第13話 下賤なキツネ

 久住くすみさんのお母さんは、いわゆる「憑かれやすい」人だった。

 子供たちとふつうに話をしていても、いきなり白目を剥いてうな垂れ、わけのわからないことを喋り出す。だが周囲の人々も心得たものなので、

「何だ、またか」

 と男手を頼んで車に乗せ、近所の『拝み屋さん』に連れていくことがお決まりだった。

 『拝み屋さん』も「何だ、またですか」と苦笑いしながら、個室にお母さんを連れていき、経文とも祝詞ともつかない呪文のようなものを唱えて、すぐに『中に入ったモノ』を追い出してくれた。

 まったく人様に迷惑のかけ通しで・・・と、その度にお母さんはシュンとなり、手数をかけた人に頭を下げて回った。「気にするな気にするな」とみんな気さくに言ってくれた。


 久住さんの少女時代は、そんなお母さんの思い出がたくさんあるという。

 中でも忘れられないのは いや、忘れられなくなったのは、ある日の大晦日の出来事なのだそうだ。


 その日、お母さんは年越しそばを作ろうとしてヨイショと炬燵こたつから立ち上がった直後、『いつもの状態』に陥った。

 立ったまま白目を剥く。極端な猫背となり、うな垂れ、小声で喋り出す。

 ええ、こんな日に!と家族全員がげっそりとなった。もう紅白歌合戦も佳境に入ったくらいの夜中だ。

「――隣のご主人、呼んでくる。拝み屋さんにも、電話しといて」

 お父さんがテキパキと動き出した。こうなったお母さんは全身が脱力して鉛のように重くなっており、男一人では車まで運べないのだ。

 年の離れたお姉さんが玄関先の黒電話に向かっている間、居間には立ったまま異言を発し続けるお母さんと久住さんとの二人きりとなった。

 久住さんは、ぼそぼそ喋るお母さんの声に耳を傾けてみる。

 こういう状態のお母さんが発する言葉は大概、聞き覚えのない不気味な外国語のようなものだったが、時々「~~が○○になって候」とか「それがしは※※に△△されて無念にも果てた」など時代劇のような台詞が飛び出すこともあり、それを聞くのが久住さんにとっては一つの楽しみのようになっていたのである。

 その時も、お母さんの口からは意味のありそうな言葉が繰り出されていた。

 何だろう何だろう。紅白もそっちのけで、久住さんはそれに集中した。

 活劇もの、のようだった。


「○○○、※※※の力を悪用するなんて許さない。△△△の名において、この私があなたを倒す。ええいこざかしい△△△め。返り討ちにしてやる。□□□の名において。そんなことはさせない。正義は必ず勝つ――」


 横文字の名詞を交えつつ、そんな台詞がブツブツと続いている。

 調子は抑揚の無い棒読み同然だったが、話自体は何だかひどく面白そうな感覚を受けた。

 もっと聞きたいと思っていると、隣のご主人を連れたお父さんが居間に入ってきた。

「すいません、こんな時分に」

「いやいや、いつものこと。災難、災難!はっはっは」

 隣のご主人は、お顔が真っ赤だった。飲んでいたらしい。

 男二人に人形のように抱えられ、お母さんは家を出て行った。

 もっとあの話を聞きたかったなぁ、と久住さんは少し残念に思った。



 それから、40年と少しの時は流れる。

 久住さんは、五十代半ばにして二人の孫のおばあちゃんとなっていた。

 その日の朝も、かわいい孫娘と一緒に日曜朝のテレビアニメを一緒に観ていたという。

 美少女ヒロインがチームを組んで、邪悪な存在を相手にバトルを繰り広げるという大人気シリーズ。

 最近の女の子が活発なのは こういうアニメの影響なのかしらと思いながら、久住さんは はしゃぐお孫さんと一緒に映像を楽しんでいたのだが、


「○○○、※※※の力を悪用するなんて許さない!△△△の名において、この私があなたを倒すっ!!」


 え、と思った。


「ええい・・・こざかしい△△△め。返り討ちにしてやる!□□□の名において!!」

「――そんなことはさせない!正義は必ず勝つッッ!」


 あの、大晦日の夜にお母さんが喋っていた台詞だ、と瞬時に記憶が蘇った。

 子供の頃の思い出が、次々、鮮明に、ぶわぁっと湧き出してきた。

 今はもう天国に行ってしまった、お母さんとの思い出も。

「・・・ばぁば。どうしたの、ばぁば」

 気付いたら、止めどなく涙を流していたという。



 子供の頃。

 一度、お遣いで行った八百屋で拝み屋さんとバッタリ出会い、「お母さんは最近どうだね」と尋ねられたことがあった。

 その時、「お母さんはおかしくなった時に何を喋っているの?」と久住さんは尋ね返した。

 拝み屋さんは「ハハハ」と笑い、

「あれは下賤なキツネが憑いて、無理やり喋らせとるんだ。意味などない」

 と久住さんの頭を撫でながら教えてくれた。



意味・・はね、あったと思うんですよ。少なくとも、私には」

 下賤なおキツネさんには本当に感謝しています、と――

 最後に久住さんは、上品に微笑まれた。

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