Ⅰ-9 侍の覚悟
「それから鬼羅殿」、顔を上げた邦盛が云った、「箱は櫃に入れ、この鯨丸と由良に担がせまするので」
「なんだと?」
鬼羅は素っ頓狂な声を出した。
「その箱は、鯨丸と由良以外は触れられない〝掟〟になっておりますので。しかも、箱の中の宝は、由良しか触れません。それ以外の者が触ると……」
「命を取られる、か?」
「左様。それに、運び手が三人もいれば、敵の目も誤魔化せましょう」
鯨丸は、緊張した面持ちでペコリと頭を下げた。
「待て待て、では俺は何だ? こいつらのお守か?」
「まあ、護衛といったところじゃな」
「それじゃ話が違うだろうが。俺は自分で運ぶと思ってたんだぜ。こいつらの護衛となれば、話は別だ」
「しかし、もう金を受け取ったからな」
「くっ……、くそ……、きたねぇな」
交渉に勝ったと思ったが、どうやら完全に嵌められたようだ。
「いやいや、忍び者を騙すのは気持ちが良いわい」
邦盛はカカカカッと快活に笑った。
男たちも、どっと笑った。
鯨丸と由良兄妹もお腹を抱えて笑った。
勝ち目のない籠城戦で重く沈んでいた空気は、幾分晴れやかになった。
鬼羅だけが、ぶすっとした顔をして座っていた。
「分かったよ、やりゃいいんだろう、やりゃ。たく、これだから侍は嫌いなんだよ」と、ブツブツと文句を云った、「で、どうやってここから出るんだ?」
屋敷は完全に包囲されている。侵入するのさえ、命がけだったのだ。簡単に通してくれるはずがない。
鬼羅ひとりならまだしも、鯨丸と由良がいる。父の邦盛と違い、線の細い兄妹だ。荷物を担いで敵から逃げまわるのは不可能だろう。
「どっか、抜け道とかないのか? 秘密の抜け穴とか? 忍び屋敷なら必ずあるぞ。ここは平家の落人村だろう?」
「ある。この裏山に……」
そいつは駄目だと、鬼羅は手を振った。
「俺が入り込んだ時点で、裏山は包囲されているはずだ。向こうには、かなりできるヤツらがいるようだからな、南蛮人の。それに、この山はかなり急斜面だ」
屋敷に入り込むときも、何度も転げ落ちそうになった。
忍びの鬼羅でも、この有様である。
鯨丸と由良が重たい荷物を担いで上がれるとは思えない。
「まあ、鯨丸と由良には当然無理であろう」
邦盛はあっさりと認めた。
鬼羅は呆れてしまった。
「あんたなぁ~、じゃあ、どうするんだよ」
「それは考えてある。ここから西に、我ら一族の墓がある。そこに抜け道がある。そこなら、大丈夫であろう」
「だが、それには三好の包囲を突破しねぇといけねぇ」
「それも考えておる」
やおら邦盛は手をあげる。
すると、男たちは甲冑を外し始める。
「鯨丸と由良は、よく見ておれ」
二人は強張った面持ちで、コクリと頷いた。
妙な緊張感が漂い始めた。
みな押し黙っている。
武具を外す音だけが広間に響き渡った。
何をするのかと見ていると、男たちは一斉に脇差を抜いた。
「鬼羅殿、我が一族の覚悟、篤と御覧あれ」
男たちは躊躇いもなく、脇差を腹に突き立てる。
由良は両手で顔を覆った。
鯨丸は、目の前の惨状を呆然と見詰めている。体だけ異様に震えていた。
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