第18話 拾った手記
たまに行くスナックで知り合った、
この方は長らく東京近郊に住んでいらしたそうなのだが、15年前に息子さん夫婦から「親父も年だし、俺らも心配だ。一緒に住まないか?」と嬉しい提案を受け、有り難く承諾して九州の方へ移り住まれたのだそうだ。
「そうですね。この話は・・・ざっと50年以上も前になりますな」
※ ※ ※ ※
テレビが各家庭に一つずつ無かった時代。そして、あったとしても当然モノクロ画面であった時代。
「当時、我々 若者のレジャーの選択肢には、ピクニックというものが有力的に存在していたんですよ」と富市さんは言う。
男女5~6人のグループで、早朝から電車でもって緑の多い地域に移動し、「おお牧場はみどり~♪」などと歌いながら適当な山に登り、お弁当を食べ、気の利いた者はギターを爪弾いたりしながら各々楽しみ、また何かみんなで歌を歌ったりお喋りしたりしながら下山し、電車で帰る。これがすごく楽しかったらしい。
今と比べれば隔世の感があるのは否めないが・・・私も気になって調べてみたところ、1960年代から70年代にかけて日本全国で家族層を中心としたピクニックブームというものが持ち上がり、その煽りを受けてか、若者の間でも根強い愛好家が生まれたというのは歴史的事実のようだ。現在でいう合コンの様に機能していた場合もあるらしいので、日本ピクニック史も奥深いものがある。
ともあれ、富市さんの周囲ではかなり若者層によるピクニックは流行っていたそうだ。
当時ネアカ(今でいうリア充?)だった富市さんも、気の合う仲間らと野辺に憩い山に遊び、青春を謳歌していたという。
「別にピクニックばかりしていたわけではないけれど、都心の方に行って遊ぶとお金がかかったですからね・・・」と、当時を振り返りながら富市さんは苦笑いをされた。
そんな彼が大っぴらに お酒が飲める年齢になった年の春、とある日曜日。
富市さんはスケジュールの合う友人らと5人で、近くの山に出かけた。
男3人、女2人の構成だ。
山と言っても、可愛らしいスケールのものである。上記の如く、「ワイワイ話をしながら軽い山道を登り、展望台でお弁当を食べて何のかのと軽いレクリエーションをして、また 行きと同じ要領で下山」というパターンにうってつけの場所であった。
朝の九時くらいから登りはじめ、十一時を少し回るくらいには目的の展望台に到着したという。
いつもだったら解放的に時間を過ごすタイミングであったが、その日は同行の一人に哲学に凝り始めていた青年が居た為、彼が得意満面に語るニーチェやらサルトルやらの実存主義哲学に男仲間二人は興味をそそられ、一方 まったく感心の無い女友達連中は、二人とも白けて膨れっ面――という珍しい展開が進行していた。
「ねぇ、3人とも!難しい話もいいけれど、そろそろお弁当を頂きましょう?」
「えぇ?やれやれ、食い意地の張ったお嬢様達には敵いませんな!」
「あら、議論好きな殿方の方が、手に負えなくてよ?」
軽口を叩き合いながら昼食の準備をはじめた、その矢先だったという。
あのぅすいません、と一同は不意に、声をかけられた。
皆、「ん?」とその声の方向へ視線を巡らせた。
男がいた。
「あのぅ、あなた達、もしかして山小屋の方から来た方々ですか?」
富市さんメンバーの若者らより、十ほども年上と思しき髭面の偉丈夫だった。
何故か〝重装備〟と言って過言でない本格的な登山服に身を包んでおり、背負っているリュックだけでも相当の存在感を持つ筋金入りの『山男』だ。
むろん 周囲の牧歌的な空気から完全に浮いており、視線にはギラギラとした余裕の無さが如実に感じられたという。
彼はもう一度、「山小屋のグループの方ですか?」と富市さんらに尋ねた。
声が掠れて、切れぎれだった。
「山小屋?ここらに山小屋なんて大層なもんはありませんよ。何せ、地元の小学生が遠足に来るようなところですからね。何かの間違いじゃありませんか?」
富市さんは答えた。
山男は、呆気にとられたような顔でしばし沈黙していたが、
「すいません。ここは何という山ですか?」
と、異な事を続けて尋ねてくる。
「ここは○○山です」とメンバーの一人が答えた。
男は、目を剥いて絶句したという。
「○○山というと、×××町の方の・・・?」
「そうですよ。それが何か?」
「じゃあ、あの女の姿は見てないのですか?」
「は??」
「鞠をついている女です」
「すいません、仰ってることの意味がわからないのですが・・・」
