第10話 ミス婆と『子供』

 自称「人に言えない仕事」を生業としている蒲生がもうさんが小学生の頃のことだというから、かれこれ30年ほど前の話である。


 彼の住んでいた町に、「ミス婆」と呼ばれる老婆がいた。

 本名が「スミ」だから、それをもじって付けられた渾名なのだという。


 ミス婆は、やや腰の曲がった70歳くらいのお婆さんで、いつも茶色や黄土色を中心とした垢抜けない服を着ていた。昼間はいつも外を散歩しており、ひょこひょこした足取りで朝から晩まで歩き回っていたという。

 そしてこのお婆さん、散歩の途中で小学生くらいの男の子を見つけるや、


「おや坊ちゃん。ウチに遊びに来ないかい。ウチの子の遊び相手になって欲しいんだよ」


 と、声をかけるのが常であった。

 ミス婆は、一人暮らしのはずなのに だそうだ。


「おいしいお菓子もあるよ。遊びに来とくれよ」


 認知症が入っていたのかも知れないが、当然、そんな人間は大人たちから警戒される。

 事実、周囲の大人は親から学校の先生まで、「おスミ婆さんから声をかけられても、絶対に付いて行ってはいけません!」と口をすっぱくして子供らに言い含めていた。もしかすると、何か前科があったのかも知れない。

 子供らも、田舎町だったせいか大人には忠実な者が多く、ミス婆をあからさまにバカにする子はいても、誘いに乗って付いていくような子は一人もいなかった。


「でも、俺は違ったわけよ」


 蒲生さんは、並外れてヤンチャな子供だった。大人の言いつけを破るのはステータス。後になって武勇伝に変わるものだから、怒られるようなことはどんどんやっちゃおう、という筋金入りの悪ガキだったのだ。


「だからさ、小五のときだったかな」


 道端でミス婆とばったり出くわした彼は、自分から彼女に声をかけた。

「おいミス婆。家に行ったら、菓子くれンのか」

 ミス婆は、ちょっと驚いたような顔をしたが、直ぐに笑顔を浮かべ、

「ああ、ああ。ウチの子と遊んでくれたらね」

「それじゃ、行く。今からいいか?」

 ミス婆の喜びようったら、無かった。

 ほんとかい、ほんとかい、と何度も繰り返し、「あの子にもやっと友達が、友達が」と、何かに手を合わせて嬉しがった。


「今から帰って子供に伝えて、おもてなしの用意をするから。一時間ほど経ってウチに来てくれって、言われたんだ」


 そしてきっかり一時間後、蒲生さんはミス婆の自宅を訪れた。

 むろん、まだ誰にも言っていない。大人に告げ口されたら計画が水泡に帰す可能性もあったし、明日学校でいきなり「俺、昨日ミス婆の家に言ったんだけど~」とやらかした方が、みんなもビックリしてインパクト絶大だと思ったからだ。

(子供がいる、っつってたけど・・・まぁ、ミス婆ボケてっから。人形か何かを子供だと思い込んで毎日話しかけてる、とかいうオチだろうな。気持ち悪ィ)

 本当に「子供」がいるなら学校に通ってるはずだ。周囲の大人が一人暮らしだ、と言ってるのが本当の話なんだろう。

 そんなことを考えながら、外見は普通の民家と何ら変わらないミス婆の家の玄関戸の前に立った。「おーい、ミス婆」と呼んでみた。


「はぁい、いらっしゃい、お入んなさーい」


 直ぐに中から声が聞こえた。玄関で待ってたのか、と少し驚いた。

 立て付けの悪い戸を開けて、中に入った。

「ごめんくださ・・・・・・」


 言いかけて、動けなくなった。


 玄関先にはミス婆がニコニコ笑いながら立っており、その隣には、くだんの『子供』らしきものもいた。

 が、その『子供』がおかしい。

 そもそも、『子供』ではない。

 

 ――ラッコか、と蒲生さんは思う。

 直立した、栗色の毛皮と髭のある、動物にしか見えないもの。

 胴がやけに細長く、ふさふさした尻尾も付いている。前足を、「ちんちん」した犬のように揃えている。

 やけに大きく、横に並んだミス婆ほどの背丈がある。

 家の中に、むせかえるような獣臭。


(どういうことだろう・・・・・・)


 少年蒲生さんは、混乱した。

 だが、ここで怖じては明日、みんなに武勇伝を聞かせることが出来なくなる。そうかこの『動物』を子供だと思い込んでいるんだな、きっとそうだな、と自分に言い聞かせ、


「ミ、ミス婆の子供って、この子のことかぁ?」


 少し声を裏返らせながら、精一杯こともなげに言ってみせた。

 蒲生さんの言葉を聞いても、ミス婆は「うんうん」と笑って頷いていた。

「そうさ、自慢の息子だよ」

 ミス婆はそう言って、『子供』の背中を叩いた。


 『子供』は、「でてけよ」と人のような声を漏らした。大量のよだれが垂れた。


「聞いとくれよ。この子も、もう三十になるのに友達もいなくて・・・」


 脇目もふらず、蒲生さんは逃げ出していた。

 戸を閉めた記憶は、ないという。

 それほど、取り乱していた。



 それから程なくして、町でミス婆の姿を見かけなくなった。

 あんなことがあった為かひどく気になった蒲生さんが友達に尋ねてみると、「何だ、おまえ知らなかったの」と呆れられた。


「ミス婆、死んじゃったんだぜ」


 ミス婆は、家の中でひっそりと亡くなっていた。

 遺体は、近隣住民に呼ばれた警官によって発見された。何日も前から異臭がしていたという。

 不審な点があったので家の中を捜索したところ、20年前に亡くなったというミス婆の本当の息子さんの写真が大量にタンスの中から見つかり、また雑誌や新聞から切り抜いたと思しき膨大な数の男の子の写真スクラップも、二十数個の菓子箱の中から出てきた。


 ミス婆が大型の動物を飼っていた形跡が見つかった・・・という話は聞かなかった。



「一番怖いのはお化けじゃなくて人間だっていうけど」

 蒲生さんは、ため息を吐きながら続けた。

「俺が生きてきて一番怖かったのは、『この子も、もう三十に云々』って言った時の、ミス婆のツラだったな」


 ほんとうに、幸せそうな表情だったという。


 ラッコに似た『子供』が何であったのか。ミス婆の死後、『それ』は何処へ行ったのか。今となっては 何もわからない。

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