第16話 酒香

 某大手コンビニチェーン店で店長をつとめる塩谷しおやさんが、まだバイト時代の話。

 その頃、彼が深夜勤務を担当していた店舗には、「ありがたくない常連さん」達がいた。

 ヤンキー漫画の世界から飛び出してきたのですか、と言いたくなるほどかぶいたナリをした、若者の集団である。

 5~6人のそんな方々が、まだ宵の口くらいから駐車場に集まり、店で500mlのジュースなどを一本ずつ買って、「それが場所代だ」とでも言わんばかりに、深夜まで居座る。ひたすらダベりまくる。


 見た目が見た目なので、彼らが憩う時間帯は明らかに普通客の利用が少なくなる。その為、同チェーン店に勤める知人との会話から他店舗との「入り」の差を知った塩谷さんは、当時の店長に「彼らと話し合いをする事は出来ませんか」と打ち明けたのだという。

 だが店長が言うには、「彼らはいわゆる『筋金入り』の類であるから、一度コトを構えると面倒な事態になる。なるべく穏便に努めてくれないか」とのことだった。


 空手の有段者でもあり、腕っ節には自信のあった塩谷さんだが、

「向こうには20人からの仲間がいる」

「それだけの人数のならず者から目を付けられ、陰に日向に嫌がらせをされたりしたら、堪ったものではない」

「警察から守ってもらうにも、限界があるぞ」

 ――などと言い含められれば、グゥの音も出ない。


 毎夜、遅くまで店の駐車場を根城にし、「ろくでもない連帯感」を温めているチンピラどもに、奥歯噛みしめながら仕事する日々だったという。


  ※   ※   ※   ※


 そんなある日。 たぶん春口の頃だったろう、と塩谷さんはいう。

 彼が いつも通り深夜勤務に就いていると、店の外から「うわぁぁ!」「おおぉぉ?!」と 身も世も無い 野太い男らの悲鳴が響いてきた。

 そして、「今のは何だ?」と思う間もなく、いつも外でたむろしている集団が、ワッと店内に なだれ込み、

「出たよ、出たよ!」

「何だよ、あれはよ!」

 と、真っ青な顔で塩谷さんに詰め寄って来た。


「・・・落ち着いて下さい。何があったんですか、まったく」

 流石に不機嫌きわまりない調子で塩谷さんは応対したが、彼らは尚も興奮を隠し切れぬ様子で、

「外でダベっていたら、恐ろしい怪物のようなものが いきなり現れた。隙を見て逃げ出し、コンビニの中に逃げ込んで来たんだ。あれは何だ、心当たりはないのか」

 と、にわか信じがたい話を一様に語り出す。


 ――ははぁ。こいつら、俺をからかうつもりなんだな、と塩谷さんは思った。

 くだらないお喋りの話題も尽き、遂に「ここの店員でもおちょくって時間を潰そう」とかいう流れになったのだろう。

 そう考えると頭にきたが、店長から「穏便に、穏便に」と言われている手前、声を荒げるわけにもいかない。

 ハイハイわかりましたよ、と精一杯の理性を発揮し、彼は尋ねた。

「ところで、それはどんな怪物だったんですか?」


 全員、キョトンとなった。

 互いの顔を見合わせ、首を傾げ合い、 そして怪訝な視線を交わし合っている。

 こいつらどうしたんだ? 思わず塩谷さんも表情を険しくすると、

「おいお前ら!何やってんだ!!」

 いつも集団のリーダーシップをとっている、太った赤髪のグラサン男が檄を飛ばした。

「揃いも揃って、何で ついさっきのコト、忘れちまってんだよ!!」

 その時、塩谷さんは確信した。

 こいつら、打ち合わせがぜんぜん出来てないんだ、と。

「俺ら、ほんとに怪物に逢ったよな、どんな怪物だった?ああ?!」

 一同は、尚も無言。

 ・・・せめて、「どんな怪物が出現したか」まで決めてから実行しろよ、と。 塩谷さんは あまりのグダグダ加減に、彼らへ一種の同情を覚えたという。

 本当にキミら、バカなの?と。

 するとその時、


「あ、あのー・・・」


 集団の中で、一人だけ比較的普通っぽいナリをした、おそらく最年少と思しき少年が、おずおずと声を出した。 

 他のメンバーに恐縮するような視線を送り、「自分、もしかして違ってるかも知れないんスけど――」と遠慮がちな前置きをした後、


「えーと、さっき確か、みんなでダベってたら、いきなり何か、甘ーい臭いが漂ったんスよね。で、誰かが 何かの果物の臭いしねぇ? って言いましたよね。そしたらヨシダさんが、 いや違う、これはナントカっていう高い酒の臭いだ、って言って、そしたら――」


