球豚鬼【中華人民共和国香港特別行政区】
西暦2000年5月。
中華人民共和国香港特別行政区。
「皆さん、おはようございます」
「「「おはようございます」」」
クラスメイト達と一緒に元気良く返事をする
先月の入学式からまだ日が浅いが、既に多くの友達もできており、学校生活を楽しむ余裕もできていた。
算数の授業は少し苦手だったが、それでも親や教師に聞きながら根気強く頑張ったおかげだろう。先週にはレベルが3に上がり、それ以来やけに思考が明瞭でスラスラと内容が頭に入ってくる。今では勉強が楽しく感じられるほどである。
前年の7月以降、全人類に降りかかったルール変更の影響は世界各国に多大な影響をもたらしたが、年若い子供達ほど思考が柔軟なせいか馴染みが早い傾向があった。レベル制のシステムも、ビデオゲームやパソコンに親しんでいる世代には理解しやすいものだったようだ。
反対に中高年以上の世代は、それまで慣れ親しんだ世界からの変化に落ち着かない者が多いようだが、それでもレベルの恩恵による思考力の増大の助けもあり徐々に混乱は落ち着いてきている。
「では、皆さん。隣の人と状態を見せ合って確認するように。カルマ値が増えている人がいたら隠さずに先生に教えてください」
毎朝の授業前には、カルマ値の確認という習慣がある。
現在の能力、レベル、カルマ値の蓄積量などは知りたいと意識すれば、任意の皮膚上に文字列として浮かび上がる。
これは“声”以降に全地球人類が獲得した能力で、視力が無い者でも音声として、視聴覚の両方に不具合がある者でも触覚等を通じて誰でも自分の状態を確認することができるのだ。
そして、ここ香港の初等学校を含め世界各地の教育機関では、小まめなカルマ値の確認が義務付けられていた。無論、子供達が魔物に変異するのを防ぐためである。
幼い子供が魔物化するほどの重犯罪を犯す可能性は高いとは言えないが、こうして幼い頃から確認を習慣化して将来的な予防に繋げるのが狙いである。
魔物という存在の脅威を考えれば、決して杞憂とは言えないであろう。
“声”から十ヶ月が経過し、今では多少落ち着きを取り戻しつつあるが、中華人民共和国は魔物によって国家滅亡の淵にまで陥ったのだ。
“声”が聞こえたその日のうちに、中国の最高権力機関である中国共産党の幹部連は、そのほとんどが凶暴な魔物と化した。
レベルには、個人がそれまでの人生で積み重ねた努力が反映され、また人間が変異した魔物についても同様である。腐敗して不正が横行していた党内であっても、彼らがそこに至るまでの努力が無くなるわけではない。コネと運だけで特権階級に至った低レベルの者は弱い魔物になったが、高レベルの強力な魔物へ変貌する者も少なからず存在したのだ。
特に、『球豚鬼』という巨大な豚の鬼は別格の存在であった。
外見は極度に肥満した、ほとんど球状に近い豚の姿。
足は一応四本あるが、体格に対して短すぎるので歩行は不可能である。
一見コミカルにも感じる姿だが、球豚鬼は非常に厄介な能力を有していた。
動きは鈍重だがひたすらに生命力が高く、弾力のある脂肪が物理的な攻撃を無効化してしまう。そして、無限とも思える食欲で周囲の全てを食い尽くしてしまうのだ。
コンクリートの建物、燃料が入った自動車、人間や他の魔物まで、なんでも食べて消化吸収し、レベルと体格が際限なく成長していくのである。
混乱の中で出動した軍隊も、当時はまだ元人間である魔物を攻撃して良いものかの判断が即座に出来ず――――なにしろ、化け物とはいえ元は国家の最高権力者達。迂闊に攻撃して後で責任問題にでもされれば、指揮官の首では到底収まらない――――結果的に初動が遅れ、北京や上海、そして香港などの大都市圏は多大な被害を被ったのである。
同様の被害は他国でも同時期に相次ぎ、中には国家体制の維持が不可能になり解体にまで至った例もあった。
2000年1月に国際会議で魔物への対処において『元になった人物が誰であろうと、攻撃した者が罪に問われることはない』という決定がなされ、ようやく迅速な対応が可能になったのである。
だが、いくら攻撃していいことになったとはいえ、それほどに厄介な球豚鬼をどのように始末したのだろうか?
結論から言うと、中国各地に出現した球豚鬼はまだ一匹も死んではいない。
流石に核兵器は試していないが、ミサイルや銃弾や高レベル者による近接攻撃、そのいずれを用いても殺処分は不可能だったのだ。
毒餌を喰わせる作戦も実行されたが、鯨や他の魔物であれば即死するような猛毒も、球豚鬼にとっては餌に過ぎない。文字通り、この魔物に消化吸収できない物質は地球上に存在しないのではないかと推測されている。
餌になりそうな建物や他の魔物を遠ざけても、地面の土を食べたり海水をガブガブ飲み始める始末である。栄養効率は良くないようだが、兵糧攻めをしても餓死させるのは地球上では不可能。高層ビル並みのサイズに成長した巨体を宇宙に放逐できるだけのロケット技術はどこの国にも存在しない。
そこで、メンバーが一新された新政府の面々が苦肉の案として提案したのが、球豚鬼との共存、利用する道であった。
「では、皆さん。教科書を開いて。麗花さん、38ページを読んでください」
「はい、先生」
教師に指名された麗花が起立して、教科書の文章を読み始めた。
内容は、今年の教科書から載るようになった新しいゴミ処理の方法についてである。
詳細な内容は一年生にはまだ難しいので表面的な内容だけであるが、教科書には要点を押さえた簡潔な記述がされていた。
教科書に載っているのは、深い穴の断面図とその底にいるデフォルメされた豚のオバケのイラスト。そう、なんでも食べる球豚鬼を現在のこの国ではゴミ処理に利用しているのである。
食べ物がなければ転がりながら移動する球豚鬼も、充分な餌があればあえてその場から動くことはない。
家庭ゴミ以外にも廃棄が面倒な薬品類や機密書類、軍事機密の塊である兵器や放射性廃棄物であろうとも、なんでも残さず食べて綺麗さっぱり消化してくれるのだ。考えようによっては、これほど便利な存在もないだろう。
「『――――だから、わたしたちは良い子にして、オバケにならないように注意しましょう』」
「はい、よく読めました」
このように、かつての指導者達は「こうはなりたくない」という反面教師として、今日も故国の為に尽くしているのである。
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