第16話 嫌悪(パート7)
リバートの余韻がおさまった真田は、ランプノートの自席に座っていた。眼の前にディスプレイがあり、誰かからのメールが表示されている。
(あのメールだ・・・)
明智からの一通目のメール。真田を命運を大きく変えてしまった最初のシーンに、戻ってきたのだ。
メールの衝撃にこわばったままの体の緊張をときながら、真田は一息ついた。
(よし、やってみよう。)
真田はメールへの返信は開始せず、受話器を取り上げ、少し緊張した面持ちで電話をかけた。
「もしもし、私ランプノートの真田と申します。いつもお世話になっております。本日、明智様はおいででしょうか?」
真田はアプローチを変えた。理不尽ブレイクを試しているのだ。
「はい、明智ですが。」
あんなメールを打った直後だ。明智の声色に、ある種の緊張・興奮状態があることを真田は冷静に感じとった。そのことが、かえって真田の緊張を融解していくことを実感していく。そして認識できる。自分は冷静だ、と。
「あ、明智さん。お世話になっております。すいません、メールでいろいろとご指摘を頂いたようで、恐縮です。」
「あ、あれな。ま、こちらも専門家なんでね。」
明智の声はすこし震えている。緊張なのか怒りなのかはたまた恐怖なのか、その判別はつかない。
「明智さんのようなプロの方がいらっしゃれば、村も鬼に金棒ですよね。我々もいろいろと助かります。」
「へ、あ、あぁ。そうだね。」
真田の直感力が捉えた。明智は、この電話に恐怖を感じているのだ。本来、メールでなければ激烈な攻撃ができるタイプではないのではないか、と。
「それで。ご着任早々、我々のお納めしたシステムでいろいろとご不便をおかけし本当にすみません。もろもろご不安をいただかれているとも思います。明日にでもそちらにお邪魔して、一度ご挨拶させていただけないでしょうか?」
真田は、この人物とは対面コミュニケーションが上策だと考えたのだ。
案の定、明智は確実に戸惑っていた。
「あ、明日は、うーん。」
真田は理不尽ブレイクの手を止めない。
「すいません、急ですよね。お引き継ぎ直後でお忙しい折なのに。それこそ、今週の何処かで10分位でもご挨拶のお時間がいただけたら嬉しいです。」
真田の声はつとめて朗らかだ。畏怖の対象になっては元も子もない。内角から滑り込むように話を展開していく。ランプノートのある都内から村まではゆうに3時間はかかる。往復6時間かけて10分でいいという真田の申し出に、逃げ場を失う明智。
「ま、まぁ、それくらいなら。明日の午後はずっと役場内におりますから。」
「ありがとうございます!では明日伺わせていただきますね。」
こうして真田は、ついに明智に会うこととなった。リバート前のあの抗争中も、明智とは一度も会ったことはなかった。
翌日。真田は鹿原村にいた。梅雨の中休みの爽やかな風が、村の木々を優しくそよぎ、真田の背中を押す。そこで初めて目にした仇敵、明智秀雄。白髪交じりの小柄な中年。目尻の下がった穏やかそうな人相に、真田はつくづくわからないものだな、と思った。
「あらためて、はじめまして。ランプノートの真田です。」
右手を差し出しながら、明智の目を見ながらにこやかに挨拶をする真田。目に一点も敵意が宿らないよう、冷静に制御することができている。
「わざわざ、すいませんね。明智です。」
明智の手のひらは汗で濡れていた。
その後、真田は昨日の小池がそうしてくれたように、まずは明智の話を聞き出すことに専念した。その中で、明智が村内で進めていたIT化事業が、敵対派閥により中止に追い込まれたこと、それを受けた役目変更で現在のキャンプ場予約システムの担当に飛ばされたことを知った。その話を熱心に聞いている中で、真田は明智の緊張がたち消え、言動の中の理不尽が崩れ始めた瞬間を捉えた。
「なんだか、やるせないですね。そういうの。明智さんの気持ちをまるで無視してるじゃないですか。」
「明智さんはこの村で一番の識者ですから。かならずまた機会があるはずですよ。」
「でもこちらは明智さんのような知識と理解のある方が担当になったことは、うれしいというのが正直なところですけどね。」
立て続けに繰り出される真田の理不尽ブレイク。効果は火を見るより明らかだった。
「真田さん。申し訳ない。私はあなたに八つ当たりをしてしまっていたかも知れないよ。」
リバート前は1ヶ月かけても収まらなかった(収まるどころか異常肥大していた)明智の理不尽は、この日のたった2時間で完全に融解した。
ひとしきり話を終えて村を出立する真田に対して、明智は旧友との別れを惜しむように接してきた。
「これ、つまらないものだけど。会社のみんなと食べてよ。」
鹿原村の名産、干し柿だった。
村から鉄道駅に向かうバスの車中で、真田は明智のことを考えていた。
(コントーロルしてやろう。最初はそういう気持ちだった。だけど・・・。)
干し柿のようにクシャッと笑う明智の愛嬌のある顔を思い出し、一人笑みがこみ上げる。
(肚の底から悪い人なんて、なかなかいないもんだな。)
電話やメールだけで突き進むかけちがえとは、本当に恐ろしいものだ、とも思った。そして、最初の電話で自分が明智に対して感じた嫌悪感。あれは、理不尽をゴリ押しするタイプに感じるものだったのだと理解した。苦手意識が嫌悪になり、かけちがえを加速させた。
バスの後部の窓から眩しい夕日が差し込んでくる。この太陽が再び東の空に登る明日になったら、村で孤立し荒ぶる明智が、ふたたび激烈なメールを送ってくることもあるのだろうか。あるのかもしれない。それでも、理不尽ブレイクがあればうまくいくだろうな。真田はそう考えながら干し柿を一つ口に運んだ。
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