第19話 ガータロさんは祟る

 前話の怪談提供者である富市さんもかなりお年を召した方だったが、私にはもう一人、忘れられない高齢の語り部との出会いがあった。

 お名前は徳三さんとしておこう。10年ほど前のことである。


 私が、やはりスナックで話の合う友人と怪談について談義していた時だった。

 話が興に乗ってきた絶好のタイミング。しかしその時いきなり大声で、「そんな辛気くさい話は辞めぇい!」と我々は怒鳴られたのである。

 びっくりして声の方を見ると、真っ赤な顔で焼酎の水割りを飲んでいるかなり年季の入ったお年寄りの姿が見えた。失敬な例えだが、ダチョウそっくりのお顔であった。

「ここは、みんなで楽しく酒を飲むところだぞ。そんな陰気な話は辞めぇい!」

 そういう意味のことを、凄まじい方言口調で仰っておられる。

「あらあら、徳三さんはもう」

 と、そこでスナックのママさんが、取り繕うようにホホホと笑う。

「この方、こう見えて90歳近いご高齢なのよ。ウチの長老みたいなものよ」

 ええ、90歳!私と友人は、頭っから叱られたことも忘れてその年齢に感心した。


 そんなお年なのに元気ですねぇ、人生の大先輩だ、いろんなことを知っておられるのでしょう・・・と我々が持ち上げると、すっかり徳三さんはいい気分になったらしかった。

 オレは何でも知ってるぞ、生き字引だ、と胸を張るようにして笑い、


「よし、兄さん方にガータロさんの話をしてやろう!好きなんだろ、そういうのが」


 ガータロさん?と私のツレは首を傾げたが、これはいわゆる〝河童〟の方言である。河童の別名〝河太郎〟が、更に訛ってガータロとなる。

 いくら何でもそれは民話なんじゃないですかとこちらは思ったが、何かのスイッチが入ってしまった徳三爺さんはもう止められない。

「あれはオレが二十歳にならんくらいの頃だった!マサジはもう嫁を貰っておったがな」

 さぁショータイムの始まりだぜ、といった得意げな表情で、彼の物語は はじまった。


  ※   ※   ※   ※


 1930年代の話になる。

 当時、徳三さんが住んでいた集落に、マサジという同い年の友人がいた。

 剛胆を絵に描いたような人物で、しかも今でいうイケメン。

 あれの男っぷりは、男でも惚れるようじゃった と徳三さんは何度も仰っておられる。

 早いうちから嫁を娶り、他人の二倍も三倍も仕事をした。若い衆のリーダー的存在で、マサジが言うことは何でも通るほどの若き名士だったという。


 ある日、マサジは寄り合いに出て、遅い帰り道を歩いていた。

 月も無い真っ暗闇の夜道。今と違って、提灯をぶら下げながらの帰路である。

 と、見慣れた池の端を早足のマサジが通り過ぎようとしたその時、


 ばしゃん。 ぴっちゃ、ぴっちゃ、ぴっちゃ――


 池の方から、いきなり 不審な水音がした。

 肝の据わったマサジも流石にビクッとしたという。慌てて提灯の光をかざす。

 初めて見る、二本脚で立った生き物がいた。

 マサジより頭一つ背は低かったが、体つきは妙にガッシリしており、緑色の体表がヌラヌラといやらしい光を反射していた。

(ああっ、これがガータロさんかい?)

