第4話 夫。

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ふわり、ふわり。



―――日だまりに包まれているみたいに、あたたかい。

うとうとと揺りかごで眠る赤子のような気持ちで、夢と覚醒をさ迷いながら、真理亜は夢見心地でいた。



しばらくすると、ぼんやりと意識が浮上してきて、ゆるゆると優しい手が頭を撫でている感覚に気付く。

うっすら目を開けると、人影が目の前にあった。





「ああ、ごめん。起こしたね」




蕩けるような甘い笑みに、端正な顔立ち。

目の前にあったその顔を、真理亜はぼーっとした頭で眺めた。

すると、相手は茶目っ気のある笑顔を浮かべて、よりいっそう真理亜に顔を近づける。




「真理亜、そんなに見つめられると、真昼間なのに、僕も勘違いしちゃうなぁ」





そう囁き、彼は真理亜にそっと覆い被さって、頬にキスを落とした。


―――瞬間、真理亜のふわふわしていた意識が一気に覚醒し、彼を押し退けるように勢いよく起き上がる。





「ゆ、ゆゆゆ悠里さん、おかえりなさいませ!!お迎えできず申し訳ありませんでした!!!」





もうなんというか、パニックになりすぎて顔が熱い。

真理亜は、混乱しながら土下座する勢いで頭を下げた。



「(なに!?なにがあったの!?!??)」




ついさっきまでの夢見心地はどこへやら。

なんだか変な汗をかきながら、顔をあげれずにいると、―――真理亜の夫、小鳶悠里はクツクツと愉快そうに笑いながら真理亜の頭を撫でた。




「真理亜、ほら、顔あげて。」




「いや、あの、すいません、ちょっと今酷い顔になってるので・・・」




優しく降ってくる声に、動揺しすぎて顔が上げられず思考をグルグルさせていると、また悠里の笑い声が聞こえてきた。

それに余計に恥ずかしくなって小さくなっていると、悠里の気配が真理亜の真横に移動してくる。




「顔見せてくれないと、さっきの続き、しちゃうよ?」



何、と思うよりも早く、耳元で低く囁かれて、真理亜はものすごいスピードで顔をあげる。

―――もうほんと勘弁してほしい。


囁いた張本人は、上げた視線の先で、切れ長の目に涙を浮かべて声を殺して笑ってい

た。





「悠里さん!からかうのはやめてください!」





真理亜は真っ赤な顔で声を荒げると、悠里は一通り笑い終えてから、 真理亜の頭に手を乗せて、落ち着かせるように撫でた。






「いや、ごめんごめん。奥さんが可愛らしくて、ついね。」




つい、のところを艶っぽく言ってくるあたり、ついうっかりじゃないことは確実だ。

手練手管の夫に、真理亜は内心「チャラ男が…」と罵りながら、恨みがましく悠里を見る。


相変わらず美男子の悠里は、自分より十近く離れているとは思えないほど若々しい。そんな彼の爽やかな笑顔に数ある女性たちは堕ちていくのだろうが、真理亜としては小悪魔の笑みにしか見えなかった。




「・・・悠里さん。お出迎えできなかったのは申し訳ありませんでしたが、帰宅されるなら、一報くださればよかったのに」



「あぁ、ごめんね。でも連絡するより早く家に帰りたくて」





「可愛い奥さんが待ってるし」と、十中八九、思ってもいないであろう台詞をウインク付きで言われて、真理亜の中でイラッとした気持ちが、反省していた気持ちに勝った。




「・・・今日は好みの女性はいらっしゃらなかったんですか?」




完全な嫌みを隠すことなく、女受けする顔した夫に真っ向から伝えると、さすがに表情が凍りつく。

真理亜は、ちょっとだけしてやったり感を得た。




「・・・妻に言われるとさすがにくるものがあるね」



凍てついた顔から、すぐに不貞腐れた表情に変わった悠里は、面白くなくなったのかベットから下りて、真横に置かれたイスに腰掛けた。




「伯爵家の方が、一夫多妻が認められているのくらい私も承知しています」



「一昔前ならわかるけど、制度として残ってるだけで、今時何人も娶らないよ。僕だって、奥さんはひとりで充分だ。」



心外だったようで、悠里は本当に嫌そうな顔をした。




「それに、ここ最近はほんとに仕事だよ、真理亜。帰ってきたら、君が夜寝付けなくて休んでいると言うから、顔を見に来たんだ」



さらりと遊んでることを否定しなかった夫に潔さを感じながら、真理亜は夫を改めて確認する―――確かに騎士団の制服を着ているし、いつもは綺麗に手入れされた口元には、無精髭があった。



