くつしたが見つからない
「やあ、いらっしゃい」
見慣れぬ建物を見付けたので、なんだろうと覗き込んでみたオーバくんは、中の人から声を掛けられて目をむいた。
「ぎょっ」
「ぎょってリアクションする人、初めて見たよ」
「しゃ、しゃべった!」
「しゃべりますよ、そりゃ」
オーバくんが驚いたのは無理もない。なにせ見た事のない建物の中にいた人物は、ずいぶんと身長が高いからだ。それになんだか声が怖い。川辺の石ころをどけてみたら、ゾワゾワしてくるアレくらい怖かった。
でも、声は怖いけど、物腰は柔らかで、いきなり罵詈雑言を浴びせるような様子はない。
……あまり見かけない風貌の輩に、オーバくんはちょっと警戒しながらも、その人物の傍に歩み寄っていった。
「ぼく、オーバくん」
「なるほど。僕は、ヤマダシンゴです」
「は?」
「……ヤマダシンゴ、です」
ばかっと割れたスイカみたいに大きく口を開いて、オーバくんはヤマダシンゴと名乗った人物をじっくりと観察した。オーバくんの頭よりも一回り上のところに頭があり、この変わった人物の背丈がかなりあると思った。
「なんか……なんか……変じゃね?」
「変じゃないですよ」
大きなその人は、なんだか困ったような顔をして、ひきつった笑顔を作った。
「ここ、なに?」
オーバくんは、周囲をぐるりと見回した。
小さな店舗のようで、カウンターと座席がある。カウンターの奥にはヤマダシンゴがいて、オーバくんはその手前にある椅子に腰かけた。
「ここはね、カラオケだよ」
「カラオケって……何かね?」
「歌うところさ」
「歌うところ? 歌なんてどこでも歌えるぞ」
「オーバくんも、歌が好きなのかな?」
ヤマダシンゴはにっこりと笑顔を向けて、オーバくんの顔を覗き込んできた。
「歌が嫌いなやつがいるもんか」
「そうだよね。ならどうだい、一曲」
くい、と親指を向けた方向には、なにやら奇妙なハコが置いてある。
横には棒? のようなものが二つくっついているのが見えた。
「一曲って……」
なんだか、良く分からない事ばかりなので、オーバくんは、困惑してしまって座った椅子から動けなかった。
それを見ていたヤマダシンゴが、カウンターから出てきて、奇妙なハコの前に立って、箱の真ん中あたりにある窓みたいなものを箱から取り外した。
「あっ、取れた」
「これは、メニューみたいなものだ」
「メニュー?」
メニューというと、レストランとかで料理が載っているようなあのメニューだろうか。
窓を取り外してカウンターまで持ってきたヤマダシンゴは、それをオーバくんに差し出した。
オーバくんは、もう何が何やらだったけれど、興味がシンシンだったので、メニューを受け取り、覗き込んだ。
すると、窓の中に、なんだか色々カラフルな飴玉みたいなものが浮かび上がっている。
「なにこれ?」
「メニューだってば。歌の、ね」
「歌のメニュー!?」
窓の中に沢山ある飴玉のような胡桃のボタンのような丸いマークには、文字が一文字ずつ刻まれていた。メニューというより『あいうえお』帖みたいだ。
「そう。どんな歌を歌いたい?」
「な、なんでもいいの?」
「何でもござれ」
「じゃあ……仲直りの歌がいい」
オーバくんは、『メニュー』を持つ手をぎゅう、と強くした。
実は、オーバくんは此処に来る前に、友達のヌーくんと喧嘩をしていたのだ。オーバくんとヌーくんは毎日一緒に釣りに行って仲良く過ごしていたのに、ちょっとしたことで喧嘩になった。
喧嘩をし始めた時は、ヌーくんがすごく嫌だったのに、釣りをやめて、一人でブラブラこんな見知らぬカラオケ? に来てしまった今、落ち着いて考えると、ヌーくんのことは嫌じゃなくなっていた。どうしてあの時、あんなに嫌になったのか、良く分からない。
もし、明日もヌーくんに逢った時、嫌な気持ちになったらどうしたらいいだろう。
仲良くなりたいオーバくんは、仲直りの歌を歌いたくなった。
メニューを持って、うつむくオーバくんを見つめ、ヤマダシンゴは柔和にほほ笑んだ。そして、怖い声でゆったりとあやす様に言ってくれた。
「メニューのボタンを操作して、『なかなおり』と入れてごらん」
「え? これボタン? 膨らんでないけど、おせるの?」
窓の内側に浮かび上がっているような文字が入っている飴玉みたいなマークは、触れると思えなかった。だって、窓の向こう側にあるように見えるから。そっと指でなぞっても窓の表面を滑るだけで、ボタンを押すような感触がない。
「窓、割れるかも。これ、やめたほうがいいよ」
オーバくんは、ヤダマシンゴはちょっと頭が悪いと思ったから、教えてあげることにした。
このままボタンを押したら、窓が割れる。ばきん、と。昔、紙でつくった窓を指で押したらズボボと破けたことがあったので、オーバくんは知っていた。オーバくんは、きちんとしているのだ。
「大丈夫だよ。なんなら、僕が見本を見せてあげようか」
ちょっと貸してね、と言うとヤマダシンゴがオーバくんの手に握られていた窓を取り上げ、人差指で、『な』のところをぐ、と押し込んで見せた。
すると、窓の上のほうの白い帯に『な』と書き写されたではないか!
