パパラッチラット【グレートブリテン及び北アイルランド連合王国ロンドン】

 西暦1999年8月。

 グレートブリテン及び北アイルランド連合王国ロンドン。


「バーンズ、例の大学教授の取材はどうだった?」

「さっぱりですね。やっぱり、何も分かってないみたいで」


 英国の首都ロンドンにある小さなローカル新聞社のオフィスで、数人の男達が取材内容について話していた。話題は先月世界を揺るがした“声”についてである。

 普段は有名人のゴシップやスポーツ関連の話題が中心の紙面も、ここ一ヶ月は“声”に関する記事がほとんどだ。著名な大学教授や市井の研究者、宗教家などに取材を申し込み、彼らの見解や推測を載せると、新聞は飛ぶように売れる。


 とはいえ、売れ行きに反して事態の解明は全く進んでいないのが現状である。


 しかし、無理もあるまい。

 世界中の人間が聞いた声だけなら、どこかの国が極秘裏に開発した音波兵器だとか(無理矢理な感は否めないが)理屈を付けることは出来なくもないが、“声”以降地球全土に適用された「レベル」や「魔物化」などのルールは、明らかに既存の科学技術とは一線を画した現象だ。

 いかなる科学者であろうと、否、民間人以上に既存の学問知識を重んじる者こそ混乱は深いことであろう。



「俺は得した気分ですけどねぇ」


 だが、誰もが皆思い悩んでいるワケではない。

 記者バーンズは元々物事を深く考える性格ではなかったおかげか、呑気にレベルの恩恵を受け入れていた。

 レベルは18と周囲と比べたら特別高くも低くもないが、それでも大幅に向上した身体能力のおかげで会社の階段を歩いて上がっても息切れしないし、明け方まで深酒しても二日酔いもせず、すっきり目覚められる。単純や筋力だけでなく、内臓の機能や新陳代謝も良くなっているのだ。


 人によっては急激に強くなりすぎた身体を不気味に思い、病院には精密検査を求める人の列が未だに出来ているようだが(もっとも、検査を受けたところで原因が判明した例などないのだが)、こんな身体の異常なら大歓迎だと言う者がイギリス国内でも大勢を占めている。


 腰の曲がった老人や寝たきりだった病人も快癒する例が相次いでおり、ロンドン市内のスポーツクラブなどはどこも盛況である。レベルにはこれまでの人生で蓄積された経験の総量が反映されるので、必然的に長く生きてきた老人ほど高レベルになる傾向があるようなのだ。



「けどよ、レベルは良い事だとしても魔物のほうはどう思うよ?」

「ああ、俺らもヤバかったからなぁ」


 レベルというルールの導入に関しては、アンケートでも肯定的に捉える意見が大半だった。

 しかし、人に害を及ぼす魔物という存在に関してはその限りではない。

 悪人が確実に裁きを受けるという観点から見れば悪いばかりでもないのだが、その基準に不明確な部分が多いのも確かである。


 例えば、「嘘を吐く」という行為。

 これだけならば、必ずしもカルマ値の向上に繋がるとは限らない。会話のエッセンスとして軽い冗談のように言うだけなら悪事とは見做されない。むしろ、他人を喜ばせるような嘘に関してはカルマ値の減少に繋がるくらいだ。

 もし嘘が完全にアウトならば、ある意味では嘘を吐いて人を騙すのが商売のマジシャンや推理作家は全員廃業である。


 だが、悪意ある嘘。

 例えば、真偽の確かでない噂を煽って他者を貶めようとしたりだとか、詐欺行為などは例外なく悪事と判断される。その判断を下しているのがどこの誰かは不明だが、その判定基準を誤魔化せたという話は、現時点では噂レベルですら一例も存在しない。


 それでカルマ値が一定量を超えれば魔物化である。

 嘘によって騙した人数が多ければ多いほどカルマ値の上昇量は高くなり、不特定多数に対し情報を発信できるメディア関係者は非常に危うい立場であった。


 実のところ、バーンズが勤める新聞社の前社長をはじめ、上司や同僚の何人かもネズミ型の魔物になって暴れ、出動した軍によって退治されてしまったのだ。

 魔物化した記者達は皆、世間ではいわゆるパパラッチと呼ばれるような人間で、芸能人や著名人の周囲をストーカー同然の手段で嗅ぎ回り、ある事ない事関係なく記事にするような連中だった。まあ、身内から見ても善人とはとても呼べない人種である。

 前社長やゴシップ記者の上司は直接取材をしていたワケではないが、悪意ある記事や捏造を容認していたという点では同罪ということだろう。


 彼らが変貌した魔物は、暫定的に『パパラッチラット』と呼ばれている。

 サイズはげっ歯類最大のカピバラより更に倍近くの巨体。それでいながら逃げ足は、大型バイク並みの素早さである。

 人間や他の魔物の周囲をこそこそと嗅ぎ回る姿は、ある意味では生前の姿によく似ていると言えなくもない。

 決して強い魔物ではなく、複数の相手を前にすると一目散に逃げてしまう。

 だが、狙った獲物が単独行動をしていたり弱そうならば、あえて姿を見せたり物音を立てたりして精神的に疲弊させ、疲れきって眠りに落ちたところで襲い掛かるという合理的な、人間的な倫理観からすると卑怯な習性を持つ。恐らく、変異前の精神構造に由来する性質なのだろう。


「ま、正直にしてりゃいいだけの話だろ」

「違いない。さ、仕事仕事」


 英国に限らず、“声”以降各国のマスメディアは一切の捏造や偏向報道を行うことはなくなった。特定の思想を強制するような内容についても同様である。


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