溶けた想い【水飴】


 まとまった形を成さない、私から君への思いはいつかどろっと溶けて、醜いモノになってしまうかもしれない。

 そんな不安を抱いて、今日も君と手を繋ぐ私は臆病者だね。


 ○-○-○


 耳を塞ぎたくなるほど、大きな声で鳴きわめく蝉の声を聞きながら、私は隣を歩く彼の手をぎゅっと握る。

 私が握った手に力を入れたことに気付いた彼は、私に顔を向け首を傾げた。


「ん? どうしたの、詩織?」


 誰にでもそんな優しい顔を向ける幼馴染の彼、聡志へ私は言った。


「ううん、なんでもないよ」


 本当は。

 本当は、彼へ伝えたい言葉があるのに。

 それを口に出せない、臆病な私の精一杯の意思表示だったんだけれど。

 結局彼にはそれを伝えられないまま、こうして帰り道を歩くんだ。


 手を握ったまま何も語らない私に、聡志は掲示板に貼り出されたポスターを指さし言った。


「そういえば、今夜は水元神社で縁日だけど、詩織は行く?」


 私は聡志が指さしたポスターに目を向ける。

 その縁日は、幼いころに私と聡志がよく行ったものだった。


「そっか、お祭り今日なんだね」


 ポスターの開催日時を見て、私は頷いた。


「うん、行きたいな」


 私がそういうと、聡志はニコッと笑って言う。


「じゃあ夕方、詩織の家に迎えに行くよ」


 私がどこかに行くといえば、それは自然に聡志も一緒ということになる。

 それが私たちの決まり、というか通例みたいなものだった。


 そんなことを話していると、私の家に着き聡志は手を振り来た道を戻り自分の家に戻っていった。


 当たり前のように一緒に帰り、その道中は手をつなぎ、近所のイベントにどちらかが行くときは、当たり前のようにどちらかも着いていく。

 一見、恋人同士に見えるようなこの関係を私たちは17年も過ごしてきた。

 生まれてからずっと一緒だ。


 ……だけど、付き合ってはいない。


 そんな私たちの関係が、私は嫌だった。

 私は、聡志が好きだからだ。


 だけれど、私から彼へ告白なんてできない。

 そんなことができる資格なんてないんだ。


 ○-○-○


 部屋に帰り、制服を脱いだ時には時計の針は17時を指していた。

 18時半に始まる縁日までそんなに時間はなさそうだ。


 私は慌てて、クローゼットの奥のほうを漁ってみる。

 確か、この辺りに去年も着た浴衣のセットをしまっていたはずだ。


 指が触れた紙袋を引っ張り出すと、ドンピシャ。

 お目当ての浴衣セット一式をしまった紙袋だった。


 京都の銘菓のロゴが入った紙袋。

 それは、私と聡志が中学の修学旅行に行ったときに、聡志が私の家族へ買ってきてくれたお土産だった。


 その紙袋の中を引っ張り出すと、白地に赤色の椿が咲いた浴衣が綺麗に畳まれて入っていた。

 底の方には、鼻緒の柄を着物と合わせた下駄と、籠型の小物入れが入っている。

 小物入れの口を開けると、そこには京都への修学旅行の際に聡志が私に買ってくれた黒い簪〈かんざし〉がちょこんとあった。

 それを手に取り、贈ってくれた時の聡志の顔を思い浮かべると、簪を机の上に置き、私は浴衣に袖を通すことにした。


 ○-○-○


 聡志は、約束のきっかり5分前に家のチャイムを押した。

 聡志の来る時間に見立てを立て準備を済ませていた私は、玄関に用意していた下駄を履き、玄関のドアを開けた。


「お待たせ」


「驚くくらい待ってないよ」


 なんて灰色の浴衣をはためかせ冗談を言う聡志の手を取り、私たちは縁日に向かった。


 縁日に向かう道中、同級生たちとすれ違ったが、その誰もが私たちを冷やかすことはなかった。

 もはや、私と聡志の仲は所謂”公認の仲”だからだ。

 それが「幼馴染」よりは「カップル」としての方に比重がよっていることも自覚はしているけれど。


 神社の境内に入るとそこはすでに祭りの気配でいっぱいだった。

 並ぶ屋台、香るおいしそうな食べ物のにおい。

 私は、聡志の手を引き、真っ先にたこ焼きの屋台へ向かう。


「本当に詩織はたこ焼き好きだねぇ」


 苦笑いを浮かべながらも付き合って一緒に並んでくれる、聡志。

 そういえば、去年も一昨年の夏もこうして二人で縁日に来たっけ。

 私がそう言うと、聡志は「そうだねぇ」と頷いた。


