第4話:心のオアシス
わたしはひとり、夜の街を歩いていた。
さっきの男の話が、どうもまだ理解できない。なぜわたしが選ばれたのか。そもそも前世で英雄だったって何だ? そうだ、その話も途中までしか聞いていなかった。
気がつくと、いつものネオンの前に来ていた。扉が心なしか、いつもより重く感じる。
「いらっしゃ~い。なんだ、結子ちゃんか」
昼間、むさぼる様に律子ママのご飯を食べていたお姉さまが出迎える。昼間はまるで、休日のおっさんの様な服装だったが、今はきれいに着飾って厚化粧をほどこしている。
いつもと変わらないお姉さまの対応に、わたしはこの上なく安心した。
「なんだとは何よ」
ちょっと怒ったふりをしてみる。
「はいはい、わかりました。いつもみたいに、一人で酒におぼれてなさい」
憎まれ口が、こんなに心地よいと感じたのは初めてだった。そしてお姉さまは、お客のいる席へ戻って行った。
いつもの様に、カウンターに腰かける。わたしは、おもむろに店内を見回した。
お客の前で、楽しそうに笑うお姉さま達。作りもののおっぱいを、恥ずかしげもなく触る男たち。
考えてみれば、酔っぱらっていない状態で、この店に来るのは初めてだった。
ここは男の下心も、女の嫉妬もないオアシスだと思っていたが、そうでもない。
女のおっぱいを触ることができない男たちが、その欲求を疑似的に満たしに来ている。現実の世界では気弱な男たちが、ここでは大きな顔をして自分が男だと主張する。
「どいつもこいつも、汚らわしい。この世から性欲なんて、なくなればいいのに」
わたしはそう思いながら、勝手にワインボトルを開けてグラスに注いだ。いつも以上のペースでワインをあおっているのに、まったく酔いが回らない。
そこへ律子ママがやって来た。
「またこの子は勝手に飲んでる。うちのお酒は、あんたの為に置いてるんじゃないのよ」
「ねぇママ、初めて酔っていない時にこの店に来たけど、お姉さま達も大変だよね。てっきりゲイのお客ばかりだと思ってたけど、ただのおっさん相手じゃない。しかも下品なお客ばっかり。わたし尊敬しちゃうな」
律子ママが、ちょっと険しい表情になった。
「結子ちゃん。人間にはね、羽目を外す場所が必要なの。いつも張りつめていたら、いつかプチっと糸は切れるものよ。この店で糸を緩めることができるなら、そんな嬉しいことはないわ。みんなそう思って仕事をしているの」
確かに男という生き物は、女の前では見栄を張る。でも、お姉さま達はどんなお客も、大きな心で受け入れてくれる。そんなお姉さま達のやさしさが、自分も男であることを思い出させてくれるのだ。ここのお客たちは、みんなどこか弱さを抱えているのかもしれない。
「みんな、色々な思いを抱えてここに来るんだね。それをお姉さま達が受け止めてるんだ」
「そんな所かしらね。でも、この店に来る人は、みんないい人ばかりよ。時々、悪ふざけしすぎる人もいるけど。そういう人はね、大抵本当は気が弱い人なの。それくらい可愛いものよ」
「さすが律子ママは肝がすわってるね」
「何言ってるのよ。こんなか弱い乙女をつかまえて」
「それはいくら何でも無理があるでしょ」
「あら、失礼しちゃうわ」
こんな会話も、しばらくできないのかと思うと、何だか少し、寂しい気がしてきた。
「ママ、わたしね……」と言いかけて、思いとどまった。さっきの出来事を言ってしまったら、もうここへは戻って来られないような気がしたからだ。
「何よ、何かあったの?」
「ううん、何でもない。今日はワインはやめて、ウィスキーちょうだい」
「しょうがないわね。出世払いの話は、忘れてないわよ」
「うん、任せといて」
わたしは拳を上げて見せた。こうしていると、本当に楽しい。やっぱりここは、わたしにとってのオアシスだ。
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