 スッポンそのものの顔つきを認めた時、とっさにマサジはそう思った。目つきがまるで猫のように愛くるしかったのには、少し拍子抜けを覚えたという。

 髪は水草のようなざんばら。しかし、集落のジジババから夜語りに聞いていた通り、頭の上には皿のような白いものの存在が見て取れる。


 ガータロさんは、姿勢を低くして「ぷーふぉ、ぷーふぉ」と変な声を出した。

 そう言えば、ガータロさんは相撲が好きだと聞いたことがある。ほぅ、この腕自慢の俺様と相撲をとりたいってわけか、とマサジはせせら笑った。

 いいだろう、と提灯を傍らに置き、見合いの体勢に入る。

 「むぐぐぐ」とガータロさんはくぐもったように呻き、


「◇*″▲仝♂\々_〆〆☆〒~@#――!!」


 もはや判読すら不能だったが、それが「はっけよい、のこった!」であることはマサジにもわかった。

 二人はがっぷり四つに組む形となって、闇の中で睨み合った。


 ガータロさんは えらい強かったらしい、と徳三爺さんは言った。

 ただ力が強いだけでなく、身体がぬらぬらしているので掴み所もなく、またその体臭がひどく生臭いのには閉口した、とマサジは後に徳三さんへ語っている。

 しかし、

 マサジは勝ったんだなぁ、と徳三さんは唸りながら言った。


 小手先の技が通じなかったので、力任せに投げ転ばせたのだという。

 土を舐めたガータロさんは、「うーふ、うーふ」と情けない声をあげた。

 どんなもんだい、とマサジは胸を張った。

 勝利の息切れが、肩をふるわせた。

 ガータロさんなんぞより、俺は何倍も強いのだ、と心が昂ぶったらしい。

 そして――


  ※   ※   ※   ※


「マサジめ、ガータロさんを殺しよった」


 我々二人が「えっ」と声を上げると、「殺しよったんじゃ」と徳三爺さんは繰り返し、水割り焼酎を少し口に含む。

「思い知ったか、と笑いながら、ぶっ倒れてハァハァ息をしよるガータロさんの頭の皿をムチャクチャに踏みにじったんじゃと。ガータロさんは滑稽げな声を上げて苦しがったらしいが、それが何ぞマサジに油を注いだもんか。どんどん楽しくなったらしくてな」

 やがてガータロさんは動かなくなった。

 マサジは「もうくたばった。つまらん」と思ったという。

 池に死体をぶち込み、ぬるぬるになった手を洗った。

 なかなか取れなかったので、まぁいいかと思って提灯を拾い、そのまま帰宅した、と。


「良ぅなかったな、あれは」

「・・・良くないですね、それは。人間的に」

「ああ?人間的かどうかは知らんが・・・マサジは豪傑すぎたんよ。ガータロさんを怒らせた」

「怒らせた?ガータロさんは死んだんでしょ?」

「死んだだろうけど、化けモンだもの。祟るよ、祟る」

「祟る??」



「マサジの嫁は、三たび続けてガータロさんの子を産んだもの」



 ・・・・・・場が静まりかえった。

 徳三爺さんだけが、「ふーい」とか「うーい」とか謎のうなり声を発しながら、焼酎グラスに何度も口を付けている。


「やってはいけんかったな。そういうことだけは、な。生まれた子供が、まるっきりガータロさんで。〝戻して〟埋めて、またつくった子供が、生まれてみればガータロさんで。もう一回、ガータロさんで」


 三度めの子供を〝戻した〟とき、遂にマサジの嫁は発狂した。

 笑って笑って、外へ飛び出して、集落で一番大きな柿の古木に頭からぶつかってぶっ倒れ、いっぱいに血を流して それきりだった。


 マサジも、別人のようになってしまった。

 髪も髭も伸び放題にし、二十も三十も老け込んだようになり、仕事もせずに道端で一日中座り込んでブツブツ言うだけの人間になってしまった。

 往年の彼を慕っていた連中が、かわいそうにと食べ物を恵んでいたので五年は生きた。最後はある年の正月七日に、ガータロさんを沈めた池にぷかぷか浮いて死んでいたという。


「五年間、マサジはずっとガータロさんを殺した話ばっかりしおったな。細かいところまで、何度も何度も何度も何度も。誰もいなくてもブツブツ言いおったが、あの時もずっと同じ話をしておったんだろうな。悔いておったな。悔いておったけど、」


 やっちまった事は取り返しが付かないんじゃい、と徳三さんは吐き捨てた。


「――いい男っぷりであったのになぁ・・・」




 徳三さんからは、他にも興味深い話をたくさん聞かせて頂いた。

 しかし今回、怪談公開の許可を承るべく久しぶりに連絡をとってみたところ、残念ながら既にお亡くなりになっておられた。

 公開の許可は、理解ある遺族の方より頂いた。


 徳三爺さんの冥福を祈るとともに、遺族の方々のご厚意に深く感謝いたします。

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