第2話 我が真名を呼ぶがいい!


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 高校2年生、天竜竜人てんりゅう りゅうとにはある奇妙な日課がある。

 それは、午後8時から足下がパッと光ったかと思うと、次の瞬間には身体が異世界「ファルナーゼ」へと移動……要は転移してしまうこと。


「そろそろかな………」


 今日も午後8時ぴったり、一人リビングでのんびりテレビを観ていると、唐突に足下に奇妙な円状の輝く紋様が現れて竜人を光で包み始めた。

 いつも通りだ。部屋の中だがシューズを履き、すかさずテーブルの上に置いてあった膨らんだ買い物バッグを取り、次の瞬間、足下が消失して奇妙な浮遊感に包まれた。

 そして、光の中で自分の身体が落ちていくのを感じる。最初は滅茶苦茶絶叫したが、今はもう慣れっこだ。




 何せ、かれこれ1年前からずっと、ほとんど毎日同じ現象が起きているのだから。




 光の奔流の中で落下する中、やがて足下に先ほどと同じような紋様で満ちた円陣が現れる。あそこが目的地だ。

 トン、と着地し、しばらく光の膜のようなものが周囲を包み込むが……すぐにバッと取り払われる。

 そして、自分を呼び出した少女……アリゼと対面を果たすのだ。



「よっす。天竜竜人でーす。お疲れさん」



 ただ、彼女の方は俺をお喚びじゃなかったようで、いつも………






「喚びたいのは………喚びたいのはアンタじゃなーいっ!!」






 とポコポコ手に持つ魔法の杖で頭を叩かれてしまうのだ。竜人は慌ててバッグでそれを防ぎながら、



「ま、待った待った! ホラ、アイスいっぱい買ってきてやったから」

「ホントに!? ガリッガリ君は? やったぁ! ………じゃなくて!」



 まだ保冷剤が固まっている買い物バッグから取り出したガリッガリ君に飛びつくアリゼだったが、すぐに我に返って、



「何でいつもアンタが来るのよっ!? 私が召喚したいのは〝天竜〟であって………」

「俺、天竜」

「人名がでしょ!? 私は種族の〝天竜〟を呼びたいの! ああもう………どこで間違ったのかしら……やっぱりいきなり新理論を加えるのがまずかったのかそれとも………」

「あ、冷蔵庫使うぞ。他にも色々買ってきたから」



 ぐちぐち独り言に沈み始めるアリゼをよそに、天竜は保冷剤が溶ける前に買い物バッグの中身………アイスの他にも買ってきた肉やら野菜、足りなくなってた醤油、ドレッシング等々を、小さなキッチンにある冷蔵庫に入れ始めた。冷蔵庫……と言っても、この世界で発達している〝召喚術〟なる魔法で寒冷化した異世界と繋ぐ小さな〝穴〟を空けて、その冷気で中のものを冷やす仕組みらしい。キッチンの他の調理器具も似たような仕組みだ。



 この異世界「ファルナーゼ」では科学も地位を得ているものの〝召喚術〟まる魔法を土台とした文明が成立しており、窓の外を見れば、産業革命期のヨーロッパの都市のような、それでいてどことなくスチームパンクを感じさせる不思議な街並みが広がっている。



「………あ、作り置きしたのが残ってる。なあ、ちゃんとメシ食ってるか?」

「今、新約召喚理論の試験が近くてそれどころじゃないのよ。………やっぱり新約言語を加えずに旧約だけで………」


「腹が減ってたら頭も働かないだろ? ちょっと今からメシ作るから………」

「アイス」

「それは晩飯の後な。先に食ったらアイスの余韻で晩飯の方が変な味になるぞ」



 うーっ、とアリゼは数分身悶えたものの観念して、先ほどひったくったガリッガリ君を冷蔵庫に戻した。

 さて、と竜人は晩飯の準備のために冷蔵庫から食材を………



「………って、ちがーうッ!!」

「で!?」



 またしても杖でポコポコ叩かれ始めて竜人は慌てて腕で頭を守った。アリゼはほとんど涙目で、



「私が喚びたいのはアンタじゃないの! 何でしれっと私の生活に溶け込んでるのよ!?」

「………いや、1年も繰り返し召喚されつづけたらこうなるだろ」

「ならないっ!」



 あーもうっ!! とアリゼはすっかりふてくされて、向こうのベッドへと飛び込んでしまった。バサバサと、ベッドの上に散らばっていた本が弾みで床に落ちる。

 後で片付けしないとな。

 その後、しばらくはトントントンっ、という軽快に野菜を切る音や、ジューっ! という肉を焼く音。それと向こうでアリゼが懲りずにブツブツと何かを言っている声だけが聞こえてくる。夜の帳が落ちた街並みも、街灯や窓から漏れる明かりで彩られているが静かなものだ。



