告白空模様【空模様】


 あの日も、今日と同じような空模様だった。

 あぁ、なんで私が告白を決めた日は、こうもパッとしない天気が多いんだろう。

 確か、あの日も曇り空だった。


* * *


 高校生の時に、とてつもなく好きな人がいた。

 初恋ではなかったけれど、初めて恋を知った乙女のように、その時の私はその人の事しか考えられなかった。

 彼は、図書委員で物静かな人だった。クラスで目立つような人間ではないけれど、何か発言を求められたときは、的確な意見を投げかけ、場をまとめるような場面も多々あった。

 クラスの中心ではないけれど、核になるような、そんな男の子だった。


 私が彼と出会ったのは、高校1年生の春で、入学して右も左も分からない4月。移動教室の時に、トイレに行ってたせいで移動するクラスメイトの集団から私ははぐれてしまった。必死に次の教室を探していると、前方から走って来てくれたのが彼だった。


「古河さん、こっちだよ」


 まだ新しいクラスになったばかりで、クラスメイトの名前も覚えきれてないのに、彼は私の名前を呼んで、教室まで連れて行ってくれた。


 後で聞いた話によると、移動教室について、私がいないことに気づいた仲の良かった女の子が、他の子にそのことを告げたときに、彼は教室を出て私を探してくれたらしい。

 それが私と彼、逢実君との出会いだった。


* * *


 彼はいつも本を読んでいた。

 ある日、彼に聞いたことがある。


「小説好きなの?」


 まぁ、自分でもいくら話がしたかったからと言って、話題作りに乏しすぎると思うが、その時の私にはそれが精一杯だった。

 それに対し、逢実君は静かに本を閉じて、私に向き直っていった。


「好きだよ」


 それが、私に対して言ったことでないことは分かっていたけれど、胸が少しどきっと跳ねた。


「どんな話が好きなの?」


 もっともっと彼の事が知りたくて、私は質問を続ける。

 逢実君は、少し考えるようにうーんと唸ると、ゆっくりと答えてくれた。


「推理小説……とかも好きだけど、一番好きなのは……実は恋愛小説なんだ」


 男のくせに、変わってるでしょ。と彼は付け足して苦笑いした。


「そんなことないと思うよ」


 私は、彼にそう言った。


「恋愛小説みたいな繊細な物語を楽しめるのは、すごい素敵だと思う。男の子だって関係ないよ」


 むしろ、私は男の子だけどそういう話を好んで読んでいる逢実君がかっこいいとまで思うし、彼の読んでいる本を一緒に読みたいとも思った。

 私の言葉に、逢実君はホッとしたように笑った。


「ありがとう」


 お礼の言葉を口にする逢実君に、私は言った。


「今度、逢実君の好きな小説を教えてよ。私も読んでみたいな」


 それが私の、精一杯のアプローチだった。

 彼は、静かに一つ頷いた。


* * *


 学生時代の思い出の回想を終えた私は、コンビニで買ったホットの缶コーヒーを両手で包み、会社へ戻る足を早めた。


 大学を出て、就職した会社で社会人2年目の私は、大きな壁に突き当たっていた。


 自分の遂げなければいけない目標に対して、現状の自分の力不足。そして、人間関係のもどかしさ。

 いろんな事に疲れが出て、仕事も正直楽しさややる気を見失ってきた現状だ。

 入社当時のやる気や意欲がすっかり姿を隠した。


「はぁ」


 一つため息を吐いて、会社の入っているビルの前で立ち止まる。

 立ち止まり、ビルを見上げて両手で自分の頬を叩く。


「頑張れ、私っ!」


 パンパンっと乾いたいい音を響かせて私の頬は赤く滲む。

 よし行くぞ、と足を進めようとした瞬間に後ろから声がした。


「おーおー、こりゃまた痛そうなことして」


 慌てて振り返ると、そこには自分の所属している部署の話したことのあまりない先輩が、ブラックの缶コーヒーを手に持って立っていた。

 先輩はくわえていた煙草の火を近くの設置灰皿にこすりつけ消すと、それを灰皿に落とし込み私に近づいてきた。


