第3話:1億円の人生
「はあ」
わたしは、深いため息をついた。
今日も不毛な夜が、幕を開けようとしている。
こんな生活を、いつまでも続けて行けるわけがない。
体が壊れるのが先か、精神を病むのが先か。
歳だって、取っていく。いつまでも、ちやほやされるわけではない。
そろそろ限界だと、少し前から感じていた。
男という生き物は、欲望のままに生きている。
どうしたって、若い女のほうが好きなのだ。いくらエステ通いできれいにしていても、年齢には勝てない。
だから夜の世界で生き残っていく為には、豊富な話題で楽しませたり、若い子には出せない色気を醸し出したり、付加価値が必要になる。
それを勘違いしてしまうキャバ嬢も多く、お客と寝るのは珍しくない。
「また昨日、おろしたんだよね」
「え、マジで? 仕事来て大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫。ってゆうか、仕事休んだら旦那が怪しむじゃん。だから、来るしかないし」
こんな会話が、平然と繰り広げられている。
男は飽きる生き物だ。
男にとってベッドに入るまでが1つの目標であり、それを達成できれば、後は流れにまかせるだけ。適当に寝て、適当に次を探す。
結局、いかに寝ないで、長く引っ張れるかが人気キャバ嬢の腕の見せ所。
ものにできそうと思わせつつ、決して一線は越えない。
これができる女は、それなりに外見に恵まれていないと難しい。
だから、寝ることで繋ぎとめようとする。
いったい、何人の子供の命を殺せば気が済むのだろうか。
そんな人間がまっとうに生きて行けるほど、この世の中は甘くない。
太陽の下の世界では、どう頑張っても、生きて行けない人種なのかもしれない。
「結子さん、お願いします」
ボーイに呼ばれて、わたしは席を立った。また、不毛な夜が幕を開けた瞬間だ。
「結子さんです」
ボーイがお客に紹介する。
「結子です。失礼します」
少しばかり可愛い子ぶって、トーンの高い声を出した。
その男性は、わたしと同じくらいの年齢だろうか。わたしがとなりに座っても、まったく笑顔を見せない。それどころか、こちらを見ようともしない。
わたしは気を惹こうと、必死に話題を探した。
「はじめまして、よろしくお願いします」
相変わらず正面を向いたまま、その男性はコクンとうなづいた。
「何のお仕事されてるんですか?」
初めてのお客への常套句である。
すると男は、おもむろに話し出した。
「僕は、この世界の人間じゃないんです」
「はっ?」
この人は、頭がおかしいのだろうか。それとも、からかっているのだろうか。
「この世界って、日本じゃないってことですか?」
「いいや、ちがう。この今いる世界というか、この時代というか、次元というか。とにかく、この世界の人間じゃないんです」
男の顔を見ると、とても冗談を言っているようには見えない。
「そうですか。じゃぁ、この世界に何しに来たんですか?」
「それは、君に会うためだよ」
今どき、こんなキザなセリフを言う人がいるのか、と思うくらい、聞いているほうも恥ずかしい。でも、そんなセリフを言うようなタイプにも見えない。
「あの、確かにここは男性を楽しませる場所ですけど、新手のナンパか何かですか?」
「そんなんじゃないよ。僕はただ、君を探しに来たんだ」
「なぜ私を?」
「君の人生を、1億円で買いたいんだ」
わたしは、男の言っている意味が全くわからなかった。
「どういう意味です? なぜわたしを買いたいんですか? これから先、あなた専用の娼婦になれとでも言うんですか?」
「そんな意味じゃないよ。結子ちゃんはさあ、あっ、結子ちゃんて呼んでいいよね」
「もう呼んでますし、いいですよ」
少しばかり、ぶっきらぼうに答えた。
「結子ちゃんは、本当は今のような生活から抜け出したいって思ってるでしょ」
「思ってますよ。だから何ですか? 人の心はお金では動かないですよ、少なくともわたしは」
「知ってる」
「知ってる? あなたは、わたしの何を知ってるんですか?」
「全部知ってるよ。前世の結子ちゃんも、来世の結子ちゃんも」
「ごめんなさい。わかるように説明してもらえますか」
「わかった。これから大切なことを言うから、最後まで聞いてくれる?」
男はいきなり真剣な表情になった。わたしはその時、なにか胸さわぎがした。それが良い前兆なのか、悪い前兆なのかわからない。でも、何かを感じたのは確かだった。
「これは結子ちゃんにとって、人生を左右する大切なことなんだ。僕は、過去と未来を行き来することができる時の番人なんだ。ある人からの依頼で、結子ちゃんを探してほしいと言われた。そして結子ちゃんを未来に連れてきてほしいと頼まれたんだ」
さらに頭の中は混乱していた。未来に来てほしいって、これは夢か? 夢にしてはずい分とリアルだ。
「あの一旦整理していいですか? これは映画の撮影か何かではないですよね?」
「信じられないのは当然だよ。でも結子ちゃんには、大切な使命があるんだ。覚えていないだろうけど、結子ちゃんの前世は英雄だったんだ。ある小さな国の国王が、罪のない人を処刑して……」
「ちょっと待ってください。ゆっくり話してもらえますか。どうも頭がついていかなくて」
「そうだよね、ごめん。前世で英雄だった結子ちゃんは、来世では救世主になるはずだった」
「“だった”ということは、わたしに何かあったんですか?」
「いや来世ではなく、今の結子ちゃんが問題なんだ」
「今のわたし?」
「そうだよ、結子ちゃんは英雄的存在になることが、運命として決められている魂の持ち主なんだ。だけど現世では、自堕落な人生を送っている。このままだと、来世の救世主にはなれない。だから未来に連れて行くのが、僕の役割なんだ。結子ちゃんが、自分の運命と向き合うためにね」
「それで、なぜ1億円もくれるんですか?」
「その1億円は、結子ちゃんが贅沢するためのお金じゃない。来世に一緒に来てくれたら、きっとその答えがわかるよ。明日の正午に、ここに書いてある場所に来てくれるかい? 青い屋根が目印だから、すぐにわかると思うよ」
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