第7話「日々上々」

「おや?何を作ってるんだい?」


「けんちん汁だよ、山田のお婆さんから畑で採れた野菜を沢山頂いたんだ」


「ふ~ん、そうかそうか……」


そう言って色白の涼し気な顔の男は、二階にある自室へと戻って行った。


彼の名はS。

祖父の代わりに俺はここ鎌倉で古書店を

営んでいるのだが、色々と訳あって地元の大学に通うSとこの古書店で同居する事になった。


黙っていればいい男なのだが、大学以外は日々自室に篭ってオカルト三昧という何とも変わった男だったりする。


まあそんなSの影響もあって、オカルトに興味を持ち始めたのも事実なのだが。


さてと、後は煮込むだけだ。


切った野菜を全てボールに移し、鍋を取ろうと辺りを見渡すが……ない。


「どこだ?」


ボソリと呟くと、


「どうした?」


「えっ?」


Sだ。

部屋から降りて来たSが階段から顔を出す格好でこちらを見ている。


「あ、いや、鍋が見当たらなくて」


「上の納戸だよ」


「あっ」


Sに言われるまま上の納戸を開けると、使い古された鉄鍋があった。


「助かったよSあり、」


言いかけて俺は口を止めた。


Sがいない。

また部屋に戻ったようだ。


俺は軽く息を着いて再び料理に戻った。

野菜をサッと水にさらし鍋に具材を詰め込んでゆく。


「何を作っているんだい?」


「へっ?」


またSだ。

しかも、さっきも同じ事を聞いてきたはずだが。


「いや、さっきも言ったけどけんちん汁を作って……」


「ふうん……」


Sは短く鼻を鳴らすようにそう言うと、再び階段を登って行った。


「何なんだ一体」


少し戸惑いつつも、俺は気にするだけ無駄だと思い切り、料理に専念する事にした。


グツグツと煮立ってきた鍋を軽くおたまでさらいつつ、味を見ようと小皿を探しに戸棚に視線を移した。


「何を探しているんだい?」


デジャブか?またもやさっき聞いた質問だ。


「えっと、小皿を……」


「小皿はこのこっちの棚だよ」


そう言ってSは俺が見ていた棚ではなく、階段を降りた先、突き当たりにある棚を開け小皿を一枚取り出し俺に手渡してくれた。


「あ、ありがとう」


「どういたしまして」


返事を返し、Sは踵を返し再び部屋に戻って行く。


何か腑に落ちないものを感じながら、小皿を手に俺は鍋の前に戻った、その時……。


「何を……しているんだい?」


思わずハッとして階段の方に振り向く。

Sだ。


しかし先程とは違い、どこか雰囲気が違う。

しいて言えば俺を見つめるその目だろうか……。


どこか射すくめるような鋭い眼光。

思わず目が合ってその場で身じろいでしまった。


強ばる口で、


「さ、さっきも言っただろ。何回目だよ。けんちん汁を作って、」


「質問を変えよう」


「は、はあっ?」


思わず声が盛れ出た。


質問をかえる?一体Sは何が言いたいんだ?


俺は言いもしれぬ苛立ちを感じ負けじとSを睨みつけた。

するとSは軽く首を振る仕草を取ると、此方に向き直り再度咎めるような厳しい目付きで口を開いた。


「君は……誰だい……?」


「えっ……?」


次の瞬間、


「あ、あれ……えっ……な、何で……何これ……」


突然だった。

急に視界がボヤける。

グニャグニャと歪曲してゆく視界。


小刻みに震える両手を掲げ目線に合わせると、指先が明らかにおかしい事に気が付く。

視界の問題ではない、これは……溶けかかっている。


「うっ、うわぁぁっ!?」


溶け出た指先がボトボトと音を立てながら床にこぼれ落ちていく。

あまりの恐怖に膝ががくんと折れ、そのまま床に膝を着いた。


重たい瞼を必死に開きながら見上げると、そこには俺を見下ろすSの姿が……。


凍てつかせるような冷酷な瞳が、暗転していく俺の視界に映り込む。


歪んでいく世界の中その瞳だけが、最後の最後まで、俺を憐れむかのように見つめ続けた。


最後……まで。




「あれ……えっ?ええっ??」


気持ちの悪い夢に、俺は思わず椅子から転げ落ちそうな勢いで跳ね起きた。


「い、今の何だ……ゆ、夢っ!?」


辺りを見回す。


店のカウンターだ。

ガラス戸越しに外に目をやると、既に日は落ち辺りには静寂な夜の帳が落ちていた。


「どうした素っ頓狂な声を上げて、また何かに化かされたのかい?」


「S!?」


部屋の奥から聞こえたSの声に思わず振り向く。


扉の柱にもたれるようにして此方を見ている。


「そうだよ、まごうことなき君の知ってるSだ。それで、何で君はそんな所で寝被っているのかな……?」


「えっ……あ、いやそれが、昼間に来た妙なお客さんに変な物を渡されて、其方で引き取ってくれないかって言われて、とりあえず預かってみたら、なんかこう妙に眠気が襲ってきて気が付いたら……」


「妙な物……それか?」


そう言ってSはカウンターまで近付くと、机上に置いてあった紐で括られた古めかしい木簡を手に取った。

そして俺の返事も待たずに話を続ける。


「なるほどね……写死世か。未完のものだな、だから記憶も不完全なままだったのか……相変わらずだな君は。直ぐにこういうものを呼び寄せる」


呆れたように言い放つSに、俺は恨めし目で睨み返す。


「また訳分からない事を……だいたい何でニヤニヤしてるんだよ、そんなに俺が怖い思いをしたのがおかしいのか?」


そう、Sは今、何故か口の端を曲げ楽しげにニヤついているのだ。


「いや……ふふ……」


「ま、また笑ったな!俺がどんな悪夢にうなされていたのか知らないくせに!」


「まあそれに関してはだいたい周知してるよ」


「な、なに!?」


「ふふ……あはははは」


「ま、また笑った!何がそんなに可笑しいんだS!?」


「上々だ……」


「じょ、上々??」


「ああ、ここに来て本当に良かったって意味さ。日々、上々だよ、ふふ」


そう言うとSは台所へと向き直り部屋を出ようとした。


「あ、待てこら!話はまだ終わってないぞ!」


「はいはい……まずは作りかけのけんちん汁でも食べて、昼間何があったかゆっくりと聞こうじゃないか、夜は長いんだからさ」


そう言ってSは此方に振り返ると、口元に手を当て酒をあおる様な仕草を取り、口端を曲げて見せる。


それは嫌味な笑みではなく、俺には屈託のない子どもの様な笑みにも見えた。


こりゃ長い夜になりそうだ……。


深くため息をつき、俺は古書店の扉を後ろ手に、そっと閉めた。













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古都、鎌倉怪異譚 コオリノ @koorino

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