 何を言われるんだろう、と身構えていると、先輩は私の頭を一つポンと叩き、


「気張りすぎて無理すんなよ」


 と言って、茫然とする私を残し先輩は先にビルの中に入って行ってしまった。


 私は、先輩の手が触れた頭を一つ撫でると、先輩に続いてビルの中に入ることにした。

 不覚にも先輩の励ましの方が、自身の気合い入れよりも何倍も気合が入ってしまった事実が少しだけ悔しかったのは先輩には絶対に言わない。


* * *


 須藤 翔平。

 33歳。独身。

 この会社に入って8年目。アパレル会社に2年間勤め、私の入社したこの出版業界に転職。

 好きな飲み物はブラックコーヒー。

 愛用している煙草の銘柄はセブンスター。

 モテそうなのに結婚する相手はいないようで、同僚には「いい人いたら紹介してよ~」とふざけてよく言っている。

 チャームポイントは顎ひげと黒縁のメガネ。

 チャラそうに見えるのに仕事に関してはストイックで、オンオフの切り替えが早い。


 結論:めちゃくちゃイケおじ。


 - - - - - -


 上記が、あれから私が彼のことを調査してわかった事だ。

 こんなイケメンの先輩に今まで気づかなかったなんて、よっぽど私は仕事に手いっぱいになっていたのだろう。


 あの、須藤さんに励ましてもらったあの日から、私は彼のことを目で追ってしまうようになってしまった。

 多分、恋に落ちてしまったのだろう。

 ……なんて冷静に分析している一方で、彼に会うと途端に何も話せなくなってしまう私がいた。


 休憩時間。私はビルの外の公園で、携帯の須藤さんメモを眺めながら一つため息を吐いた。


「はぁ」


「何ため息ついてんの?」


 ため息を吐いた瞬間、後ろから声がした。

 デジャブ感に冷や汗をかきながら後ろを振り向くと、そこにはやっぱり須藤さんが居た。


 手にコンビニ袋を下げて、もう片方の手で私に手を振った。


「よっ。となり座っていいか」


 そう言って須藤さんは私の座っているベンチの空いている空間を指した。

 私は、コクコクと頷き、口にくわえていた野菜ジュースの紙パックから慌てて唇を離すと言った。


「どうぞ。汚いところですが」


 混乱して意味不明な返しをすると、須藤さんは「おいおい」と笑いながらそこに腰かけた。


「お前の物じゃねぇだろ、公園のベンチは」


 腰かけると、須藤さんはコンビニ袋から封の空いていないセブンスターの煙草を取り出し、手慣れた手つきでその封を開けた。

 そして、『あ、しまった』という顔をしてから私の方を向き、一言断りを入れた。


「煙草、吸っても大丈夫か?」


 私は、あまり気にしない人間だったので、


「大丈夫ですよ。お構いなく」


 と、言った。言ってから、ちょっと女の子らしからぬ返事だったかなと思ったが、須藤さんは気にした様子もなく「ありがと」と言って、煙草に火をつけた。


 煙草を吹かす須藤さんの隣で、私は野菜ジュースを飲みながら、何を話せばいいのだろうと考えた。

 煙草好きなんですか? いや、好きだから吸ってるんだよね。

 お昼食べないんですか? いや、食べてきたのかもしれないし、そんなの私に関係無いしなぁ。

 色々と悶々と考えていたが、上手く話題が見つからず、どうしたもんかと思っていると、須藤さんが声をかけてきた。


「古河は仕事、楽しいか?」


「えっ……」


 突然の質問。しかも今一番悩んでいることをド直球で聞かれて、私は言葉に詰まった。


 なんて答えていいかわからず、口ごもっていると須郷さんは優しく声をかけてくれた。


「あんま難しく考えなくていいぞ。思っていることを正直に言ってごらん」


 須藤さんの言葉が優しくて、私はゆっくりと本音を口に出していた。


「楽しくは……ないです。大変なことも多いし、分からないことも多いし、自分の知識不足を毎日実感する毎日です。でも、ずっと興味のあった仕事だから、頑張らなきゃな、とは思っています」


