第8話 (子猫の)鳴き声

「運転中に喉が渇いたから、自販機の近くに車を停めたんです」


 医療関係施設の事務職員をされている朋子ともこさんが新人の頃だというから、もう6年ほど前のことになる。


「そしたらですね。姿の見えない猫の声なんです。 ――間違いなく子猫、ハイ」


 彼女は、職場への近道として 自宅から広域農道を通って毎日通勤していた。

 農道とはいっても、見渡す限り田畑・・・という牧歌的な光景ばかりではない。人気の無い山道に道路が走っているだけという、寂しい通りもあるのだ。

 そんな場所にある、二つ並びの自動販売機。そこで、


「みゃあ、みゃあ、みゃあ、と。そりゃあ可愛い声で、しかもいっぱいだったんですよ」

 見えない子猫が、らしい。


 仕事帰りのことで、周囲も薄暗くなってきた頃だった。朋子さんも最初、自分の位置からは見えない場所で捨て猫か何かが身を寄せて鳴いているのだろうと考えたらしいが、その一帯をいくら探しても、にゃあにゃあという声のみで、一向に猫は見つからない。

 そしてどうも、鳴き声の聞こえ方などから推測して、本当に自販機のすぐ側、むしろ自分の足下から聞こえてきている、としなければ理屈に合わないことにも気付いたのだ。


「だから、ああ。見えない猫ちゃん、いるなぁ、と」


 それも、かなり理屈に合わない話のような気がするが・・・

 ともあれ、姿かたちは見えないものの、鳴き声だけはリアルに耳を通じて感じ取れる。

 朋子さんはそれを、「子猫ちゃんの幽霊が、何らかの理由でここに集まっているのだ」と認識した。


「ぜんぜん怖くは無かったです。むしろ、『こんな場所みつけちゃった!ラッキー!!』的な」


 ――それから、朋子さんの自販機通いがはじまった。


 どんなに疲れていても、厭なことがあっても。『見えない子猫の声』を聞けば癒やされたのである。

 そして、「これはとてもおかしなことだったけれど」と彼女は言うが―― 通うたび、子猫の声が、少しずつ増えていったらしい。

「それがまた、ひとつの楽しみになっていたのかも知れませんね。あの頃は、ほんとうに、心満たされていましたよ」


 それがついえたのは、彼女がそこに通い詰めて一月ほども経ってからだった。


「もうその頃には、子猫の声はほとんど喧噪・・・ もしこれが目に見えていたら、周囲はもう猫、猫、猫で埋め尽くされて足の踏み場も無かったんじゃないかと思えるほどの騒がしさでした。でもですね、その洪水みたいな声を聞いていると、」


 やっぱり癒やされた、そうである。

 その日。いつもの如く 彼女がそんな盛大な鳴き声の中でうっとりしていると、


  ♪♪~♪♪♪~~ ♪♪~~~


 ――聞き覚えのあるメロディーが、不意に彼女の耳に飛び込んできた。

 スマホの着メロだった。

 母親から。 出てみる。


『朋子? まだ家に着いてないんだったら、白菜ひとつ買ってきてくれない? 今日、すき焼きにするつもりだったんだけど、うっかり買い忘れちゃって・・・』


 うん、わかったと伝え、電話を切った。



 猫の声が止んでいた。



(えっ・・・)


 まさにそれは、「海の底のような静けさ」だったという。

 周囲は既に夕暮れ、何やらガスのようなものも漂っている。

 ここって、こんなに陰気で寂しいところだったっけ。


「・・・何で、子猫の声だけ聞いて、あんなに嬉しがってたんだろう私?って。冷静になったっていうのかな。 毎日こんな危ないところでボーッとしてたのかと思うと、はじめてゾッとしました」


