六章 妖狐の涙

 季節は春。

現代から時を遡り、明神の都の時代。都の東外れにある村に、陽子という少女が住んでいた。

早くから両親を亡くし、物心ついた時には一人だった。そんな少女には、ある特別な力がある。

普通の人が見えぬ者達。妖怪と言われる者達を、その目で見る事が出来た。身寄りの無い陽子は、村長の家で生活をしていたので、毎日仕事に遣いに忙しい日々を送っていた。そんな陽子の唯一の楽しみが、都への遣いの間に見る妖怪達だった。色々な姿を持った妖怪達を気がつかない振りをして見ていると、いつしか喋り声も聴こえる様になった。都の妖怪達は口々に言う。

「妖元様さえ居なくなりゃ、俺達はこの都で暴れられるのにな」

「しっ! 馬鹿、滅多なこと言うんじゃない! 妖元様に聴かれたら八つ裂きにされるぞ?」

 妖元。明神の都の守り神とも呼ばれている、土地神の事だ。陽子は、噂の妖元がどんな姿をしているのか気になった。噂を聞くにつれ、どんどん気にかけるようになっていった陽子は、ある日。

明神神社への遣いを頼まれる。噂の妖元が見られるかもしれない。そう思った陽子は喜んで明神神社へと向かうのだった。神社は、都の中心から南東の方角に歩いて行くと、たどり着く事ができる。

元々東外れに位置する村と、神社は近かった。歩いて、一時間ほどで着くその場所は、とても管理の行き届いた綺麗な神社だった。しかし、人のいる気配は余り無く、ただ、お守りが神社の境内近くの机に置かれているだけだった。この神社には神主もいると聞いていたが、ここに住まう一匹の妖怪を恐れ、離れた場所で母屋を建てて暮らしている。村長からお守りを貰ってきてほしいと頼まれていた陽子は、お守りを取ると、暫くその場に立ち尽くしていた。

 すると、何かの声が境内の中から聴こえてくる。陽子は、そーっと境内の襖を開けてみる。そこには、一匹の狐が居た。額に炎という文字を少し歪めた様な印を持ち、金色の毛並みで尻尾が二つあった狐は、陽子に気付いたのか。独り言を言う。

「また、子供か。全く、ここの神主は何をやっているのだ」

 その声は、少し低めのとても透き通る男性の声をしていた。

陽子は初めて、妖怪と話をする事にした。「こんにちは」の声に驚く妖元に自己紹介を始める。

「初めまして、妖元様。私は都の東外れの村に住む、陽子と申します」

 陽子は深々とお辞儀をする。すると、妖元は驚いてはいたが、気を取り直し答える。

「お前、私が見えるのだな?」

「はい」

 陽子は素直に返事をする。妖元は、そうか。と言うと、ため息をしながら、陽子の瞳を見た。

その瞳は、とても澄んでいて、穢れを知らない瞳に見えたが、相当な苦労をしてきていると察した。

「今日は遣いを頼まれたのだろう? ならばさっさと用事を済ませて来い」

 陽子は不思議そうな顔をする。すると妖元がまた一言放つ。

「用事が済んだらまた来い。その時にまた話そう」

 陽子はそれを聞くと、嬉しそうに笑ってお辞儀をしてその場を去っていった。その夜、再び神社に訪れた陽子を、妖元は境内の外で待っていった。その姿は、昼間に会った狐の姿ではなく、美しい青年の姿をしていた。そして、陽子が階段を上ってくるのを見ると、遅いぞ。と、言って境内の中へと招き入れた。境内の中は、とても整理されていて、誰かが毎日掃除しているのだろうと、陽子は思い、妖元に誰が掃除をしているのかを聞いてみる。すると、妖元は深いため息をつくとこう言った。

「私だ。神主の者は、私を恐れて余り来ないのだ。たまに貢物と言って食べものや酒を持ってくるが、それも全て、境内の外へと置いて行く。困った私は、この姿に化けて応じるが逃げられた」

