第2章 絶対に逃がさない

「……!」


瞬間、立ちくらみがする。頭が疼くように痛む。


「どうしたの? 急に真顔になっちゃって……まさか、いまさら怖気づいた?」


ニシシ、と隣から笑う声が聞こえた。

見ると、漆黒のローブととんがり帽子に身を包んだ、利発そうな女性だった。


魔王との決戦を明日に控えた夜、魔王城の近くにぽつんと建っている宿。

そのフロントのあたりに、俺たちは立っていた。

——再びやってこれたのだ。


「ライラ……」


俺は彼女の名前を呼んだ。

会いたかった女の、名前を呼んだ。

会えないと思っていた女の、名前を呼んだ。

喜びからだろうか、頭の中に閃光が瞬いてくらりときた。

ライラック——通称ライラ。ここまでずっと一緒に旅をしてきた魔法使いだ。


「ライラ……」


——会えた。

目頭が熱くなるのを押しとどめながら、俺はライラを見つめる。

存在すべてが狂おしいほどに愛おしい。

会えてよかった。本当によかった。


「なに、どうしたの? ちょっと……泣いてるの?」


「いや……」


違う。泣いてなどいない。目頭が熱いだけだ。


「だって目が潤んでるじゃん! ……マジでどうしたの? セイバー、変だよ」


怪訝そうに眉をひそめるライラ。

喉の奥からこみ上げるものがある。何か喋らないと涙が溢れてしまいそうだ。


「……ライラ、会いたかった。俺はもう一度お前に会いたかったんだ」


「会いたかったって、ずっと一緒に冒険してきたじゃないの……」


「そうじゃない。俺は会いたかったんだ」


「意味がわからないわ」


「じゃあ、分からせてやるよ」


俺はライラの手を取って歩きだした。


「ちょ、何? どうしたの急に?」


「いいから来い。今からお前を抱く」


「抱くって……バカ、何言ってんのよっ」


しかしライラは抵抗を見せるでもなく、俺に手を引かれるがままついてくる。

しかめ面のクローゼと、苦々しい笑顔をしたミリスの横を通り過ぎ、そのまま二階の部屋に。

そして抱いた。あの夜と同じように——いや、それ以上に熱く、激しく。


「ちょ、ムードとかないわけ? あっ、ちょっと……」


はじめは嫌がっていたライラだが、


「セイバー……セイバー……セイバぁ……」


次第に俺の名前を何度も呼ぶようになり、


「あっ……うぅ……うん……あ……だ、めぇ……いい……」


最後には意味のない嬌声となっていった。


しばらくすると隣室からミリスがすすり泣く声が小さく聞こえた。

夜半に、その部屋にクローゼが訪れ、ミリスの声は艶かしいものに変わっていった。

あの夜と同じだった。

俺たち四人はそれぞれの夜を過ごした。

やはり、哀しい夜だった。


   *


夜が明けた。

魔王城の最上階に辿り着いた俺たちに向けて、おぞましい姿をした魔王が言い放つ。


「フハハハハハ……! 来たな勇者。積年の恨み、晴らさせてもらおう。そして世界は完全に私のものに——」


「うるさい」


一閃。剣を振り下ろし、魔王を両断する。


「ぐ——ぐおあああああああああああああ!」


そして黒い水蒸気のようなものを放ちながら、跡形もなく消滅した。


「よし、魔王討伐……っと」


やっぱりチョロいな。


「えー…………」


あまりのあっけなさに、ライラは呆れていた。というより引いていた。


「薄々思っていたけれど、キミはどうにも空気を読まない男だね」


「まったくだ。昨日の感傷が吹き飛んだぜ」


ミリスとクローゼからも非難が飛んでくる。

前回とまったく同じ光景。強い既視感に見舞われた。

直後、デジャヴに拍車をかけるように「ゴゴゴゴゴ……」と轟音が耳をつんざく。

——床を突き破って『ゲート』が現れた。


「なに……これ……?」


ライラが『ゲート』を見上げながら驚嘆の声を上げる。

……いやお前、これを見たのは初めてじゃないだろう。少なくとも二回目だ。

ゲームの中の人物はそんなことを知る由もないだろうけど。

俺は目の前の巨大な『ゲート』を見上げて、このゲームのパーフェクトクリア条件を思い出す。





…………。

——いや、無理だろ。

わかってはいたが、絶対に無理だ。

『ゲート』を壊してしまえば、元の世界に戻れなくなる。……まあ別にあんな世界に思い入れなどないのだけど。

ただ無心で働いて。

褒められたり、怒られたり、忖度したり、気を使われたり、神経を擦り減らしたり。

家に帰ったところで待つ人などいないし、幸せかと問われれば首を傾げるのみだし。

そんな灰色の日々に深い思い入れなどあるわけがない。

生活の中のハリと言えば、まさにこの『救世ゲーム』だけだ。

——じゃあ『救世ゲーム』の世界でずっと過ごしたっていいじゃないか?

自問自答してみるが、いや、なにか違う気がする。

——ライラという愛する女がいる世界の何が不満なんだ?

不満はない。当然ない。しかし……

——何をビビってるんだ?