 直ぐさま車に乗り込んで、真っ青な顔で帰路を飛ばした。

 白菜は、買い忘れた。


 朋子さんの奇妙な自販機通いは、こうして幕を閉じた。


  ※   ※   ※   ※


 が、話はここで終わらない。


 剛胆、と言おうか。このような恐ろしい目に逢いながらも、何と朋子さんは通勤ルートを変えることなく、毎日毎日、あの自販機の前を通りながら職場に通っていたというのだ。


「だって、自販機の前に立たなければいいだけだし。農道使えば、すごく近道だし」


 すると、だんだん恐怖が薄れてきて、「何であんな鳴き声が聞こえたのかなぁ?」という純粋な疑問の方が、心の中に膨れ上がってきたという。

 確かめたい。どうしたらいいか。


 自販機通い卒業から約二ヶ月後、彼女は意を決した。

 くだんの現場から程近い土産物店を訪ねたのだ。


「いらっしゃいませぇー」


 そして、そのレジに立っていた『年配のお姉さん』に、朋子さんは話しかけたのである。


「あのー、ここらへんに、『子猫の声がする自販機』ってありますか?」

「はぁ??」

「いや、あの、ネットで見たんです。この界隈に、近寄ったら子猫の声が聞こえてくる自動販売機があって、その声を聞いたら幸せになるって、パワースポットが」


 それは、彼女が せいいっぱい考えた嘘だった。

 正直に「私、自動販売機の近くで子猫の声聞いたんですけど、あれ何なんでしょう?」などと尋ねてみても、怪訝に思われるだけだろう。おかしな人だと思われるかも知れない。

 だから、『パワースポット』という当時流行だったワードを遠回しに利用したのだ。


「パワースポット?何ですかそれ」

「ええと、 縁起の良い場所・・・かな。そういう所を回るのが、友達の間でも流行ってて」

「縁起の良い? ハッ!!」


 年配のお姉さん、もといおばさんは、顔をもろにしかめてそう言い捨てた。

 アレのことでしょう、ここから少し先に行った、自販機の二つ並んだところ。

 ええ多分そこです、と朋子さんが言うと、おばさんの声は絞り出すような感じになった。


「・・・・・・縁起が良いなんてもんですか。あすこでは、もう二人も、若い女の子が乱暴されて殺されてるんですから」


 えっ、と朋子さん。

 おうさ、と おばさん。


「インターネットっていうのは怖いもんですね。そんな話が伝わってるんですか?現実はひどいもんですよ。まだ生娘の女の子が、ひどい目にあって命を落としちゃったんですからね・・・ここ15年くらいの間に二人も」


 信じられない、と朋子さんは思わず漏らした。

 そりゃそうでしょう、とおばさんは同情のような声をかける。


「・・・ここだけの話。あすこには昔、一軒家が建ってたの。住んでたのは、ご主人と奥さん、そして長男の三人家族。ご主人が戦時中に船員だったから、国から定期的にお金が出ててね。それを頼りに慎ましく暮らしてるような一家だったんだけど、これがまた家族揃って陰気で根暗で。近所づきあいなんて一切ナシの、変わり者だったのよ」


 特に、長男の異常さは噂のタネだったという。

 ガリガリに痩せて、牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけ、表情というものがまるで無い。

 二十歳を過ぎても働きもせず、一日中家の中に籠もっている。

 そのくせ、家の前を年頃の女性でも通るなら、目玉も飛び出さんばかり両のまなこをかっ開き、その姿が見えなくなるまで窓越しに熱視線を注ぎ続けていたらしい。


「その子が、たくさん子猫を飼ってたんだけどねぇ」

「子猫」

「ええ。でも、盛りが出るくらいに大きくなったら、興味を失っちゃうらしいの」

「捨ててたんですか?」

「いいや。バットでアタマ殴って、殺してたんですって」


 殺して、カレーライスに入れて、食べてたらしいわよ。




 結局、その一家はある日 家を捨てて三人とも失踪してしまったらしいが、その理由はいまだわからないという。

 一軒家はほどなく取り壊され、やがて広域農道が通ることになったことから、名残すらなくなったその跡地に偶然、自動販売機が置かれることになった。


「いやぁねぇ。きっとその噂流した人って、あの一家のコト知ってる人間よ。パワースポット?だか何だか、悪い冗談!あすこには悪い因果が溜まりに溜まってますのさ。二つの事件も、それが原因だと思うわよ。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ・・・」


 おばさんは、「あすこには行かない方がいいわよ」と忠告してくれた。

 言われなくても、もう二度と、朋子さんには『あすこ』に行くつもりはなかった。

 もう、二度と。


  ※   ※   ※   ※


 ここまで話して、朋子さんは「あはは」と困ったような笑いをこぼした。


「殺された二人の女の子って、私と同じようにあの子猫の声に魅入られて毎日『あすこ』に通ってたんでしょうかね。それでもって、場所が場所だから・・・ある日 偶然通りかかった悪魔みたいな男の人たちに、弄ばれて殺されちゃったんでしょうか」


 それってすごく悲しいことだと思います、と朋子さんは言った。

 そして、


「・・・私、カレーライスが食卓にのぼるたび、あの子猫の鳴き声を思い出すんですけど」


 どうしましょうか?と言って、少しモジモジし、

 そしてやはり、「あはは」と笑った。

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