ヘブンリーマタンゴ【メキシコ合衆国旧首都メキシコシティ】

 西暦2004年12月。

 メキシコ合衆国旧首都メキシコシティ。


 旧世紀末の“声”以降、それまで年々勢力を強める麻薬マフィアに脅かされていたメキシコの状況は一変した。マフィアの構成員、各組織のボスから末端の売人まで、その大半が知性のない魔物へと変異してしまったのである。

 これでは最早組織の維持は不可能。

 もっとも、そもそも麻薬売買はカルマ値の上昇量が非常に大きく、構成員を失わずとも以前と同様の活動は不可能だったであろうが。


 なんにせよ違法組織の根絶、それ自体は『良い事』に違いない。

 未だ不可解な点が多いが、人間では為し得ない悪人の廃絶を理由に、あの“声”やその後の変化を肯定的に捉える国民も多い。


 しかし“声”が原因で起きたのは『良い事』ばかりではない。

 反対に『悪い事』、ルールの変更が無ければ絶対に起こり得なかった事件が発生しているのも事実である。なにしろ、このメキシコシティが廃都となった原因は、とある凶悪にして強大な一匹の魔物が原因なのだから。







 ◆◆◆







「よお、ルイス。装備の調子はどうだ?」

「悪くない。こんな棒っきれで戦ってこいって命令された時は辞めたくなったがよ」

「ああ、違いねぇ」


 メキシコシティをぐるりと囲むフェンスの外側で、メキシコ陸軍に所属するルイスとアンドレは哨戒任務に当たっていた。

 だが、基本的に見張りというのは敵が来るまでヒマなもの。上官の目も届かない現状、雑談が始まったのは自然の摂理と言えよう。

 最近の話題はもっぱら、先週現場に支給されたばかりの新装備についてだ。


 二人が持っているのは中世の騎士が持つような時代錯誤の両手剣トゥーハンドソード

 材質こそ頑丈極まるチタン合金製であるが、以前までの主武装であった銃火器類に比べて頼りなく感じてしまうのは仕方のないことだろう。


 だが、実際に魔物と戦うとなると拳銃や軽機関銃では有効打を与えるのは難しい。

 高レベルの強力な魔物ともなればバズーカ砲にすら耐えかねないのである。

 それほど強い魔物でなくとも個人携行可能なサイズな銃器では苦戦は必至。どれほど使い手のレベルが高くとも、威力を火薬量と弾丸の口径に依存する武器ではカタログスペック以上の威力は出せないのだ。

 故に、使用者の筋力をそのまま破壊力に転化できる近接武器が採用された。

 現場の兵士達は最初何かの冗談か間違いだと思ったが、軍の上層部や科学者が大真面目に議論して出した結論である。どれほどヘンテコに思えようと下っ端としては従わないワケにもいかない。


「ん……おい、来たぜ」

「五匹だけか。さっさと片付けるぞ」


 アンドレが魔物の接近に気付いた。緑色の肌をした醜悪な顔付き、正確な分類までは不明だがゴブリン系の雑魚のようだ。ルイス共々抜剣し、油断なく構えた。


 剣の扱いについては陸軍のお偉方が日本ジャパンから招いたという剣道ケンドー達人センセイに先月から教わっている。その講師役の剣道家はメキシコ陸軍制式装備の両手剣を見て、何だかとても複雑そうな表情を浮かべていたが、ルイス達にとっては関係のないことである。武器に対するこだわりとか伝統とか色々あるのだろうが、要は魔物を効率的に殺せればいいのだ。


「よっ、と」


 教わったばかりのスリ足で素早く近付き、そのまま反応される前に接近。普段からの訓練と任務による実戦を重ねた二人のレベルは、どちらも既に80を超えている。この程度の相手なら仮に五匹が五十匹だろうと瞬殺である。


 危なげなく処理を終えると通信機で本部に連絡した。

 間もなく専用のトラックがゴブリンの亡骸を回収にくるはずだ。回収可能な魔物の死骸は国の研究機関や大学で研究材料として扱われるのである。


「……にしても、よく来るなぁ魔物」

「新聞で読んだけどよ、アレの胞子が魔物にとっちゃ麻薬ヤクみたいに効くらしいぜ?」


 ルイスが言う「アレ」とは封鎖されたメキシコシティの中心にいる一体の魔物。その名も『ヘブンリーマタンゴ』というちょっとした山くらいのサイズがある極彩色のキノコ。


 キノコだけあって自力での移動は不可能だが、撒き散らした胞子で他の魔物を寄せ集め、そのまま極度の酩酊状態に陥れることで養分兼苗床として利用する性質を有している。

 元になった人間は壊滅した麻薬組織の構成員の誰かだと考えられているが、正確な正体は不明。

 麻薬をばら撒いて己の養分とするような性質は、変異前の思考形態が影響して獲得されたものと推測されている。

 また、魔物ほどには効かないが、普通の人間でもある程度以上キノコに近寄ると薬物中毒のような症状を引き起こすことが確認されており、迂闊な手出しは出来ない。


 そしてこれが肝心なのだが、魔物が魔物を殺してもレベルが上がるらしく、ヘブンリーマタンゴの2004年現在における推定レベルは800前後。監視衛星が24時間体制で成長具合を観察した結果から推測した予測値なので、恐らく大きく外してはいないはずである。他の多くの魔物と同じように、ヘブンリーマタンゴもまたレベルの増大に比例して成長を続けているようなのだ。


 住民の避難が完全に済んだ頃にメキシコ空軍が空爆による排除を試みたが、空対地ミサイルの直撃でも表面が焦げた程度。攻撃を行った戦闘機のパイロットは、コックピット内に胞子が侵入して前後不覚の状態に陥り、そのまま墜落したことが通信内容によって明らかになっている。

 後に実験で明らかになったのだが、現代科学の産物であるガスマスクや密閉式の乗り物では、ヘブンリーマタンゴの胞子に対し充分な防御性能を発揮しないのである。また無人機や誘導ミサイルなどの電子回路も胞子の中では故障が頻発し、有効打にはならなかった。


 陸軍が戦力の半数以上を廃都の包囲と警戒に充てていても、魔物の侵入を完全に防ぐことは困難。出来ることといえばフェンスと人海戦術でメキシコシティに侵入する魔物を減らし、少しでも成長を遅らせる対症療法のみ。


 ヘブンリーマタンゴを排除する為の有効手段は、発生から二十年が経過した2019年時点においても未だ見つかっていない。


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