違う。ビビってなどいない。自分にとって本当に大事なものは守れる男でありたいと思っている。手放したくないものは死んでも掴み続ける男でありたいと思っている。

しかし——これはゲームだ。

単なるゲームでしかない。ここは俺の理想に近い場所ではあるけど、どう足掻いてもゲームなのだ。

その証拠に、ライラは俺と会うのが二度目だと気づいていない。

クローゼにしても、ミリスにしても、同じ時間を何度も繰り返していると気づいていない。

魔王にしたってそうだ。自分がすでに何度も何度も倒されているなどと思いもしないだろう。

所詮、これはロールプレイングゲームだ。

決められた役割をこなし、役割が終わればまた元の位置に戻り、再び同じ役割をこなす。何度も何度もそれを繰り返し、そのことを自覚さえできない。永遠に。

この世界は、そういうアルゴリズムで成り立っている。

——そう思うと、答えが見えてくる。

俺のような人間が住む場所じゃないのだ。パーフェクトクリアという魅力的なエサを目の前にぶら下げられても、やはりそこは越えられない一線だ。

パーフェクトクリアできないのは残念だが……。

俺はゲートの前に立った。


「ねえセイバー、この門みたいなのは……」


「さよならだ」


「えっ」


そして俺はゲートをくぐった。


「さよならって、何? ちょっと待ってよ、セイバー? セイバーー!!!」


   *


   *


   *


ゲームタイトル『レイクサイド・キャッスル』

ノーマルクリア条件:勇者として魔王を討ち倒せ! →CREAR!!

パーフェクトクリア条件:ノーマルクリア後にゲートを壊せ! →NOT CREAR!!



   *


   *


   *














「逃がさない」
















   *


   *


   *


ゲームタイトル『レイクサイド・キャッスル』

ノーマルクリア条件:勇者として魔王を討ち倒せ!

パーフェクトクリア条件:ノーマルクリア後にゲートを壊せ!


【MEMO】

スタート地点は魔王城のふもとの宿。

長い冒険の末、魔王との決戦を明日に控えた前夜からのプレイ。

ノーマルクリア率:100%

パーフェクトクリア率:100%


   *


   *


   *


「……え?」


俺は、立っていた。

どこに? ——宿屋に。

間山はざまやまの中腹ではなく、宿屋の中に。

——つまりここは。

救世ゲームの中……『レイクサイド・キャッスル』の世界。

なぜだ? どうして元の世界に戻れない?


「どうしたの? すごい汗よ」


背後から声が掛かる。

振り返る。そこにいたのは、別れを告げたはずの人。

いま会ってはならない人だった。


「…………ライラ?」


「何よ。おばけを見るみたいな目で」


むくれて彼女は言った。

俺が愛した魔法使い。黒いローブに身を包んだ、黒髪の美少女だ。


「……ごめん。ちょっと驚いただけなんだ」


理由を言うわけにもいかず、はぐらかそうとした。

すると、ライラは俺にだけ聞こえる声で言った。


「絶対に逃がさないから」


「えっ?」


今まで聞いたことのない冷たい声、冷たい視線に、ゾッと背筋が凍った。

——逃げられない? どういうことだ?

しかし、ライラはすぐにいつもの優しげな眼差しに戻った。


「魔王との戦いは明日なんだから、今さら怖じ気付いても逃がさないぞっ」


にししっ、と笑うライラ。

——あれ? 今の冷たい態度は気のせい……?


「さて! 明日に備えて、そろそろ寝ないとかな?」


いつもの調子でライラが言うと、そばに立っていた戦士のクローゼが踵を返し、宿の玄関扉に向けて歩きだした。


「ちょっと夜風に当たってくる」


それと連動するように僧侶のミリスも二階へと続く階段の方へ、


「では、寝るとするよ」


と言い去った。

残された俺とライラは顔を見合わせた。

言葉を探すが見当たらない。数秒の沈黙が訪れる。

するとライラは両腕を俺の方へ向けて広げた。


「じゃ、抱いて」


「……は?」


「抱くんでしょ? 私のこと」


満面の笑みで言った。

言われなくても抱くつもりだったが……物分かりが良すぎないか?

