Ⅰ-19 由良の秘密

 小さな村に出た。


 通りがかった娘に、街道はどちらかと尋ねると、まるで鬼にでも出会ったように悲鳴をあげて逃げられた。


 田んぼで仕事をしていた農夫に尋ねると、彼はぎょっと頬を引き攣らせながらも、恐る恐る道を教えてくれた。


 その後も、すれ違う人みんなに怖がられた。


 村の男たちが農具を手に持ち、鬼羅たちが村を出るまで付回された。


「どうして、みんな、私たちを怖がるのでしょう?」


 鯨丸は首を傾げた。


「そりゃ、おめぇ、山の中から人が出てきたら、誰でも鬼だと思うだろう。しかも、この形だぞ」


 男たちの血を浴びたせいで、顔も服も茶褐色に薄汚れている。


 こんな姿で山から下りてくれば、誰だって鬼か妖怪の類だと思う。


「体だけでも汚れを洗い落とさねぇとな」


 吉野川に出た。


 鬼羅と鯨丸は素っ裸になり、川に入って汚れを洗い落とした。血がこびり付いているせいで、全部は落しきれなかった。


 由良は、鬼羅たちのあられもない姿に恥ずかしそうに視線を逸らした。


 彼女は、顔と手だけを洗った。赤茶けた汚れが流れ落ちると、頬の産毛に水滴が付着し、温かい日差しに照らされて、ぼっとほの白く浮かび上がった。


 由良は、懐から小さな手鏡を取り出し、乱れた髪を整えた。


 鬼羅は、可愛い娘なんだがなと、由良の様子をぼんやり見ていた。


 由良は、鬼羅の視線に気が付くと、ツンと横を向いた。


「やっぱり可愛げのないヤツだ」


 と、舌打ちした。


「すみません、由良は人見知りが激しくて」


 鯨丸が代わりに謝った。


「それにしても、返事のひとつもできるだろう。会ってから、ずっとだんまりだ。嫌われているのか?」


 鯨丸は、しばらく黙って由良を見ていた。


 由良は、懐の中から小さな鞠を出して、それを空中に放り投げては遊んでいる。


 鯨丸は徐に口を開く。


「由良は、しゃべれないのです」


 鬼羅は鯨丸の横顔を見た。


 鯨丸は、悲しげで、悔しそうな表情をしていた。


「生まれつきか?」


 鯨丸は、こくりと頷いた。


「由良が、養女となったときから」


「養女? じゃあ、若さんと姫さんは……」


「本当の兄妹ではありません。私の母は、私を生んだあとに、すぐに亡くなりましたので。父が、さる方から赤ん坊の由良を養女としてもらい受けたと云っていました。もちろん、由良はそのことは知りませんが」


 鯨丸は、寂しげな面持ちで由良を見詰めていた。


 どこからともなく、白い犬がやってきた。


 犬は、由良の放り投げる鞠を物珍しそうに眺めている。


 由良が、試しに犬のほうに鞠を放り投げると、犬は鞠に齧り付き、由良のもとへ持ってきた。


 それがよっぽど気に入ったらしい。


 由良は、何度も何度も鞠を投げ、犬にとって来させた。


 手毬が、鬼羅の足元に転がってきた。


 拾い上げる。


 少女が使う手毬にしては、随分重い。


 放ってやると、犬が喜んで駆けていく。


「そうかい、そいつは悪いことを聞いたな」

 

 鬼羅は、鞠を眼で追いながら云った。


「いえ」と、鯨丸は首を振った、「でも、私は由良を本当の妹だと思っています。もちろん父も、由良を本当の娘のように育ててきました。本当の娘として守ってきたのです」


「分かってるよ。今日からは、父親の分まで守ってやるんだな」


 鬼羅がそう云うと、鯨丸ははっと顔を上げ、何か言いたげに口を動かした。


 すぐに力なく頷いた。


「おめぇさんは、いい兄貴だよ」


 鬼羅は、鯨丸の頭をぽんと優しく叩いて、立ち上がった。

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