土曜日。ポプラの並ぶ目抜き通り。

喫茶店の壁にもたれ

約束の相手を待つ。

 青空が眩しすぎるので、うつむいて、石畳みに雲が流れていくのをじっと見ていた。

風が強い。爪先を綿雲が5つ通り過ぎたのを数えた時、

「田中さん」

 視界に、黒い足先が飛込んで来た。

「こんにちは」

 ゆっくりと顔を上げて、長身の彼の顔を視界に捉えた。

出来るだけ丁寧に挨拶の言葉を口にした。

あたしの持っている一番いい笑顔で。

このひとといられる時間を無造作に過ごしたくないから。

「中で待っていればよかったのに」

 陽射しよりも眩しい、浅木(あさぎ)氏の笑顔。

「お天気がいいから、お日様に当たらなきゃもったいなくて」

 嘘。

 さっきのように、光の中であなたに呼ばれたかったのだ。

・・・王子様のキスを待つ、いらくさ姫のように。

 店に入ると、窓際の一番奥の席に着く。浅木のお気に入りの指定席。

店の外からも、店内でも、一番目に付きやすい席かも。

このひとは、あたしといることに後ろめたさなど全く感じてはいないのだ。

「何にする?」

「シナモン・ティ」

 自分の分のキリマンジャロと一緒に注文し、煙草を取り出す。

ライターのキャップを開ける、キン、という音。

長めの煙草に火を点け、窓の外の人の流れを眺めながら、ゆっくり、くゆらせる。

 そんな彼の仕草を、目をビデオカメラにして、じっと見ていた。・・・いかん。このままじゃ、時間の無駄になる。

「何の御用でした?」

「あ、そうそう」

 こと。テーブルの上に掌くらいの箱を出す。

「先週の週末、上高地の方へ撮影旅行に行ったんだ。

これ、お土産。

遅くなったけど、なまものじゃないから」

 小さなこびんに入った、お茶の葉。

プラス、木製のスプーン、というセット。

…う、可愛い過ぎる。

「かりん味のお茶だって。田中さんは、いろいろ、ヘンなお茶が好きだからなー」

 シナモン・スティックでお茶を掻き回す、あたしの手元を見て、笑う。

「どうでした? 上高地は」

(奥様ハ、御一緒デシタカ?)

「うん。なかなかいい写真が撮れた。

大正池に行ったんだけどね。

あそこはね、何ていうか…時間が止まっているんだよね。

霧の中で、樹木が水に浸かったまま、立ち枯れていてね。

…ほとんどモノトーンの世界なんだよね。

岸でぼんやり眺めてると…何だろう…あれは…そう、"終末"ってものを考えてしまう…」

 ああ、きっと一人旅。

物寂しげな岸辺。

一人ぼっちでカメラを構えている姿を想像する。

「実際、あの池は常に常に姿を変えている…その時その時にしか出会えない光景がある。

田中さんも、いつか行ってみるといい。絵付けのいいヒントになるんじゃないかな」

「今度、写真見せてください、是非」


 浅木は、アマチュアのカメラマンである。

プロの間でも一目置かれている腕で、

専門外のはずの美大の友人でも、その名を知っている人は多い。

高校生の時、あるギャラリーで見た図録の写真が、あたしが陶芸を始めたきっかけだった。

 彼の知人のオブジェ作品を撮ったものだったが

背景の選び方、光の使い方に

披写体への深い愛情を感じた。

このひとの目で、自分の作品を撮られてみたいと思ったのだ。

「どう? 学校の方は」

「色彩感覚が、とにかくダメなんです。丁寧なのは誉められるんだけど、人を引き込む迫力とか

遊びが無いんだよって」

「田中さんらしいなぁ」

 独り言のように言って、ちょっと微笑む。

「田中さんは彼氏いるの?」

…また唐突に痛い話題を振るっ。このひとはっ。

「……どっちに見えます?」

「んー、悪いけど、そういうことには全然関心無いって感じがするな。"あたしの青春は陶芸オンリーよ"っていう」

「ひっどーいっ! どうせ浅木さんから見れば、あたしはコドモですよぅ」

「田中さんは、まだまだこれから変わっていくよ。いいねえ若いってことは。うらやましいなあ」

 一人で頷いてるのを見ていたら、ちょっと憎らしくなるわ。

「そんな、オジサンくさい言い方止めて下さい。まだ31でしょう?」

「もう31だよ。青春はとっくに卒業しちゃったな」


 黄昏の欠片も無い明るい目をして、

そんな嘘言わないでよ。あたしの太陽。


「本屋に行くんだけど、一緒に来ませんか?」

 誘いに乗って着いていくことにした。ドアのガラス越しに、どんよりとした曇り空が見える。

さっき、あんなに陽が眩しかったのに。

 重いドアを押した拍子に、彼の白いシャツが強風をはらんで膨らむ。

・・・ずき。心臓が、止まる。

「どうしたの?」

 立ち止まってしまうあたしに気づき、振り向く。

「ゴミ、入っちゃったみたい」

 慌てて目をこすって取り繕う。

「あ、だめだよ。そんな強くこすったら。

・・・ほら、目が赤くなる」

 こすっているうちに、本当に泣けてきてしまったのだ。

 心臓がずきずき踊り続けている。目が霞んでくる。

 あのシャツに触れたい。そう感じてしまった一瞬が恥ずかしくて消えてしまいたかった。

 この想いは、罪なんだろうか。



 書店に入ると、浅木は写真・芸術の書棚の前を、目的の書名を口にしながら歩き回っている。

なのに、全然違うタイトルの本を手にしては、幾つもあたしに薦めてくれる。

 さっき、舗道で泣き出してしまったあたしを、気遣ってくれているのか。

 高い場所にある本を取ろうと伸ばした腕が、あたしの頭に、ごつんと当たった。

「たっ」

 痛さよりも、びっくりして思わず声をあげてしまった。

「ごめん、ごめん」

 ぶつかったその箇所の髪を、くしゃっと撫でてくれる、大きな手。

さりげないその動作に、あたしの心臓がまたストップモーションをかける。

 あたしのこんな混乱を、このひとは考えてみもしないのだろう。 


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