 その瞬間だった。

 太った赤毛が、いきなり何の前触れもなく、スタスタと早足で店の出入口の方へと移動して行った。そしてそのまま自動ドアを潜り、何食わぬ様子で外へと退出したのだ。

「え?あ、ヨシダさんっ?」

「待って下さいよ、ヨシダさんっ!」

 こいつがヨシダさんかい、と塩谷さんは溜め息をつく。

 結局、メンバーは全員、ヨシダさんを追っかけて店の外へ出て行った。

 直後、ブロロロロロ・・・という派手なバイクのエンジン音が聞こえ、あっという間に 彼らは夜の町の中へと消えて行った。


 ――何なのだ、この寸劇は。

 彼らが駐車場へ置き残して行ったペットボトルとタバコの吸い殻を片付けながら、塩谷さんはあまりのアホっぽさに、怒る気力すら失せていたという。


  ※   ※   ※   ※


 やがて、夜が明ける。

 もう少しでローテーションの時間だな、と塩谷さんが背伸びをしていると、いつも朝の散歩の途中に立ち寄る常連のお爺ちゃんが、「よぅ」と来店された。

「兄ちゃん、知ってるかい」

 いきなり言われて、「何をです?」と とっさに塩谷さんは返す。

「何をって、昨日、大きな事故あったでしょ。ここらで。人、死んだんよ」

 そう言われ、確かに救急車のサイレンを聞いた覚えがあることを彼は思い出した。

 「人が死んだのですか」と尋ねると、「死んだ、死んだ」とお爺さんは力説してくる。


「若いモンがね、バイクで。5人ばかし。全員オダブツだって」


 一瞬、昨日のチンピラどもの顔が塩谷さんの脳裏を掠めた。

 だが、お爺さんの話によると、「全員がおそろしく泥酔した上でバイクを走らせたらしい。そりゃ事故って当たり前だ」ということなので、違うかな、とも思った。

 昨日の彼らは、酒など一滴も飲んでいない。店で買って飲んでいたのはいつものペットボトル飲料だし、店内に詰め寄って来た時だって、誰からもアルコール臭はしなかった。

 事故が起きた時間を聞くと、正に彼らがコンビニを出た直後だ。逆に考え難い。

 物騒な話ですねぇと無難にまとめて、お爺さんを見送った。


 その夜、いつものチンピラ連中は来なかった。

 次の日も、また次の日も、来なかった。


 やはり彼らだったのか、と塩谷さんは思った。実際、来店するお客さんから聞いた情報を総合する限り、そうらしかった。

 しかし、飲酒運転?ひどい泥酔状態? コンビニを出たあと、何処かで10分くらいの間に全員でウイスキーか何かを1本づつ空けたとでもいうのだろうか?まさかそんな?


【えーと、さっき確か、みんなでダベってたら、いきなり何か、甘ーい臭いが漂ったんスよね。で、誰かが 何かの果物の臭いしねぇ? って言いましたよね。そしたらヨシダさんが、 いや違う、これはナントカっていう高い酒の臭いだ、って言って、そしたら――】


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  ※   ※   ※   ※


 まぁ、難しいことを考えるのは やめたんです、と塩谷さんは言った。


「むしろ、ガラの悪い連中が居なくなったおかげで、お客さんもグッと増えましたから。自分も気持ちよく仕事出来るようになったし。売り上げもうなぎ登りで、結果、店長にまで出世出来ましたしね」


 今も、相変わらずそのコンビニに勤めているのだという。


「あと、うちの店舗だけは、決して外に若者がたむろしないんです。あれ以来ね」



 ――どうしてなんでしょうね、と私が塩谷さんに尋ねると、

 難しいことを考えるのは やめました! と、元気に返されてしまった。

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