その言葉を聞くと、男は「ああ、良かった。見てないのか」とはじめて笑顔を見せた。
そして、「変なことばかり喋って失礼しました」とペコリ一礼し、キョロキョロと周囲を見回した後に下山ルートの方へ歩いていった。
富市さん達は、唖然呆然となってしまった。
「あれ、何だったんだ?」
「さぁ・・・ でも、あの格好はおかしいよ。富士登山でもするかの勢いだ」
「ほんとに何なのかしら。気味が悪いわ」
「はっはっは!君達ゃ心配性だなぁ。考えてもみなよ。ここらは気候がいいからね。大方、近くにこちらの方々の病院でもあるんじゃないの?」
同行の一人が、そう言って自らの側頭部のあたりをツンツン、と人差し指で突いた。
思わず、みんな吹き出した。
そうだな、脱走してきた患者なのかもな、と笑い合った。
そして何事もなかったかの様に、お弁当を食べたという。
※ ※ ※ ※
その日も楽しく時間を過ごし、さぁ下山となった。
帰りの話題の中心は、ウクレレ談義からはじまった。その日知り合った他のピクニックチームの人達の中にウクレレを持参して来た人がいて、案外それが、上手かったのだ。
「あれも陽気な楽器でいいね」「携帯性もある」「いやいやギターの響きにはかなわんさ」などと富市さんらは楽しく語り合い、「やっぱりギターだわ」「エレキもいいね」「加山雄三の『エレキの若大将』は もう観たかい?」などと程よく話題が脱線したところで、
「あら、あれは・・・?」
女性メンバーの一人が、前方を指さして呟いた。
黒っぽい、小さい長方形のものが、山道のど真ん中に落ちている。
駆け寄って拾う。手帳のようだ。
かなり使い込んであって、もうボロボロ。ページの終わりの方まで字が
「誰のかしら。ずいぶん堂々とした落とし物だわ」
「うん。まさに拾って下さいと言わんばかりだね」
「ハハハ、案外、お昼に出会ったあの髭の紳士のものかも知れないよ」
そりゃあいい、と男連中はウケた。当然、「読んでみようぜ」という流れにスムーズに繋がったが、
「いやぁよ、気味悪い!!」
「こんな汚いもの、ほっときましょ。 ・・・おかしなことが書いてあったら、イヤだわ!」
と、女性二人が難色を示した為、折衷案として「このまま持ち帰って、山を下りてから皆で読む」という解決法をとることとなった。
「面白くなかったら、直ぐに町の交番に届けるから」
そういう立て前だった。
「面白かった場合」については、特に何も詮議しなかった。
帰りの電車を少し遅らせることにし、彼らは麓の町の喫茶店に入った。
小さな店だったが思ったより小綺麗で、ブルーマウンテンなども置いてあったのには一同、少しびっくりしたという。
もっとも、オーダーは全員 モカだったそうだが。
「さぁ、ここならもう怖くはございませんでしょ、淑女方」
「ううん・・・ほんとは見たくないんだけどな」
「まぁまぁ。いやよいやよも好きのうちだよ」
何だかんだ言いながら、全員 かなりテンションは上がっていた。
ムードメーカーの男友達が「それでは僭越ながら」とページを繰り、黒い手帳はその内部を若者らの前に
・・・・・・これは・・・・・・?
※ ※ ※ ※
○月×日、△△岳、※※※スミレ ノ 生育ヲ 確認セリ。 今マデ読ンダ ドノ書籍ニモ 記述ナシ。 我ガ初カ。
◎月♯日、□□山、見ナレヌ 低木アリ。 本ヲ忘レタ為、 同定出来ズ クヤシ。 六合目アタリニテ ◇◇◇ムシ ノ 幼虫ヲ 確認。 ***草ヲ 食セルナリ。
※ ※ ※ ※
「かなり本格的な知識を持った人が書いたメモだな」
「いろんな山々の動植物の生育分布を書き留めたものだね」
「あら、この□□山ってかなり険しい山よ」
「そうそう。あたし達がいつも行く山とは比べものにならないくらい」
「おいおい。本当にあの髭の山男のものなんじゃないのかい、これは」
※ ※ ※ ※
×月×日、◎◎ヶ峰、ココハ アマリ ヨロシクナシ。
※月◆日、◇◇岳、話ニ ナラヌナリ。
●月▽日、コノ山モ ダメ。 ダメ ダメ ダメ。
※ ※ ※ ※
「何だい、これは。後に行くに従って、やけに記述がいい加減になってくるな」
「何があまりよろしくないんだろう。話にならないんだろう」
「ぜんぶ否定するみたいな感想よ。心が病んでるんじゃないかしら」
「じゃあ病院から逃げて来たって説も、案外的外れじゃなかったわけだ?」
「待て。ここを見ろよ」
※ ※ ※ ※
▽月◎日、朋友××××君ヨリ ※※山ノ 話ヲ聞キ 向カフ。 スコブル好マシ。 チョウドヨイ 場ニ コヤアリ。 留マル。
