第2話 窮屈



 よく手入れされた新緑が眩しい広大な庭園に、優しく朝の陽気が差し込む。

そんな風景を屋根付きのバルコニーから見ながら、真理亜は本日も落ち着かない朝食を食べ終える。





「奥様、私たちはこれにて失礼させていただきます」




仰々しくお辞儀する子鳶家の家政婦メイド長や古参の侍女メイドたちに真理亜は頷くと、彼女たちはそそくさと使い終わった朝食の食器を持ってバルコニーから出て行った。

それを見送るや否や、真理亜は行儀よくしていたのを思い切り崩して、ぐだっとテーブルに突っ伏す。




「もー!なんで貴族ってこのご時世にこんなに堅苦しいの!?」



子鳶ことび家は伯爵位ですし、その中でも名門ですから・・・。」




ただ一人残った真理亜付きの侍女である莉乃りのは、苦笑しながら口直しの紅茶を淹れ直して、テーブルの空いたスペースにそっと置いた。

その様子を横目で見ながら、真理亜は、はぁとため息をつく。




「王家の公爵家、王家親族の侯爵家、領主家の伯爵家。住む世界が違いすぎるよ・・・」




陽向ひなた国は五つの領主家が治める領地と、同じく五つの王家親族家が治める領地、そして王家が治める王都の十一領地が存在する。

真理亜の住んでいた乙鳥つばくら領は王都からは遠い土地で、他国との境界に位置している田舎の領地だ。

隣接する領地も今住んでいる獅童しどう領と、侯爵家領土の太白たいはく領だけで、貴族と触れ合う機会はほぼない。

以前の藤堂家であれば乙鳥領主家の桃染ももぞめ家御用達だったので出入りはあったようだが、真理亜が生まれたときには当の昔に見捨てられていたため、その機会にも恵まれなかった。




「藤堂家は、比較的普通のご家庭でしたからね。」



「・・・まあね。」



苦しい家計環境だったとはいえ、学校の同級生たちと比べたら、それなりに名のある家柄の格式にあった生活を送っていたことは否めない。

それでも、身の回りのことは自分でしていたし、いわゆる「お嬢様」のような生活は送っていなかった。

今朝と同じように再び自分の考えの甘さに苛まれながら、のっそり身体を起こすと、真理亜は莉乃の淹れてくれた紅茶に口をつける。

相変わらず莉乃の淹れてくれた紅茶は美味しいが、気持ちは落ち着かなかった。




「ひと昔前でしたら、着替えからお風呂まですべて侍女が行っていたそうですよ」


「え、裸晒すの?無防備に晒して洗ってもらうの?無理でしょ」


「小さいころからそのような生活を送れば、抵抗がなくなるんじゃないでしょうか」


「えー・・貴族怖・・・」





子鳶家の家政婦長が聞いたら間違いなく窘められるであろう、砕けた口調で真理亜は嘆いた。

本当に、ここは息が詰まることが多い。

真理亜はげんなりした顔で再び紅茶に口をつける。

それを眺めていた莉乃は「そういえば」と真理亜に少し近づいた。




「真理亜様」


「いつも通りでいいよ、二人だけのときは」




不服そうに口を尖らせて莉乃を見ると、莉乃は困り顔をして「真理ちゃん」と小さく呼び直した。

莉乃は、藤堂家・家政婦長の娘で、藤堂家から唯一真理亜に付いてきた娘だ。

藤堂家は薬師たち社員も同じ家で生活する大所帯で、侍女たちは雇い主の藤堂家の世話だけではなく社員の面倒も見ていた。

だから、真理亜にとって藤堂家の侍女たちは母親のようなものだったし、莉乃とは姉妹のような間柄だった。


そんな莉乃が心配そうに見つめてくるので、真理亜は小首を傾げた。




「私の顔がどうかした?莉乃」



「鏡、見た?」



「え?」



「隈がまたひどいよ?」



莉乃から手鏡を手渡されたので覗き込むと、目の下に隈がくっきり浮き出ていた。

「うわぁ・・・」と呟き真理亜は目元をぐりぐりと押してみる。

隈は寝不足で血行が悪いと浮き出てくると聞いたことがあるからだ。

しばらく強めにマッサージしてみたが、少し薄らいだ程度で、大幅に変わることはなかった。




「うーん・・・朝、夢のせいで寝坊しちゃったから、鏡ちゃんと見てなかったよ・・・」



「夢?」



「そう、知らない人の・・・記憶を辿っているような夢・・・かな?」



「知らない人の?」



「うん、知らない人。どんな人かも全然覚えてないけど」





所詮夢は夢なので、どんなものだったかハッキリは覚えていないが「知らない人の記憶」という印象だけが残っていた。

その夢を見ると眠りが浅くなるのか、何度も何度も夜中に起きてしまう。その上、何度起きてもその夢しか見ないのだ。





「どこでもよく寝れる真理ちゃんなのに、隈作るくらい眠れないなんて・・・」


「ほんとだよ・・・唯一の私の長所なのに・・・」



友だちの家に遊びに行って、友だちのベットで爆睡することが常だった真理亜にとってこれは一大事だ。しかも自分のベットで寝れないなんて前代未聞だ。

真理亜は未練がましく目元を再度マッサージしながら、心配そうに傍に立つ莉乃を見上げた。



「莉乃、悪いけど、ホットタオル準備してくれる?私、厨房に近寄ったら、家政婦長に怒られちゃう」



侍女や使用人が働くスペースにいるところを見られたら、子鳶家の者たちは本当にいい顔をしない。

彼女らなりに矜持があるのだと思うが、自分の家なのにちっとも好きにさせてもらえないのだ。

もう本当にこの先、この家でやっていけるのかなぁと真理亜は心底ブルーな気持ちになった。

今日は寝起きから気持ちが落ちることばかりだ。


そんな真理亜の雰囲気を察して、莉乃は真理亜の目線に合うようにしゃがみこんで、優しく手を握った。





「真理ちゃん、私がいるからね」





真理亜よりいくつか年下のしっかり者の莉乃の穏やかな瞳に見つめられて、真理亜は暗くなっていく気持ちが少しだけ暖かくなったのを感じた。

真理亜には、昔から頑張りが空回りする癖がある。そのせいで張り切っていてもうまく出来なくて、勝手に凹んでしくしくと落ち込むことが多かった。

それをいつもさりげなく察して、支えてくれるのは莉乃だった。

―—貴族に嫁ぐということが大変だということくらい覚悟していた筈なのに、本当に自分は弱いままだ。




「(私ができることを精一杯やるって決めたのに)」



このままでは、藤堂真理亜でいた時となにも変わらない。

真理亜は自己嫌悪で再び落ちそうになる気持ちを小さく深呼吸して堪えて、小さく頷いてみせた。

莉乃はその様子を見て微笑むと、姿勢よく立ち上がった。







「・・・ホットタオルは寝室に用意します。お昼まで少しお休みになられてください、真理亜さま」





子鳶家の侍女の顔に戻った莉乃はにこりと笑い、握った手をそっと離して、真理亜を寝室へと促した。

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