 本当に困った顔をして喋る妖元が、なんだか身近に思えた陽子は、自分の事を話した。

小さな頃に、両親を亡くして、村長の下で育ち、読み書きや色々なことを本当の子供のように教えられてきた、と。しかし、毎日遣いに出されたり、家事に使われたりと忙しいため、夜にしか神社に来れないのだという。妖元はそれを聞くと、それは大変なものだな。と、一言。それから、気になっていた事を陽子に聞くのだった。いつ頃から妖怪という存在が見えるようになったのか、と。

陽子は物心ついた時には、既に村にいる妖怪が見えていたという。悪い妖怪ではないようで、人の姿をしていて、自分も住む村長の家にずっといるのだと話す。それを聞き、妖元は呟いた。

「座敷童子だな。それは、妖怪ではないが、まあ、似たようなものだ。

たまに悪戯をするだろうが、多めにみてやれ。お前の養われている場所は、そう簡単に潰れないだろうからな。その話は、村長に話したのか?」

 村長に話すと、そんな者はいないよ。と、説教をされたことがあるという。それから村人達にも話すが、怖いものを見るような目で、避けられるようになってしまい、村の子供達や心無い大人には、「嘘つき」、「妖怪女」、「村の恥」。と、散々言われた、と。それを聞き、妖元は少しの間黙っていたが、私の今の姿は人間にも見える。恥じられることは無い。と言って、陽子の頭を撫でるのだった。

 陽子は嬉しくなり、今まで行ったお遣いで出会った妖怪達の事を、沢山妖元に話す。妖元は、陽子の話す妖怪の名前を教える。それを聞くと、自分だけが物知りになっているようで、陽子は楽しい気分になっていた。暫くそんな時間が流れ、月も落ちかけた頃まで話すと、陽子は、朝ご飯を作らなければならないと言って、様々な話を聞いてくれた妖元に礼を言うと、もう一言付け加えた。

「あの、友達になってくませんか?」

 妖元は暫く考えて、いいだろう。と言うと、陽子は笑顔で手を振りながら神社を後にした。

暇な日があれば、神社へと訪れて、妖元と話をするようになってから、三ヶ月ほど日が過ぎた頃だった。陽子の噂を、都の人々がし始めたと思うと、今度は、妖怪達まで陽子と妖元の噂をし始めたのである。噂は広がり、もう都中がその事で陽子を不思議そうな目で見るようになった頃。ようやく村にも、手紙を通じて妖元と陽子の事が伝えられたのである。まさか、土地神と話をしにいっているとは思わず、村長は明神神社の神主からの手紙を握って、陽子に話を聞くことにした。陽子は、包み隠さずありのままの話を村長に話す。すると村長は、座敷童子の事が気になり、今もいるのか。

と、陽子に聞いた。話をずっとおどおどと聞いていると話す。村長は、こんな特別な力がある事を、今までなぜ隠していたと言うと、ずっと皆信じてはくれなかった。と、話した。それから、少し村長が考えに耽っているのをずっと見ている陽子。座敷童子も気になって村長の顔をうかがっていた。

 そして、村長はこう話すのである。

「特別な力を持って生まれたのは、お前の父と母の血のせいだろう。そうでなければ、妖怪は見えない。ましてや、お前の父と母は、そんな力のことは一言も話さなかったが、短命であった事に変わりはないのだ。その力がどうであれ、私はお前に長生きをしてほしい」

 そう言うと、陽子の父と母が、陰陽師崩れの者達だった事を陽子に明かすのだった。

その夜。陽子は、村長に言われたことをよく考えていた。そして、深く考えてある答えを出す。

翌日の朝、村長から都への遣いを終えた陽子は、明神神社の神主の元へと訪れた。神主は驚いた顔で、陽子を見て一言放つ。

「こ、この妖魔め! すぐに退散してくれる!」

 そう言われて、神主の母屋から叩き出される陽子。しかし、その決意に満ちた瞳はまだ、今から始める事を諦めてはいなかった。陽子は、神主に弟子入りして、明神神社の神主になりたいのだった。

