第4話 チケット(パート2)

 電話はやはり、N電機の井筒だった。真田は内心、またかと思いながら電話に出たが、受話器の向こうの井筒の声はどうもこれまでと調子が違った。

「真田さん、・・・まずいよ。」

「え?なにがですか?」

「商品管理部から連絡があってさ、新システムの出荷処理でエラーがたくさん出てるんだよ。そのせいで、今日の出荷がストップしてるんだ。」

「え?そんなはずは?」

 井筒もさすがに苛立って語調が荒くなる。

「そんなはずがあるから電話してるんでしょ。これは至急対応してもらわないと。」

「は、はい。とにかくわかりました、至急調査します。」

 電話を切った真田は、そのまま安村の席に向かって、早口でまくし立てた。

「ヤスさん、緊急対応お願いします。N電機さんのシステム、出荷処理でエラーが出てるみたいなんです。」

「了解。チケット入れておいて。今やってる作業が終わったら見てみるよ。」

「な、何をそんな悠長な。先方、業務止まっちゃってるんですよ。もちろん緊急でお願いしますよ!」

(・・・またかよ。ほんと他人事だな。)

 真田は、安村のその態度に違和感を感じずにいられない。しかし、実は安村にしてもそれは同じで、彼は彼で常々思うことがあった。

(真田君はいつもそうだよな。今こっちでやってる作業だって、社長に急ぎって言われてるんだけどな。プログラミングは集中力が大切なのに、そんな事情お構いなしにしょっちゅう割り込んでくる。こっちの気持ちや立場も考えてほしいよ。)

 ランプノートのオフィスは狭い。そんなお互いの苛立ちは声にならずとも、悪い空気感として隅々に伝わっていた。


 20分後、安村が真田に報告を入れてきた。

「真田くんさ、さっきの件だけど。」

「ええ、どうですか?何かわかりました?」

「これ、前に真田くんに説明した件だったよ。だから、仕様だね。」

 安村は、仕事が片付いたかのように晴れ晴れとした表情を見せている。一方、真田の表情は当然曇ったままだ。

「ええと、どんな話でしたっけ?」

「だからさ、あれだよ。在庫数が記録されてない商品を出荷しようとすると、在庫変動処理ができないからエラーになるってやつ。」

「え、そんな話ありましたっけ?聞いた覚えないです。」

 真田の記憶力のなさは、安村にとっては忌々しい欠点のひとつだった。こちらが言ったことを聞いてないと言ったり、言われてもないことを言ったと言われたり。なまじ真田の声が大きいだけに、まるで真田が正しいような格好になるのが愉快じゃなかった。

「いや、会議室で話したよ。真田くん、先方と調整してくるって言ってたはずだよ。」

 少しムッとしながら安村は答えた。それに呼応するように、真田もヒートアップして言う。

「それ、僕あてに口頭だけで伝えてたりしませんか?資料とかメールもらいましたっけ?少なくとも、そんなの見た記憶ないんで。」

「だからさ、口頭だけだと良くないしその話を残せるよう書きたいから、記録先となる作業チケットを予め用意してほしい、ってその時言ったでしょ。その話だよ。」

(あ・・・・!)

 真田は急にそのやり取りのシーンを思い出した。

(そういえば、そうだった。俺、そのままうっかりチケット作成するの忘れてたんだ。)

 ただ、だからといって真田はすべての責任が自分にあると認めるほどには、成熟していない。

「そう言えばそういう話があった気もしますけど、それならチケットまだか?って僕に催促するとか、そもそも安村さんがチケットにして報告してくれたら良かったって話じゃないんですか?だいたい、そんなのが正しい仕様のはずないってわかりますよね?」

 赤面するほど興奮気味の真田に対して、所帯を持つ中年プログラマーは逆に落ち着きを取り戻して言う。

「あのさ。チケットはいつも入れてくれって催促してるよ。けど、何かと理由をつけてチケットを作成しないのは真田くんだよ。そんな風に、自分は口頭マンセーのくせに、人には活字に起こせってどこかおかしくない?さっきなんか、お客さんに今の内容メールで送れとか言ってたよね。あれ、どうかしてるよ正直。それに、今だってそうだ。こういう障害対応こそ、口頭で指示するのではなく、チケットに経緯や原因を活字として残しておくべきじゃないの?」