 そこまで、一気にいうと須藤さんは「うんうん」と頷いた。


「そこまで考えてれば十分だよ。古河ならきっと大丈夫だ」


 何が大丈夫なのか、私は何もわからなかったけれど、須藤さんが大丈夫というなら大丈夫なのかもしれない、とよくわからない自信を感じた。


「正直、古河の事心配だったんだけど、思ったよりもしっかり考えてそうで安心したよ」


 そして手持ちのポケット灰皿で煙草を消すと、空になった手で私の頭を撫でた。


「辛いときや、困ったときはいつでも俺を頼ってくれていいからな」


 頭を撫でれらながら、私は嬉しくなって「ありがとうございます」と顔をほころばせた。


 頭を撫でる須藤さんの右手からは、ほのかに煙草の匂いがした。



* * *


 高校生時代の私の恋の終わりは、突然やってきた。

 学年が2年に上がる直前。

 逢実君が転校することになったのだ。

 その事実を、幸いにも私は逢実君本人に聞いた。


 どんよりとした曇り空の日。

 暗い図書室の中だった。


「3学期が終わったら、僕転校することになったんだ」


 それは淡々とした報告で。

 さも当たり前の事のようにさらっと言われたものだから、私はうっかり聞き逃してしまう所だった。


「えっ……本当に?」


 私が間の抜けた声でそう聞くと、彼は「嘘をついてどうするの」と薄く笑った。


「親の都合でね。いつもの事なんだ」


 そういってどこか諦めたような、皮肉めいた仕草で彼は肩をすくめる。


「そんな……」


 そんな事って無いじゃない。と言いかけたが、彼が以前言っていた事を思い出す。


『両親の都合で、よく転校をするんだ』


 そう言っていた彼の目は寂しそうに遠くを見ていて。

 離れてしまった誰かの事を想っているような感じもした。


 きっと。

 今、逢実君へ気持ちを伝えなければ、きっと、もうチャンスは無いだろう。


 窓の外の曇り空からは、今にも雨が降り出しそうだった。


「逢実君」


 私は思い切って口を開いた。


「私は、あなたが好きです」


 優しい静寂が包み込む図書館に、一瞬ピンとした沈黙が下りる。


 言って。逢実君から目をそらさずにいると、彼は驚いたような表情を僅かに見せた後で、申し訳なさそうな表情を浮かべた。


 その顔を見た瞬間、私は察した。


 あぁ、私は今から失恋をしてしまうのだと。


「ごめん」


 彼は、年齢に似合わない大人びた雰囲気をまとって言った。


「ごめん。ずっと、好きな人がいるんだ」


 なんて。

 そんなに彼に好意を寄せられる人は、どんな人なんだろうと。

 思った瞬間、やけに泣けてきて。


「ううん、だいじょう……」


 大丈夫、と言い切るより先に、私はくるっとターンをして図書室を飛び出した。


 告白して振られた自分が恥ずかしくて。

 彼がずっと好きだといった人が羨ましくて。

 その人に私は敵わないんだという事実が悔しくて。

 そして、泣いて逃げ帰る事しか出来ない自分を、殴りたいくらい恨んだ。


 家に帰り泣きわめき、泣いて泣いて泣いた次の日。

 私は、逢実君に言った。


「ちゃんと返事をしてくれてありがとう」


 と。彼は「それは普通こっちのセリフだと思うんだけどな」と、いつもの笑顔で言ったのだった。


* * *


 仕事の合間の眠気覚ましの缶コーヒーも、そろそろホットじゃなくてもいいかな、と思えるくらい暖かくなってきた気温の中。


 私は、会社に帰る足を早めた。

 今日は今関わっているプロジェクトのミーティングが午後一であるが、実はその資料の印刷がまだなのだ。


「あぁ、急がなきゃ」


 一人呟きながら、駆け足で会社へ急ぐ。


 会社のビルの真下に近づくと、見慣れた先輩の姿が見えて、私は手を振った。


「須藤さん、お疲れ様です!」


 近づくと、須藤さんは煙草をふかしながら、右手にいつもの缶コーヒーを握っていた。


「なんだ、古河。そんなに急いでどうしたのよ」


 煙草の灰を灰皿に落としながら、須藤さんは聞いてくる。


「いや、それが……実は午後のミーティングの資料の印刷がまだで」


 あはは……と笑って見せるが、須藤さんはスーツの袖をめくって腕時計を見ると、呆れた声をあげた。


「ミーティングって……あれ、13時からだろ? そんなに悠長にしてていいのかよ?」


「だから急いでたんですー!」


 私は須藤さんに『調子がいい』と言われるいつもの調子で、彼へ笑って見せた。

 年の瀬の慌ただしい時期に須藤さんに元気づけられてから、3か月。

