Ⅰ-2 触らぬ神に……

 焼き働きだろうか。平野に点在する数軒の農家からは火の手があがっている。


 侍が植田をこねている姿も見える。


 村人は、中腹の大きな屋敷に籠もっているようだ。赤い幟旗とともに、竃の煙が風に靡いている。


 男たちが土塀の上にあがり、攻め上がる武士に弓を射っているのが見える。


 女子どもは、怪我をした男たちの手当てをしたり、握り飯を配ったりしているのが見えた。


 攻めての一団は平野部をほぼ制圧し、あとは山腹の屋敷を攻め落とすだけと、周囲を取り巻いている。


「あれは野武士の乱取りじゃねぇな」


 野武士にしては数が多すぎる。


 兵の数は、優に三百は越えているだろうか。


 幾つかの幟旗が見える。


 大将の身なりも随分良い。


 大将の幟旗は、三段菱である。


「三好か! 何でまた?」


 いまは織田信長の配下になりさがっているが、三好といえば名門である。管領細川家の家臣でありながら、主家を凌駕し、一時期、政を司った一族だ。


 鬼羅は舌打ちをした。


「面倒くせぇな」


 野武士相手ならば、ひとりで戦える。だが、正規軍団相手では、分が悪すぎる。しかも、数があまりにも多すぎた。


 仕事の割に高すぎる報酬だと思っていた。


 こういう事態なら、それも頷ける。


「どうするかな……、帰るか?」


 鬼羅は天を仰ぐ。


 報酬は良い。こんな状況だからと、もっと報酬を釣り上げることも可能だろう。

だが、命あっての物種だ。


〝触らぬ神に祟りなし〟ではないが、〝触らぬ三好に祟りなし〟だ。


 鬼羅はくるりと踵を返し、一歩踏みだした。


 が、すぐに立ち止まった。


 脳裏を黄金色の光が掠めた。


 ここで帰るのは簡単だ。


 しかし、途中で依頼をほっぽり出したとなれば、今後の仕事にも影響する。


 しかも、遥々海を渡り、阿波にまで来た。熊さえも出没しないような、こんな山奥の村まで来たのだ。


 貰うものを貰わないと割に合わない。


「欲深いのが、俺の悪い癖だ。そのうち死ぬぞ!」


 鬼羅は、自分の頭をポカリと叩き、再び崖の先端に立った。


 決心はついたが、どうやって侵入したものかと頭を悩ませる。


 屋敷の周囲は完全に包囲されている。鼠一匹抜け出す隙もないようだ。


「となると、あそこか……」


 屋敷は山の中腹にあるため、後ろ側までは侍たちに囲まれてない。かなりの急斜面に建っているので、三好軍も、そこから村人が逃げ出したり、援軍が侵入したりしようとは考えてないようだ。


 入り込むなら、そこしかない。


 まるで源平の鵯越だなと鬼羅は思った。


「まあ、平家の隠れ里だからな」


 鬼羅は、傘を畳むと、でっかい図体にも係わらず、軽い身のこなしで崖を駆け下りた。

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