※ ※ ※ ※
「やっと肯定的な文章ね」
「何が〝スコブル好マシ〟なんだ?」
「コヤアリ、は〝小屋在リ〟かしら」
「おい、早く次のページを繰りたまえよ」
「急くなよ。今捲るから」
真っ黒だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
手帳の誌面が、黒く塗りつぶされている。
上部と下部の余白はそのまま真っ白だったが、その間の罫線で区切られた部分が、まるっと黒々、染め上げられているのだ。
使用しているのは、今までの筆記に使ってあるのと同じ。おそらくHBと思しき濃さの、どこにでもある鉛筆のようである。
しかし ただ黒く塗り染めただけではなく、紙面には文字らしきものを記した形跡が、微妙な立体感が、目に見えて感じられた。
つまり、何か――おそらく文章を―― 手帳の罫線を遵守してびっしりと書き連ね、更にその上から文章を書き、更にその上から・・・ということを繰り返し、結果として「文字を書く部分だけ」が、漆黒に染まってしまったらしいのだ。
何を書こうとしていたのか。
読めない。もはやどんな文字を書いたのかすら、書き重ね重ね書いた末に、まったくわからなくなって一文字も判読出来なくなっていた。
富市さんら5人は、長く言葉を失っていたという。
全員が、異様な雰囲気を感じ取ったようだった。
手帳を手にしていた一人が、ページを捲った。
黒かった。
もう一度、捲った。
黒かった。
次々に、次々に、捲っていった。
黒、黒、黒だった。
「もうやめて」
表情が無くなった女子メンバーの一人が、棒読み気味に呟いた。
が、手帳を持つ友人は、どんどんページを捲っていく。
都合20ページあまりが、そういう風に真っ黒だった。
そして、4ページほど何も書かれていない誌面が続き、5ページ目に、
【穴熊ノ 毛皮の掛カル 山ゴヤデ 夜更ケニ マリヲ ツイテイル ノッポノ オンナノ 目ハ 赤イ】
罫線を完全に無視し、大きな縦書きで、そう記されていた。
もう一度、ページを捲った。
幼稚園児が描いたような、鬼そっくりの お化けの絵があった。
髪が長いので、女だろうと思われた。
目だけは、赤鉛筆で真っ赤に彩色されていた。
それが、手帳の最後のページだった。
――――――。
少なくとも5分間は、誰も一言も発さなかっただろうと富市さんは言う。
全員が、何もわからなかった。何一つ、理解不能だった。しかし、
不安のように
「焼こう」
不意に、ぽつりと誰かが言った。
あ、そうか、と富市さんは思った。
確かに。こういうものは 焼き捨ててしまった方がいいな、と納得した。
喫茶店の灰皿の上に手帳を載せ、マッチで火をつけた。
誰も、その非常識な行為を咎める者は居なかった。
黒い手帳は、異様なほど速やかに燃え上がり、盛大な煙を吐き出しながらこの世から消滅した。
泡を食う様な勢いで駆け付けた喫茶店の店主が、何やら血相を変えて怒鳴り散らしているのを、5人は気の抜けた顔で眺めていた。
富市さんらは、その店を出入り禁止にされた。
※ ※ ※ ※
それから富市さんは、ピクニックからすっぱり脚を洗ったという。
その時のメンバーとも、二度と連絡を取り合うことは無かったらしい。
「脚を洗った・・・と言えば変な言い方ですがね(笑)とにかくもう、山登りという行為をしたく無くなった。あれからこの年になるまで、ただの一度も、「山」と呼ばれる場所には近づかなかったですよ。だって、」
だって、会っちゃうような気がしたんですよ。
また あの、髭面の山男に。
――もしくは、赤い目の鞠つき女に。
違います?思いません??
「・・・前者でも厭なのに、後者だったら、もう、あれでしょう」
代わりの趣味として、映画をよく観るようになった。
それも、30年前にすっぱり脚を洗ったという。
その時に観て「すごく面白い」と思った邦画の監督の名前が、
「あの手記の中にあった、〝朋友××××君ヨリ ※※山ノ 話ヲ聞キ 向カフ〟という一節にあった人の名前・・・ あれと、同姓同名だったんですからな」
手記の内容は、今でもかなり鮮明に思い出せるという。
一生、あの黒い手帳の内容に囚われながら生きるんでしょうな、と言った富市さん。
その表情が、何故かとても晴れ晴れとしていたのが、私を心からゾッとさせた。
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