第9話 苔狸
今から12年ほど前に、こんな体験をされた。
季節が、めっきり春めいてきた頃のこと。
彼女は、親戚が所有する山に許可を得て登り、フキノトウやコシアブラなどを探していた。
この日は、「ツキまくっていた」という。
ここかと目をつけていたポイントは幾つかあったが、そのいずれにも、お目当ての山菜がわんさと見つかったのだそうだ。
楽しくて、楽しくて、時間を経つのも忘れて採りに採った。
と。
彼女は、近くにやけに背の高い人がポツンと立っているのに気づく。
しまった、と思う。夢中になりすぎて、人の気配にすら無頓着だった。長い間 挨拶もしなかったのであれば、失礼であるし何より恥ずかしい。
「こんにちは。そちらも山菜ですか?」
如月さんは、遅ればせながらと笑顔で話しかけた。
直後、「うっ」と思わず、変な調子で声が出た。
背の高い人は、全身が真緑色だった。
目も、鼻も、口もないのっぺらぼうで、何を着ているわけでもない。
一瞬にして血の気が引いてしまったわけだが――
「あ、あら。なんだ・・・」
緑色の大男・・・だと思ったのは、
みごとに苔のかたまりが、人間のかたちを為しているのである。
(ははぁ。人そっくりの形状の岩があって、それにビッシリ苔がくっついて緑の大男みたいに見えてたわけね)
如月さんは納得した。
でも、こんなところにそんなかたちの岩があったかしら?と思う。
にしても本当に人間そっくりだと、頭の部分を思わず触ってみた。
ぼとっ、と首が落ちた。
続いて、重力に負けるように――首が、胸が、腹が、それから下の部分も、ぐしゃぐしゃと落ち零れて、苔の山が出来上がった。
岩の上に苔がはびこっていたのではない。
誰かが、苔を固めて人間のかたちにしていたのだ。
如月さんは本人曰く、「ひゃぁと叫んで漫画みたいに」その場を逃げ出した。
※ ※ ※ ※
ずっと後になって、彼女はその時のことを知り合いの猟友会の人に語ったという。
あれは何でしょうと尋ねると、間髪入れず、「狸だな」と言われた。
「・・・狸、ですか」
「もしくはムジナだな。こなされた(化かされた)わけよ。そんな時は、採ったものを少しばかしその場に置いて山を下りるといいんだ。覚えとくといい」
(覚えとくといい、って・・・ おい)
女なんで馬鹿にされたかな、と如月さんは思った。
だから、「狸が人を化かすことなんて本当にあるんですか?」と 少しご機嫌ななめな調子で、続けて尋ねる。
するとその方は ハァ、とため息をつきながら、
「じゃあ あんた、何が何の目的で、苔を集めて人間の姿なんてこさえたって云うね。そんな細工 誰にも出来るコトでもないし、大量の苔を集めるだけでも骨折れモンだよ?」
それは、 と言葉に詰まった如月さんに、猟友会の人は たたみかける。
「な?考えていくと、何処までも怖くなっちゃうの。だから、山であった奇妙なコトは、ぜんぶポンポコ狸のせいにしとくんだよ。そうしなくちゃ、」
山には登れなくなるよ。
あんた、また山に行くんだろう?
また、それを見たらどうする?もっと変なものを見たら?正気でおられるか?
それとも、山菜採り、やめるかね?
※ ※ ※ ※
「だから、あの苔人間は狸の仕業なのよね」
ぜったいに、と付け加え、如月さんが大まじめな顔で私に語って下さった話である。
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