 真田は発すべき言葉を失って、立ち尽くした。いちいちもっともだった。

 やり取りを聞いているオフィスの面々も、空気を読んで重苦しい表情のまま押し黙っている。ただひとり社長の春山田だけは、どこか楽しげに二人の攻防を見守っている。


 この件で誰が悪いのか、という話はゼロイチで割り切れるほど単純じゃない。

 実際のところ安村が負うべき問題点もある。しかし、この話の場合、真田の負うべき問題点のほうが多かったと言わざるをえない。


 このあとの顛末は次のとおりだった。

 まず、出荷処理ができないという「仕様」は、真田から井筒に不具合として陳謝し、すぐに直すことは出来ないが、必ず明日の朝までには直すことを約束し、なんとか了承を受けた。エラーで行えない今日の出荷分は、とりあえず手作業で対応してもらった。

 真田は、何度も安村に頭を下げて、翌朝に及ぶ修正作業を行ってもらった。当然、「あとはよろしくですぅ」などと真田だけ帰れるわけもなく、二人で徹夜し、翌朝には”あるべき仕様”に修繕されたプログラムをN電機のシステムに反映することができた。翌日以降の出荷処理は、無事うまくいった。


 この一件については、さすがの尾形も後日、

「あれは申し訳ないですけど、真田さんがよくなかったと思います。ヤスさんの言うとおりですよ。」

 との評価。

 美女木ありさからは。

「昨日の件、すっごい格好悪いよ、真田さん。ないわー。プロジェクトのマネジメントできてないでしょ、あれじゃ。役割なんだっけ?」

 辛辣なコメントを、わざわざSNSのダイレクトメッセージで頂戴した。


 ともかく真田は深く反省し、今後はチケットをもう少し書いていこうと思うに至ったのだ。




 それから数週間後。

 すっかりほとぼりも冷めたころに、ふたたび井筒から電話があった。

「随分前にお願いした、要望3件ってどうでしょう?結構時間経ってますけど、そろそろですよね?」

 真田は一瞬の沈黙のあと、答えた。

「は、、、えっと、あの件ですね。あー、ちょっと・・・現場に状況を確認して折り返しますね。」

 真田は、あの日に井筒から要望3件をもらっていたことを、すっかり忘れていた。忘れていたが、職人ヤスさんならもしかして。そういう気持ちで安村に尋ねた。

「ヤスさん、すいません。N電機さんのこないだの要望3件ってその後どうです?」

「なにそれ。」

「ほら、詳しいこと忘れちゃったんですけど、検索条件の追加とか、なんらかの帳票に項目を追加するやつです。」

 まるで無茶だ。真田本人が覚えてないことを、思い出せないまま安村に聞いているのだ。

「え、チケット入れておいてっていったやつ?」


(・・・まずい。結局、3件ともチケットに入れていないぞ。)


「性別かなにかを検索条件に加える件だっけ?チケット入れてくれるの待ってたから、やってないよ。」


 チケットがないということで、安村は作業をしてくれていない。しかしさらに深刻なのは、要望3件のうち2件は、安村にも伝えていなかったことだ。社内では真田だけがその内容を知っていて、今やすっかり内容を忘れてしまっている。依頼された内容を思い出す手段がない。井筒に聞き取り直すか。いや、今さらどの面下げて、改めて井筒に尋ねることができるというのか。


 しかし真田は、井筒に要望内容をこのあとメールで送ってください、と言っていたことを思い出した。それについてはあの日、安村に”客に説明された内容を改めて書かせるなんて、どうかしてる”と指摘されて、反省した。恥ずかしいと思った。思っていたが、いまはそのメールだけが頼りだ。


(だけど、そんなメールもらったっけ?見た記憶はないが・・・。)

 藁にもすがる気持ちでメールボックスを検索した。だが、その内容の井筒からのメールは見つからなかった。あちらも失念したのだろう。


(俺にもいろんな作業があるんだ。口頭だけで覚えておくなんて無理なんだよ。電話だけじゃなくてさ、手間でもメールで送ってこいよな・・・ああ、そうか。これがヤスさんの気持ちか。ちゃんと仔細の書かれたチケットで、ほしいですよね。)


「…俺、根本から間違っていたよ。」

 突然立ち上がり独り言を言う真田を、自分の席で食事している美女木ありさはぎょっと見上げた。

「俺は、プログラマのみんなのためにも、お客さんのためにも。あと、自分のためにも、チケットに記録をしないといけなかったんだ。自分だけが楽をしようとして、このざまだ・・・。」


 そうつぶやいた途端、真田の視界が奪われた。

 2ヶ月ぶりのリバートが始まった。

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