 私と須藤さんは、周囲から弟子と師匠みたいね。とからかわれるくらい、仲を縮めていた。

 まぁ、残念な事にそれもあくまで仕事の関係で止まってしまっているのだが。


「じゃあ行きます!」


 と、先を急ごうとした私を、須藤さんは「あ、古河」と声をかけて引き留めた。


「なんですか?」


 私が振り返ると、須藤さんはそっと近づいてきて、顔をしかめて言ったのだった。


「まだ周知されていなんで、ここだけの話なんだがな」


 そう言いづらそうに、言葉を区切ると、一つため息をついて、続けた。


「俺、他県に異動になったんだ」


 目の前が、真っ暗になったかと思った。

 実際、何を須藤さんが言ったのか言葉を理解するのに時間がかかった。


 私たちの会社はほぼほぼ異動がないはずだ。

 そう聞いていたので、完全に油断していた。


 ずっと、須藤さんは私のよき先輩のままでいてくれると。


 だが、それも終わりが来てしまったようだ。


 いつですか、とか。どこにですか、とか。

 そういう事を聞く余裕すらなかった。


 ただ「古河には早めに知らしておきたかったんだ」という須藤さんの言葉だけ、やけに耳に響いた。


 ふと、頭に浮かんだのは高校の時の逢実君との別れだった。


 あの時と、同じ感覚に陥る。


「あの!」


「なんだ?」


 私は少し大きい声を出して、須藤さんへ言った。

 資料の印刷で急がなきゃとか、そんなことは私の頭の中から抜け落ちていた。


「須藤さん、明日の昼休み、私にお時間ください」


 須藤さんはいいよ、と頷いた。


* * *


 須藤さんと約束をした日。

 午前の仕事を凄いスピードで終わらせて、私は須藤さんよりも誰よりも先に、昼休みに入った。

 会社のビルを出て私がやってきたのは、いつの日か私が須藤さんに励ましてもらったあの公園だった。


 昨日、須藤さんに「お時間ください」と言ったものはいいけれど、いざその時来ると何を話していいか分からなくなっていた。


「はぁ」


 ため息を吐いて見上げた空はどんよりと曇っていて。

 あぁ、こんな所まであの日と一緒なのかと。


 なんで私が告白を決めた日は、こんな曇り空なんだろうなぁ……。


「はぁ」


 再び、ため息を吐く。


「なぁに、ため息吐いてんのよ」


 不意に背後から声がする。

 もう誰の声か一発で分かるほど、私は彼の事を見てきた。


「須藤さん……」


「よっ。待たせたな」


 座ってるベンチの隣に座った須藤さんを見る。

 須藤さんは、煙草を吹かせながら歩いてきていたようで、私の隣に座ってすぐ、携帯灰皿に煙草を押し込んだ。


「すみません。突然呼び出しちゃって」


 私は、須藤さんに頭を下げる。


「いや、いいんだ。俺の方こそ、突然だったからな」


 そういって、須藤さんは笑った。


「いやー。まさか異動になるとは思わなかったよ」


 はははと須藤さんは笑った。

 笑った後、寂しそうに須藤さんは言った。


「せっかく、古河ともようやく話せるようになってきたってのにな」


 寂しいわ。と、須藤さんは呟くように言った。


「私も、私も寂しいです」


 本心だった。

 ずっと須藤さんと仕事がしたかった。

 恋心としての好きを置いておいても、須藤さんの事は先輩として尊敬していた。

 離れてしまうなんて、思わなかった。


「須藤さんの事、私尊敬してるんです」


 下を向いたまま、私は呟くそうに言った。


「ありがとな」


 須藤さんは優しい声で、そう返してくれた。

 あぁダメだ。このまま下を向いてると、泣いてしまいそうだ。

 私は顔を上げる。

 そして須藤さんの顔を見る。


 言わなきゃ。

 今言わないと、ずっと伝えられない、きっと。


「あの!」


 思い切って私は口を開いた。


「私、須藤さんの事、好きです」


 言った。


「須藤さんに、ここで初めて励ましてもらったあの日から、ずっと須藤さんの事が好きです」


 目を合わせた須藤さんは、ただ私を見つめ返していた。

 私は、止まらずに続ける。


「須藤さんの仕事ぶりとか、みんなに優しいところとか、凄く尊敬してます」


 続ける。


「私、須藤さんがいなかったら、きっと仕事辞めてました。だから、須藤さんにお礼を言いたくて、好きで、その……」


 言いながら、気づいたら私の目からは涙がこぼれていた。

 もう、最後の方は何を言っているのか分からなかった。


 数滴涙をこぼしてから、右手の指の腹で涙を拭った。

 そして深呼吸をする。


「須藤さんのことが、好きです。でも、付き合ってくださいとは言いません。ただ、気持ちを伝えたかったんです」


