「………ギニク……ゾーエ……〈反転〉……ゾーエ……シラヴァナカ………」
短い詠唱が終わった瞬間、竜人の足元の召喚陣が眩い光輝を放つ。文字や紋様の一筋一筋から発せられるその光は瞬く間に竜人の体を包み込んでいく。これも最初は驚いたが、今となってはすっかり見慣れたものだ。
「じゃあ、また明日な」
「ええ………って違うでしょうが! 元々あんたを喚んだ訳じゃないの!」
「タッパーの中身、食い終わったら軽く洗ってくれよな。てかちゃんとメシ食えよな。あ、それと………」
「聞けーっ!!」
ぎゃんぎゃん喚きたてるアリゼの声も徐々に遠くなっていく。
そうして竜人はまた、今度は現実世界へと続く光の奔流に身を任せた。
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