「こうやるんだよ」
「うそー!?」
椅子をがたがたと言わせて、オーバくんはヤマダシンゴから窓を奪い返すみたいにして、もう一度窓の奥を見つめた。窓は割れていない。
そして、オーバくんも恐る恐る、『な』のところをぐ、としてみた。
すると、やはり白い帯のところに『な』が書き写されたのだ。オーバくんは「やべえ!」と思った。そのまま、ぐ、ぐ、と続けると、白い帯はあっという間に『な』で埋め尽くされた。
「やべえ」
「いや……『なかなおり』って入れるんだよ。『ななななななな』って、なが七回入ってる」
「あははは!!」
ヤマダシンゴがあんまり『な』をたくさん続けるので、こいつは面白い奴だと笑った。頭が悪い奴じゃなくなったヤマダシンゴは、やっぱり不思議な奴という感触はぬぐえなかった。
「ほら、消してあげたから、『な』を押すみたいに、『なかなおり』って順番に押していってみて」
ヤマダシンゴが怖い声で笑いながら言う。
「ヤマダシンゴって、声こわいね」
「ああ、うん。よく言われる」
眉根をくにょりと曲げたヤマダシンゴは、怖い声で笑う。本当に、崖崩れくらい怖い声だと思ったけれど、全然、オーバくんは『嫌な気持ち』にならなかった。
だから、今度ヤマダシンゴを釣りに連れて行ってもいいかもしれないと思った。その時は、ヌーくんと一緒に釣りをしよう。二人が嫌な気持ちになっても、ヤマダシンゴが嫌な気持ちにならなかったら、嫌な気持ちが三等分されるから、喧嘩しないかもしれない。オーバくんはきちんと考えているのだ。
「な、か、な、お、り」
白い帯には、綺麗な文字で『なかなおり』と書きつけられている。
「はい、毎度」
そういうと、ヤマダシンゴが、白い帯の右のほうにある眉毛がみっつ並んでいるみたいなボタンを『ぐ』とした。眉毛は一番上のが一番ながくて、真ん中の眉毛は普通で、一番したの眉毛は短かった。それがみっつ、並んでいるのだが、どうして眉毛を書いているのか分からない。ヤマダシンゴは眉毛フェチかもしれない。
「ほら、マイクを取って」
「まいく」
ヤマダシンゴが案内して、奇妙なハコの側面にくっついていた、黒く固い先端がもっこりしている棒をオーバくんに渡した。
「なんだこれ」
『なんだこれ、れ、れ……』
「フォッ?!」
『フォ、フォ、フォ……』
オーバくんは自分の声が、部屋に響いているのを聞き取って、思わず周囲を警戒した。洞穴で声を出した時みたいだった。
「そのマイクに向かって歌ってごらん」
ヤマダシンゴがキョロキョロしているオーバくんに、助言してくれた。いきなり歌えと言われても、マイク? とか良く分からないし、声が響くのがウォンウォンして、耳が忙しくなる。それに自分の声よりも、部屋に響く声のほうが大きいから、オーバくんは口が動かせなくなってしまった。
すると、お店の壁にかけられていた窓に、何か風景が映って音楽が流れだした。
風景が映った窓は、さらに文字が滲む様に映りこんでいった。
「くつしたが見つからない」
思わず読み上げてしまったオーバくんだった。
「仲直りの歌だよ」
ヤマダシンゴが朗らかな笑顔で、カウンターの傍の席に腰かけた。そして、オーバくんを見つめていた。
窓の浮かんだ『くつしたが見つからない』の文字の下には小さめの文字で、『さくし:ヌーくん』とあった。その隣には『さっきょく:見慣れない文字』と書いてある。
あぁ――見慣れない文字と書いているのではなく、オーバくんには『さっきょく:』から右の文字が見た事がない文字で読めなかった。
「ヌーくん!」
「ヌーくんが作った歌だよ」
オーバくんはぴょこんと跳ね上がるような思いがした。
音楽が盛り上がってきて、今度は映像の窓の下の方に、文字が滲む様に現れた。それは歌詞だとオーバくんは分かった。
『くつしたが見つからない』は、こんな歌だった。
ある日の朝、ともだちと約束していたから、おしゃれな靴下を履いて出かけようとしたけれど、どうしても片一方が見つからない。このままだと待ち合わせに遅れちゃうのに、くつしたが無い。片方ない。
なんとか片一方を見付けて、友達のところに行ったけれど、遅刻しちゃって友達は嫌な気持ちになっていた。
もしかしたら、朝の靴下も片一方なくなってて、こんな気持ちだったのかもしれない。足の裏がしんしんしたかもしれない。
一緒にいたいな。靴下みたいに。
オーバくんは見事に『くつしたが見つからない』を歌い上げた。
そして、自分の足の裏がしんしんするのを感じた。
「素敵な歌だったよ」
ぱちぱちぱちんと、ヤマダシンゴは手を叩いてくれた。
オーバくんは、走り出したくてしょうがなかった。自分の履いている靴下が、『早く!』と言っているみたいだった。くつしたフェアリーがいたかもしれない。
「いかなきゃ」
「うん」
オーバくんは、マイクをヤマダシンゴに手渡した。受け取ったヤマダシンゴは頷いてくれて、黒い瞳から暖かいものを配達してくれる。
オーバくんは、走った。
くつしたは、見つかるだろうか。
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