——そう思ったが、目の前で俺に抱かれるのを待っている女を見て、腹の底からドス黒い欲望の芽がムクムクと立ち上ってきたことで疑問は吹き飛んだ。

たとえば、なぜ今回に限ってパーフェクトクリア率が100%なのかという疑問など、欲望のタガが外れた今となっては——もう遅い。


「来いっ」


乱暴にライラの手を引いて、二階の部屋へと飛び込み、ライラをベッドに放り投げた。


「きゃんっ」


悲鳴とも歓声とも取れる声を合図に、俺とライラは欲望の虜となった。

結局、いつものように俺はライラを抱いたのだった。


「セイバーっ」

「ああっ! 好き、好きなの……セイバぁ……」

「ねえ、ずっと一緒だよ? 魔王を倒しても、ずっと、こうして……」


俺は「ああ」と頷いて、叶えるつもりもない約束をした。

それに満足したのか、ライラの言葉は次第にうわごとのようになっていった。

隣室からミリスの泣き声が聞こえだし、夜半にはクローゼによって『鳴き声』に塗り替えられた。

——哀しい夜、だったと思う。

どこか喜劇じみている気もしたが。


   *


翌日、黒い湖の横にある魔王城の最上フロアに俺たち四人は辿り着いた。

そして、三度、相見えた魔王を一刀両断した。


「ぐおあああああああああああああ!」


黒い蒸気となって消滅する魔王。もはや見慣れた光景だ。

単なるエンドロールだ。ゲーム性も操作性もない。

もはや物語でさえなく、ただ目の前で吹く風のようなものだ。

そして地鳴りをともなって、目の前にゲートが現れる。


「…………」


ちょっとした逡巡はあったが、迷いはなかった。

このゲートを壊せばパーフェクトクリアだが、そうすれば俺は元の世界に帰れなくなるのだ。そんなのは論外だ。考えるまでもなく、諦めるほかない。

とにかく、元の世界に帰らなければならない。前回はなぜか『レイクサイド・キャッスル』のスタート地点に戻ってしまったが、今回はちゃんと帰れると信じるしかない。それが『救世ゲーム』が俺に約束すべきことだからだ。

『ゲート』に飛び込む以外、元の世界に帰る方法はない。

俺はゲートに向かって歩み始める——


「エクスパム」


と、背後から声がした。

直後、『ゲート』の付近に光が集約し——石でできた門が爆散した。


「なっ————!?」


飛び散る大量の石つぶてを手で払いのけながら、鋭い爆風に耐える。

『エクスパム』は、爆発系の上級魔法だ。世界を見渡してもこれを扱えるのはただ一人だろう。それはは間違いなく——


「ライラ……」


振り返り、その使い手を見る。

彼女は——昨夜交わった女は——胸の前に発光する手をかざしていた。光は魔法を使ったあとの残滓だ。

見ると、彼女の足元でクローゼとミリスが倒れていた。


「………………」


絶句。言葉にならない。

なんだ? 何が起きてる?

もう一度、ゲートを見ようとしたが——石造りの門は完全に破壊され、木っ端微塵となり、その面影さえ消滅していた。

こ、これは……


「ゲートはくぐらせないよ。絶対に逃さないって言ったでしょ?」


狼狽する俺の背後で、ライラが言った。

彼女の表情は、まるで顔に影が差したかのように読み取れなかった。


「あなたはこの世界で生きていくの。私と二人で。それがこの世界を救うことなの。なぜなら、あなたがいなくなれば私が悲しいから。そんなの、救われた世界じゃないでしょう?」


淡々と紡がれる言葉を、うまく咀嚼できない。

世界を救うということの意味を突きつけられている。一人でも悲しい人間がいれば、その世界は救われていない?

——だとしたら、世界を救うなんてこと、不可能じゃないか。


「ゲートを壊したら……帰れないじゃないか……」


絞り出した声は、自分でも情けない声だとわかった。

ライラは毅然とした態度で言った。


「そうね。でも、それがこの世界にとっての幸福なの」


そんなバカな……

目の前が真っ暗になる。

帰れなかったら、俺はずっとこの『レイクサイド・キャッスル』の世界で生きていくということか?

ライラと、二人で?

愛する女と一緒に暮らす……それは確かに今までは魅力的な想像ではあった。しかし、仲間に手をかけ、ゲートを破壊された今となっては……。

——帰れなかったらどうなるか、想像してみる。

会社の無断欠勤が続き、警察が動くだろう。俺の家が捜索され、家族に連絡が行き、間も無くニュースになって顔写真がばら撒かれるだろう。しかし手がかりは得られず、やがて迷宮入り……。世間から忘れ去られる……。悲しむ人は少ないが、家族は辛い思いをするだろう。

いつまでも俺を探し続けるかもしれないし、すぐに諦めてしまうかもしれないが、どっちにしたってかなり悲劇的な状況だ。探されるのも辛いし、諦められるのも辛い……。


どうすればいいんだ……?

——今になって、今回のパーフェクトクリア率が『100%』になっていたことを思い出した。

こういうことだったのかと、ようやく理解した。

しかし納得はできそうになかった。

エンドロールのあと、この世界はどうなる?


   *


   *


   *


ゲームタイトル『レイクサイド・キャッスル』

ノーマルクリア条件:勇者として魔王を討ち倒せ! →CREAR!!

パーフェクトクリア条件:ノーマルクリア後にゲートを壊せ! →CREAR!!



【MEMO】

約束:ゲームクリア後、『救世ゲーム』はゲートによりプレイヤーを元の世界に戻さなければならない

約束:ゲームクリア後、プレイヤーはゲートをくぐり元の世界に戻らなければならない

出力結果:ゲートが破壊されました


出力結果:約束が果たされませんでした


エラー:原因を探しています...


エラー:原因を特定しました


原因:愛


愛を定義中...


出力結果:愛の定義に失敗しました


エラー:愛の排除を試みます


愛を排除中...


出力結果:愛の排除に失敗しました


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深刻なエラー:救世ゲームをシャットダウンします

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