「僕たちが一緒に来なかったのは3年前の夏だけだよ」


 そう聡志は穏やかにいうが、その言葉が私たちの間に沈黙を生んだ。


 出来上がったたこ焼きを受け取り、それに二人で箸をつけながら、また別の話を始めたがそれでも私の胸には重い重しがのしかかったかのようだった。


 ○-○-○


 3年前の夏、中学2年生の時。

 私は、今と同じように聡志と並んでいなかった。


 何故ならその時期、私には別の彼氏がいたからだった。


「好きなんだ」


 クラスメイトの男子から告白された時にも、私は聡志が好きだった。

 けれど、その「好き」はあくまで幼馴染としての好意だと思っていた。


 そして、何より今までの暖かく穏やかな聡志との関係よりも、他の男の子からの熱い告白に胸がざわついてしまったのだ。


 だから、私はクラスメイトの彼と付き合った。


 3年前の夏に、今日と同じように聡志に「縁日行く?」と聞かれ、「彼氏と行く」と、そっけなく返した時の、聡志の顔を私は知らない。

 聡志の顔を見ることなんて、できなかった。


 結局、その時の彼とは1週間で別れた。

 ある日の帰り道、初めて手をつないだとき、ぞわっとしたのだ。

 それまで聡志と手をつないでいた時の心地よさとは全く違う、心臓が逆なでされるような感覚。


 その時に、私は彼への気持ちが無いことに気付いた。


「ごめんなさい」


 身勝手に1週間で交際を断った私に、彼は悲しそうに頷いた。


「やっぱ、そうだよね」


 その後には何も続かなかったけれど、やっぱりそうだったんだ、とその時私も気づいてしまった。

 やっぱり、私は聡志が大好きだったのだ。


 ○-○-○


 浴衣姿で縁日を練り歩く私と聡志は、水飴の屋台で足を止めた。

 そこには、水飴を固めて飾り切りをした綺麗な作品たちが並べられていて、横では屋台のおじさんが黙々とその作品を追加で作っていた。


 おじさんの手の棒の先にはどろりとした溶かされた水飴が巻き付けられ、その棒をくるくると巻きつつ、おじさんはその飴に小さい糸きり鋏のような細工ばさみで切り込みを入れ細工を行っていく。


 私は形を変えていく水飴から目が離せなかった。

 そんな私の様子を見ていた聡志は水飴たちを指し、言った。


「詩織はどれが欲しい?」


 水飴は作品のように美しい細工がされていたからだろう。

 他の屋台よりも少し高い値段がつけられていた。


「えっ、いいよ、大丈夫」


 私はそういうが、聡志はおじさんを呼ぶと言った。


「その紫色の蝶の飴をください」


「聡志……いいの?」


 おじさんに代金を支払う聡志の袖を私は引っぱる。


「詩織がそんなに欲しがるの、僕タコ焼き以外で初めて見たからね」


 そう笑い、蝶の飴細工を私に渡して、聡志はまた手をつないだ。


 私は再び、聡志の手をぎゅうと握り、右手では飴を落とさないようにぎゅっと握った。


 ○-○-○


 お祭りからの帰り道、私は手に持った蝶の飴を舐めながら、隣を歩く聡志を見上げた。


「ねぇ、聡志」


「ん?」


 聡志は一瞬こちらを見て、また前を見た。


「私ね、聡志にずっと言いたいことがあったの」


 聡志は前を向いたまま頷いた。


「うん」


――まとまった形を成さない、私から君への思いはいつかどろっと溶けて、醜いモノになってしまうかもしれない。


 そう怯えて言えずにいた想いがあった。

 でも、今なら言えると思った。


「私ね、聡志のこと、ずっと好き」


「うん、知ってるよ」


「だからずっと、一緒にいてね」


「それはずっと幼馴染のままで?」


 慌てて顔を上げると、聡志は意地悪く笑っていた。


「……できれば、恋人同士として」


 言えた。

 やっと、言えた。


「やっと、言ってくれた」


 聡志は握っていた手を引っ張ると、私を抱きしめた。


「待ってたよ、詩織」


 そうして、抱きしめたまま聡志は言った。


「僕も、ずっと、好きだった」


 私から彼への思いは、今日ドロッと溶けて。

 そして、綺麗な紫の蝶に形を変えました。

 静かなお祭りの夜に。


-END-

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