「今日のご飯なーに?」

「ご飯と野菜炒めとポテトサラダ。ギョーザと味噌汁」

「ん、分かった………ああもうっ! すっかりアンタがいる生活に馴染んじゃったじゃないの!!」



 んがー! とベッドの上でまたしてもゴロゴロ身悶え始めるアリゼに構わず、炒め終わった野菜炒めを二人分の皿に。その後冷蔵庫から取っておいた、ポテトサラダが入ったタッパーを開けて、これもそれぞれの皿に取り分ける。

 驚くなかれ。この異世界には辺境の辺境の文化ながらも米食文化があり、さらには炊飯器(に似た何か)もある。味も日本のコメに近く、日本人の竜人でも違和感なく食べることができる。



「テーブルの上、片付けておいてくれよ」

「分かったー。………はぁ」



 もう同居人が当然のようにいる生活が染み付いたことに諦めきった表情で、アリゼがテーブルの上から分厚い本や紙束、それに極彩色の何かが入った瓶を奥の部屋へと持っていく。

 ここは、アリゼのような召喚士見習いが学ぶ学園の女子寮だという。間取りは1LDKで居間がやや広め。所狭しと本棚がひしめきあっていて、一時期にはキッチンにすら召喚術に関すると思しき書物が積み上げられていた。さすがに今は違うが。



「できたぞー」

「んー。………はぁ」



 テーブルナプキンを広げて、ご飯、肉と野菜炒め、ギョーザ、味噌汁といったごく一般的な日本の家庭の料理が異世界の一室で並べられていく。



「んじゃ、いただきます」

「………毎回聞くけど、食べ物にまで感謝するって、ちょっと神経質すぎない?」

「日本の文化習俗なんだよ」



 こちらの世界には食べ物は食べ物で、農家に当然の敬意は持っているものの、いちいち「いただきます」「ごちそうさま」を言うことは無いらしい。

 とにかくも空きっ腹を抱えた二人とも夕飯へとがっつき、



「はぁ~。一日ぶりのまともなご飯………」

「作り置きしてたのに食ってなかっただろ」

「だから新約召喚理論の勉強で忙しかったんだって。シバーリア先生とも朝からずっと議論してたし」



 アリゼは、一度物事に集中すると寝食も忘れて熱中するきらいがあり、毎回注意しているものの、自分が来るまでまともに食事も摂ろうとしないのだ。最初にこちらに召喚された時、目に隈を溜めてひどく不健康そうな表情だったのを覚えている。

 だから、慣れてくると召喚される度に食材や調理器具を持ち込んで夕飯だけは食わせるようにしたのだが。



「喚びたいのはアンタじゃないのに………」



 感謝はされない。まあいいけど。



「てか〝天竜〟って何だよ」

「前にも教えたじゃない。大昔……500年前の三大陸戦争の時に世界の危機を救った伝説の竜よ。天界からの使者で、全てをねじ伏せる力と、全てを救済する力を持つ………」

「救済って、誰か助けてほしい奴でもいるのか?」

「別に。あたしは〝天竜〟を召喚して一気に名を上げたいの。普通に召喚士見習いしてたら一人前になるまで最短でも10年かかるもの。さっさと実力を見せつけてこのローブに金の刺繍を入れてもらうのよ」



 ふふん、と得意げにつまみ上げるローブは黒の無地。一人前になればその実力に応じた色の刺繍が施されて、かなり見栄えがよくなるらしい。最上が金色という。



「ま、何にせよ食事はちゃんと摂れよな。今は俺が来てるからまだいいけど………」

「そうよね………って、だからアンタが召喚される事自体が召喚が失敗だって言ってんの! 何フツーに毎日来る前提で話してんのよ!?」

「毎日来てるから」



 むぐぐ………とぐうの音も出ないアリゼだった。



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