第1話 はじまり




 真理亜が生まれた藤堂家は、陽向国ひなたこく乙鳥つばくら領で代々薬の調剤や販売を生業としてきた歴史ある商家で、乙鳥領の領主家とも取引がある家柄だった。

しかし、金に目が眩んだ先代の不正や悪行のお陰で、悪名が広まり廃業寸前まで追いやられてしまった。

現当主の真理亜の父や、真理亜の兄弟たちの地道な努力のお陰で、なんとか経営は続いているものの、依然厳しい状態である。

このままでは、藤堂家だけではなく、店で働く者たちの生活までが危ぶまれる。

そんな折、藤堂家に見合いの話が舞い込んだ。



『資金の提供と大口契約、乙鳥領の領主家へ口利きの約束』を条件に、隣領・獅童しどう領の領主家三男坊との見合いを持ちかけられたのだ。



領主家といえば、国内に数えるほどしかいない「貴族」としての爵位を持つ家柄である。

歴史ある商家とはいえ、庶民である真理亜には本来なら有り得ない縁談だが、藤堂家は腕のいい薬師たちを抱える一方、自らも薬師としての技能をもつ薬師の一族で、落ちぶれたとはいえど販売される薬の効能は確かな物だった。そのため、商家の中でも名のある家柄に数えられた。

それに加え、系譜が長いためか貴族に嫁いだ者も何代か前に存在しており、まったくの庶民の血筋という訳ではなかったので、この話が成立したのだという。



しかし、藤堂家はひとつ返事で了承することはせず、頭を悩ませていた。

藤堂家には年頃の娘が真理亜ひとりしか居らず、娘を取引の材料にしたくなかった両親は、なんとか縁談を断り穏便に済ませる方法を模索していた。

だが、見合いの回答期限が迫り、泣く泣く当の本人に見合いの話を告げると、真理亜は結婚を快諾。

渋る両親を「家のためだから」と宥めすかし、獅童領・領主家の子鳶ことび家三男の小鳶悠里ことびゆうりに嫁いだのだった。






**





小鳥のさえずりと朝陽の眩しさに意識が浮上して、ゆっくり目を開ける。


眠気で完全に開ききらない目をこすり、枕元の時計を見ると、もう朝の七時だった。




「・・・寝過ぎたわ」



いつもより一時間も寝坊である。



ふと思い付いて隣を見てみると、いつも通り綺麗なままのベットがあった。

本来夫婦の寝室であるはずの部屋だが、真理亜は結婚以来ほとんどひとりで寝起きしていたので驚きもしない光景ではあったが、なんとなくうんざりしてため息をこぼす。


―――夫である悠里は家を留守にすることが多い。

仕事が多忙であることが大半だが、休みの日に帰ってこないのは、夜の闇にどこかのご婦人と消えていくことが多いからである。



眉目秀麗で優しく、仕事も出来て部下や上司からの信頼も厚く、出世街道まっしぐら。しかも王家血縁者との縁が深い獅童領領主家「小鳶」の息子とあっては、女性たちが放って置かない。


社交界から縁遠い真理亜の耳にもそんな話が届くくらい小鳶家三男坊は良くも悪くも有名で、真理亜の両親が小鳶悠里に嫁ぐことをよく思わなかった原因の一番はそれだった。




「・・・悠里さん、なんであたしを正妻にしたんだろう・・・」




この国では、貴族に限り妻を多く持つことを許可されている。

藤堂家との取引とはいえ、悠里は真理亜を正妻に置く必要などなかったはずだ。

普通中の普通の容姿で、器量もいい方ではないし、要領も悪い。

藤堂家の血を引くとは言え、真理亜には薬師としての技能もなかった。

そのせいで、件の社交界での結婚のお披露目の時に、ご婦人方の丁寧な言葉遣いでのチクチクとさしてくるような嫌味や、ひそひそと聞こえてくる嫉妬交じりの悪口の嵐に襲われ、そのせいで、元々パーティーなどのキラキラした場所が得意ではない真理亜は、社交界が「苦手」から「嫌い」に認識が変わってしまい、大事なパーティー以外は、何かと理由をつけて辞退するようになってしまった。




「・・・うぅ・・・思い出すと胃が・・・」




結婚に憧れを持っていなかったとはいえ、こんな生活は想像もしていない。

有名な商家の娘とはいえ、普通に兄弟と喧嘩して、普通に学校に通い、普通に恋もしていた。

起こる出来事が、すべて「非日常」すぎるのだ。




「真理亜さま、お目覚めですか?朝食の準備が出来ていますので、着替えられたらお越しください」



ぐるぐると自分の甘さを呪っていると、侍女メイドの少女の馴染みのある声がドアの外から聞こえてきた。

その声に、寝坊したことを思いだし、すぐさま返事を返すと、真理亜はそそくさと着替えを始めた。


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