 そこまで言い切って、私は言葉を止める。

 二人の間に沈黙が下りる。


 しばらくして、須藤さんは胸ポケットから煙草をとりだし、それに火をつけた。

 火が付いた煙草をくわえ、口に含んだ煙を、ゆっくりと須藤さんは吐き出す。


 須藤さんが火をつけるのに、私に許可を取られなくなったのはいつからだったか。

 初めて須藤さんに励ましてもらった日から、何度か私は彼に仕事の相談をしていた。

 そういうときに時折、須藤さんが煙草を吹かせる場面はあった。

 そういう時は、大体須藤さんから厳しい言葉を貰う事が多く、私はもしかしたら今回もそうかもしれない。と身構えた。

 そして、須藤さんは口を開いた。


「古河、ありがとうな」


 須藤さんの言葉は、私の予想を裏切るものだった。

 呆けた表情で、私は彼を見つめる。


「正直、俺、古河に余計なことばっか言ってるんじゃないかって不安だったんだ。でも、古河の言葉で救われた。ありがとう」


 そう私を見つめて須藤さんはいうと、再び煙草をふかし、顔をそむけた。


「古河が言うほど、俺は大層な人間ではないけどな」


「それでも、私は須藤さんが好きです」


 私は彼を見つめたまま重ねていう。

 須藤さんはははっと笑った。


「古河は若いな」


 そう言うと、須藤さんは眩しいものを見つめるように目を細めた。

 そして、今度はいたずらっぽい表情を浮かべて言った。


「好きだけど、付き合わなくてもいいんだろ?」


 それはまるで、私を試しているかのような言い方だった。


「いや、本当は付き合いたいですけど……」


 私は言いよどむ。


「その、付き合ったら職場恋愛になるじゃないですか。そしたら須藤さんに迷惑をかけちゃうと思って……」


 それはずっと思っていたことだった。

 しかし、須藤さんはにやりと意地悪く笑うと言った。


「でも、俺、異動になったのよ? 付き合っても構わないでしょ」


「そういわれればそうですけど……」


 なんと答えていいか分からずにいる私に、須藤さんは続ける。


「俺さ、最初古河を見たとき、放ってておけなかったんだ。なんでか分かるか?」


 唐突に話題が変わり、私はホッとしながらも分からない、と私は首を横に振った。


「俺が前の会社辞めたのが、古河くらいの時期だったからだよ。正直、会社辞めた後は後悔したよ。今思うと、あの時の俺の周りに、頼れる先輩がいたなら、何か変わってたかなって、当時丁度思っててね」


 そういって須藤さんはまた目を細める。


「だから、最初に悩んでる古河を見たとき、俺がこの子の頼れる先輩になろう、って決めたんだ。だから、古河のさっきの言葉は本当に救われた。嬉しかった。ありがとう」


 そういって、須藤さんは私を見つめた。


「ここ数か月、古河の事を見てきたけど、古河は本当に頑張ったよ。同い年だった俺が出来なかったことを古河はやってのけたんだ。本当によくやったよ」


「須藤さんのおかげです」


「いいや、古河の力だよ」


 須藤さんはそう言うと、私の頭をぐしぐしと撫でた。

 そして、


「だから、いつしか俺も古河の事を好きになってたんだろうな」


 と、須藤さんは笑って言った。


「頑張り屋さんで、見ててほっとけない古河の事が俺も、好きになってたんだ」


 須藤さんの言葉が、私には信じられなかった。

「ほ、本当ですか?」


「このタイミングで嘘ついたら、俺最悪じゃない?」


 そういって、須藤さんは私の手を握ると言った。


「古河が好きです。俺と付き合って下さい」


 真剣な顔で言ってから、「まぁもう俺異動だし?」なんて須藤さんは茶化したけど、私の目からは涙があふれた。


「えっ、えっ、なんで泣くの!?」


「いや、その、嬉しくって……」


「世那ちゃんったら泣き虫なんだから~」


 涙を流す私を須藤さんは下の名前で呼んでからかった。


「なんで、私の下の名前知ってるんですか!」


 なんて、私が怒って顔を上げると、須藤さんはこそっと耳に唇をよせて言った。


『だって好きな子の名前だよ?』


 なんて。


 私は悔しいくらいにかっこいい須藤さんと目を合わせ、私たちはどちらからともなく笑っていた。


 さっきまでどんより曇っていた空は、いつの間にか雲の合間から光がさしていた。


 きっと、私たちの未来も、同じように明るいはずだ。

 そう思えるような、綺麗な空模様だった。

-END-


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