ジョックオーガ【アメリカ合衆国ニューヨーク市】


 西暦2019年、アメリカ合衆国ニューヨーク。

 地元の高校に通うトムは、目の前の人間がひしゃげて変異するのを前に腰を抜かしていた。


「し、しまっ……トム、助け……」


 人間の姿を失い魔物に変わりつつあるのは、アメフト部の主将マイケル。

 いわゆるジョックであるマイケルは普段から取り巻きの子分を引き連れて、数学オタクナードのトムや他のおとなしい生徒をイジメていた素行の悪い人物であったが、その末路がこれである。


 普段から少しずつ溜まっていたカルマ値の蓄積量を見誤っていたのだろう。

 一度カルマ値が増えても変異に至る前であれば、ボランティアや寄付などの善行によって蓄積したものを減らすことができると判明している。

 だが、マイケルはカルマ値の確認を面倒がって怠っていたのか、もしくは取り巻き達の手前、チマチマと善行を積むのが格好悪いとでも思っていたのか……恐らくは両方だろう。もっとも、今となっては原因などに意味はないが。


「マイケルが魔物になったぞ!」

「みんな逃げろ!」


 元マイケルの取り巻きだったジョック連中やチアリーダー達は、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまい、この場に残るのはトム一人である。


「ぐるるる……!」


 マイケルだった生物は、変異を終えると同時に完全に自我を失ってしまったようだ。

 元々200cmもあった体格は更に巨大化し、廊下の天井に頭が当たって窮屈そうにしている。


 肌は金属のような光沢を帯びた赤銅色。

 頭には鋭いツノが何本も生えており、鋼鉄だろうと簡単に穿つであろう鋭さを感じさせた。

 典型的な『ジョックオーガ』の姿である。

 魔物の強さは元になった人間のレベルに依存するが、アメフト部で日常的にトレーニングを積んでいたマイケルはそれなりのレベルに達していたのであろう。あるいは、そのレベル由来の怪力が彼の粗暴さに拍車をかけていたのかもしれない。

 

「に、逃げないと」


 元々マイケルだったジョックオーガは、あまりに大柄なせいで足下のトムには気付いていなかった。このまま物音を立てずにフロア端の階段まで行ければ、そのまま逃げ切れるかもしれない。大柄すぎる体格も狭い校舎内では不利に働くはずである。

 それにトムも、同年代の学生に比べたら決してレベルが低いほうではないのだ。

 レベルを上げるには魔物を殺すのが最も効率が良いが、それ以外になんらかの努力によっても上げることができる。スポーツでも勉強でも分野は関係ない。とにかく、何かしらの努力をすればレベルが上がるのは現代では常識である。

 州の数学コンクールでチャンピオンになったことがあるトムは、当然普段から机やパソコンに齧り付いて勉強をしており、既にレベル18に達している。

 スポーツ系の連中とは伸ばしている能力の方向性が違うので、同レベル帯の人間と身体能力を比べたら勝ち目は薄いだろうが、それでも前世紀までのオリンピック選手程度の能力はあるはずなのだ。まあ、その筋力を十全に活かしきれるかというと、それはまた別の問題なのだが。


「……頼むから気付くなよ、マイケル」


 ジョックオーガは天井にツノが刺さってしまい、不愉快そうに首を振っていた。

 崩れ落ちた建材や大量のホコリで廊下は酷い有様になっていたが、それらが目隠しの役割をするお陰で、目を盗んで移動するには悪くない状況だ。魔物の視線も上手い具合に上を向いている。


「もうちょっと……っ」


 トムは慎重に床を這い進み、あと一息で階段へ逃げ込める位置までやってきたのだが、ここでアクシデントが発生した。

 

「は、ハックション! あ、ヤバッ!?」

「グォオオ!」


 大量に舞っていた粉塵のせいで、クシャミが出てしまったのだ。

 ジョックオーガも当然逃げようとしていたトムに気付き、人間を殺傷しようという本能に従って廊下の端にいるトムに向け走り出した。


「ヒッ」


 小さく悲鳴を漏らし、思わず目を瞑ってしまったトムだったが、不思議といつまで経っても痛みはやってこない。代わりに聞こえたのは、大きなモノが崩れ落ちるような重低音。

 恐る恐る目を開けたトムの視界に飛び込んできたのは、


「ヒュウ、危機一髪だったな少年ボーイ!」

「え……た、助かった?」


 床に倒れ伏す魔物と、ニューヨーク市警の制服を着たラテン系警官の姿。

 状況から判断するに、この警官が市警の制式装備である日本刀サムライソードを一閃して、ジョックオーガの頑丈な身体を切り裂いたようだ。

 高レベルの魔物は銃弾を避けたり、そもそも当たっても致命傷にならないことが多いので、ある程度以上のレベルに達した警官は時代錯誤にも見える近接武器を使用したほうが効果的なのである。

 随分と到着が早かったが、きっとトムを見捨てて逃げた誰かが警察に通報したのだろう。


「立てるかい少年ボーイ?」

「あ、はい……バイバイ、マイケル」


 警官に手を引かれ立ち上がったトムは、元はマイケルだったモノの死骸に向け一言呟くと、フラフラとした足取りで荒れ果てた廊下を後にするのだった。



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