そうすれば、妖元とずっといても誰に何も言われることも無い。それに、神主という職に就けば、村長も喜ぶだろうと思ったからである。村長の都への遣いを頼まれるごとに、神主の元へと訪れる陽子に、神主は根負けして、巫女から始めなさい。と、陽子を受け入れた。それから、村長の許可もあり、巫女の姿で、昼間に神社へ訪れた陽子を見て、妖元はかなり驚いていた。しかし、事情を聞くと納得した。陽子は、自分の中に流れる血が、もし、不浄のものなのだとしたら、明神神社に通うことで、その血は清められ、長生きできるようになるのではないかと思っていたのだった。

 妖元はその話を聞いて、それは十分期待できる。と、言ってくれた。実は妖元自身も、この神社に住むことで清められてきたのだと言う。その結果、妖怪から土地神へとその力の属性を大きく変えたのだと。それを聞き、陽子は喜ぶ。亡き父、母の事は、幼すぎて覚えてないが、これからは神社へ毎日行けるようになる上、友達とも話せる。もっとも、土地神が友達だと村長に話した時は、かなり渋い顔をされていたが、お前の人徳だな。と、頭を撫でられたのだった。

 しかし、喜びは長くは続かなかった。神社へ通う陽子の顔色が、日が増すごとに悪くなっていたのである。気になった妖元は、陽子がある日、倒れこんだのを見て、境内の中で休ませてていると、陽子の首下に何か、文字が浮かんでいることに気がついた。

それは、陰陽師でも裏の者しか知らない、呪いの印だったのである。妖元はそれで理解したが、陽子はそれでも一向に神社に来るのをやめなかった。

「妖元様」

 陽子は妖元に話しかける。すると、妖元が答えた。

「……おお? また来たのか。物好きめ」

 時は一刻を争っていた。妖元は、古くからの知り合いである、猫族の長、白夜に陰陽道の裏呪術に関して、調べてもらうよう頼んだ。白夜は人間のためとはいえ、妖元に使えることができると思うと、喜んで引き受けてた。それから、一ヶ月が過ぎようとする頃だった。白夜から、一通の妖怪伝書が届けられる。妖怪伝書とは、妖怪達だけの間で交わされている、人の世で言う、伝書鳩のようなものである。そこに記されていたのは、陽子の両親は、元々は都の腕利きの陰陽師だったのだという。

 しかしある日、呪いをかける妖怪に出くわしてしまう。都の主君が奇病に罹るが、それを治すどころか、逆に術返しをされ、長く生きれない体になってしまったのだと。そして、その呪いは一族全員にかけられたもので、陽子の家族は全員その呪いにかかってしまたのだという事も記されていた。

 助かる方法はただ一つ。その身を、清き炎で焼くしかない。そんな内容だった。そして、さらに続きがあった。もしも、本当に呪いを解くのなら、解いた者も寿命が削られるのだという。妖元は暫く考えていたが、自分の寿命が少し削られるくらいでは、どうという事も無い。と思い、陽子を起すと、今から、自分がする事を伝えた。まず、神社の井戸水でその身を濡らし、清めた後。そのまま、妖元の炎で全身を焼くのだという。しかし、そんな事をしてしまえば、普通の人間なら焼け死んでしまう。

 そう陽子は思ったが、自分が焼け死ぬことよりも、妖元の寿命が削られてしまう事のほうが大変だと言う。しかし、妖元は言った。

「例え私の寿命が短くなっても。お前が生きていてくれればいいさ。それにその井戸水を浴びた者は、水に守られて焼けることは無いから安心しろ。陽子、お前の呪いだけが消えるのだ」

 陽子は、その言葉を聞き安心したが、それでも妖元の事が心配だった。土地神の身で、寿命がある神様など、聞いたことが無い。そんな事をすれば、この明神の都に災いがいつか訪れると思った。