「・・・口が過ぎました。お仕事お疲れ様でした。―――おかえりなさいませ」



間違いなく彼は働いてきた後だったのを認めて素直に謝ると、悠里はちょっと驚いたように目を開いたあと、「ただいま」とにこやかな笑みを浮かべた。






**




真理亜の夫の悠里は、陽向国騎士団の獅童領支部所属の騎士だ。

―――騎士と言っても、剣を使うわけではなく、国の治安を護る国立軍のことを昔の名残で「騎士」と呼ぶらしい。

騎士団士官である悠里は本当に多忙のようで、一日のだいたいの時間は、獅童領の首都にある騎士団本部に詰めているようだった。




「最近は、ほんとに忙しくてね。色々と事件が多いんだ。」




用意された昼食を口に運びながら、悠里はそうぼやいた。


いつもなら食事を共にするときは、絢爛な装飾が施された食堂で食べることが多い。

しかし悠里の提案で、朝食と同じバルコニーで、テーブルを挟んで向かい合うように食事を取っていた。

控える侍女を莉乃だけにして人払いもしてくれたので、真理亜もいつものような緊張を感じることなく料理を口に運ぶ。

彼の「真理亜がリラックスできるように」という配慮に感謝しつつ、悠里のこぼした話題を拾う。




「悠里さんのご担当だと・・・『魔力者』の事件ですか?」





―――この国の国民は、魔力を持つ『魔力者』

と、魔力が微弱な『非魔力』の者が混在して生活している。

『非魔力』のために科学も目まぐるしく発展し、今では魔力の恩恵を一切受けなくても暮らすことができるくらいだ。


騎士団所属の騎士には『魔力者』も多いため、魔力を扱うことに長けている者たちが集められた【特別保安課】という部署が存在し、悠里はそこに所属している。

その課で取り扱う事件は、魔力者が引き起こした物が大半で、その中でも大きめの事件を、若手士官の悠里が担当することが多かった。




「うーん。詳しくは言えないけど、そんな感じだよ。」



「悠里さんは、小鳶家の仕事もお手伝いされてるのに・・・お身体が心配です」



「領主家に生まれた以上しょうがないよ。騎士の仕事も、領主家の仕事も、どちらも国民の生活がかかってるからね。」



そう言って微笑む悠里の顔は、数日あったときよりも少しだけやつれたようにも思えた。

それに気付いた真理亜は、先ほど嫌みを言ってしまったことが本当に申し訳なくなり、しょんぼりと肩を落とす。

まがりなりにも夫婦なのに、このような変化に気づけなかった自分が情けない。





「・・・真理亜、君が淹れた紅茶を後でもらえないかな」





項垂れているのを察したように、先程よりも一層優しい声音になった悠里は、真理亜にニコニコと笑いかける。





「君が淹れたものは美味しいと評判だって聞いたよ」





莉乃から聞いたのだろうか。

真理亜は薬師の腕はないが、風味や味覚の感覚が人より良いらしく、それを生かし、様々なお茶や紅茶をいかに美味しく淹れるかを試すのが、昔から好きだった。

莉乃も紅茶を淹れるのが上手なのも、真理亜に付き合って淹れたりしていたからだ。

小鳶家に嫁いでからというもの、自分でなにもさせてもらえず時間をもて余した結果、お茶を淹れたり、茶葉のブレンドを調べたり試したりするのが趣味になっていた。




「・・・昔からお茶が好きなので、色んなものを淹れている内に少し詳しくなっただけです・・・」




「僕も好きなんだよ。食事を食べ終わったらでいいから、淹れてきてくれない?」




「だめかな?」と首をかしげながら微笑む夫に、胸がきゅっとなった。

そもそも、顔面偏差値が高すぎる夫に見つめられるだけでも恥ずかしいのに、この表情は反則だと真理亜は思う。

結婚に憧れはなかったとはいえ、男性に興味がないわけではなかったし、人並みに恋もしてきた。でも、悠里は本当に規格外なのだ。何をしても絵になるし、目を奪われる。

その上、結婚してからほぼ会っていなかったので、自分にまったく興味がないものだと思っていたから、真理亜は余計嬉しかった。

―――紅茶くらいいくらでも淹れるに決まっている。




「わかりました。それでしたら、今から淹れてきます。最近お義母様から頂いた紅茶がとても美味しかったんです。」



さっきまでの凹んでいた気持ちが吹き飛んでしまった真理亜は、残りの食事をいそいそと食べ終えてから、軽い足取りで莉乃を連れ立って自室へと戻っていった。





悠里は、そんな様子の妻を微笑ましく見送ると、ふいに椅子から立ち上がり、バルコニーから庭園に降りると、誰もいない方向に向かって声をかけた。




「秀介。」



「―――此処に、ぼっちゃま。」



外国式の庭園に設けられた鮮やかな花々で作られたトンネルの影から、ひとりの青年が出てくる。




「・・・本当に可愛らしい方ですね」



「だろ。俺の目に狂いはなかった訳だ」




秀介と呼ばれた青年の言葉に、悠里はにやりと笑いながら答えた。

今までとは打って変わって、悪だくみを考えているような笑顔だった。

青年は、悠里のその表情に少しだけ眉をひそめたが、すぐに表情を戻すと、跪き、主に対する礼の姿勢を取った。




「・・・気になされてることですが、状況は変わりません。まだ時間を要するかと」




その報告に、「そうか」と面白くなさそうに呟くと、踵を返してバルコニーの方へと足を向けた。





「秀介、引続き頼む」




秀介はパタパタと聞こえてきた足音を確認して、「御意」と深く頭を下げると、再び庭園の影へと消えていった。

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