それでも、妖元は意思を曲げなかった。早くしろと言われ、渋々全身に水を浴びた陽子。

その瞬間、陽子の全身に炎が浴びせられる。神社の水をを浴びた体は、炎で燃える事は無く、陽子の首の印だけが焼けていった。すると、陽子の体の調子が良くなるが、今度は妖元の状態が悪くなり、青年の姿のまま、妖元はその場に倒れこんだ。妖元の首に、呪いの印が現れたのである。


 暫くして、白夜が明神神社へ訪れる。無茶をするだろうとは思っていた白夜は、看病をしながら、涙を流している陽子に、優しく話しかけた。

「大丈夫ですよ。妖元様の寿命は、私達猫族よりも長いのです。

だから、寿命が来るなんてずっと先です。それと、妖元様は転生の仕方を知っていますからね。

体が無くなれば、この呪いは消えうせるようですし。次の世が来れば大丈夫ですよ」

 陽子の事を心配しての言葉だったが、自分が死んでも妖元は呪いに苛まれると思うと、大泣きになってしまう陽子。人の身で、神の身を案じる娘。白夜は、その心に打たれるのだった。

二人揃ってその場で泣き出した頃には、苦しむ妖元の顔が少し和らいでいくのだった。


 それから八年の歳月が流れる。すっかり、呪いに対して蝕まれるのを感じなくなった妖元は、境内の外を見ようと襖を開ける。そこには、成人した陽子が、神社の枯れ葉掃除をしている所だった。そして、暫くして妖元の事に気がついた。

「妖元様。お変わりはないですか?」

「ああ、大丈夫だ」

 八年の間に、神主から神社の管理を任されることになった陽子は、毎日神社に来ては、掃除をしたり、妖元にご飯を作ったりと、平和な日々が続いていた。そんなある日の事。今日も来るのだろう。と、陽子を待っていた妖元だったが、その日からなぜか来なくなってしまったのである。

 陽子の村では奇病が流行っていた。その奇病に、陽子も罹ってしまい、来なくなった日から三ヶ月で、その命を落としてしまったのである。その噂が妖元に届くようになって十年が過ぎようとしていた。白夜に調べにいかせた所、陽子は既に命を落としていた事を知って、妖元の目から自然に涙が溢れた。なぜ、人は短い一生なのだと思う妖元だったが、人とはそんなものだとも思い、自分を納得させていた。それでも止まらない涙は、陽子を人ではなく、存在として純粋に愛していたのだと気付かせるのだった。それから妖元は、一人でずっと神社に過ごすことになる。時々、白夜が様子を見に来るが、外を見てはため息をし、陽子の姿を思い浮かべていた。


 時は戻って現代。懐かしい。本当に懐かしい記憶。その記憶を今は、共有できる存在がいる。

その者は、陽子の生まれ変わりであり、自分の魂の器となった葉子だった。葉子は言った。

「陽子さん。幸せだったかな?」

 妖元は少し間を取って話す。

「さあな。だが、私は幸せだったよ」

 そんな言葉を聞き、妖怪も人間もそんなに変わらないものだと、葉子は思う。

卒業の時期が来て、葉子はもうすぐ高校へと進学する。卒業式には、涼平の姿もあった。

皆、泣き崩れるということは無かったが、身の内で、涙を流していただろうと葉子は思った。


 それぞれ、新しい道へと向かう時が来る。

人は、出会いや別れを繰り返すが、妖怪は、その何倍の出会いと別れを繰り返している。

そんな事を、世間に知らせることが出来ればどんなにいいだろう。と、葉子は思っていた。

例え、人という存在ではなくとも、関わった者にとって、大きな存在の印となるなら、それは凄く素敵な事だろう。その中で、絆が生まれ、やがて思いやる心を知る。それはどんな世になっても変わらないのだと、葉子は深く思うのだった。そして、まだ葉子と妖元には五体満足に一年後を迎える事が大切なことだった。その日が来れば、妖怪達の悪さも無くなるのである。

完全に魂が一つになる日は、刻一刻と迫っていた。

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