四章 妖怪変化

 目の前で「妖元様」と言ったその者は、ぱっと見れば人間の娘に見える。歳は葉子より上の十七~八の姿だった。着物を着込んだその姿は、歳相応の若々しさをいっそう引き立てる。そして何よりも、白い肌に白い髪、そして青色の瞳が魅力的だった。

見惚れている葉子の代わりに、妖元が答える。

『久しぶりではないか。元気だったか? 白夜』

 白夜と呼ばれたその者は、葉子の内にいるままの妖元の声が聴こえるらしく、「はい」と、礼儀正しく頭を下げたが、次の瞬間。白夜の頭から耳がぴょこりと出てきたかと思うと、そのお尻の辺りからは縦長の尻尾が見えた。その姿は、さながら猫のように見えた。そこで初めて葉子が口を開く。

「猫娘?」

 その言葉を聴いた白夜は、一瞬にして四メートルはあるであろう距離を縮め、葉子の立っている場所へ移動したかと思うと、そのまま葉子の体を下から上へと撫で回すように見て、一言放つ。

「まだ、子供ではないですか。言葉には気を付けなさい? 私は貴女より何百年も生きているのですから。……それにしても何ですか、その格好は。寝巻きに上着を羽織っただけなんて!」

 なにやら怒られているようで、葉子は事情を話すことにした。

「それは、災難。妖元様もお疲れだったのですね」

 そう言うと、まだジロジロとこちらを見ている白夜に、葉子はどうしたのかと気になって尋ねてみた。

「あの、そんなに若い人間の女の子が、珍しいんですか?」

 若いと聞いて、顔を赤らめる白夜。そして、急に怒りだす。

「許せませんわ、妖元様! この私を差し置いて、こんな人間の娘をよりしろにするなんて! それによく見ればなんですか、このふくよかに育った大きな胸は! 妖元様はこんな幼女がお好きだったんですか? 嗚呼、汚らわしい! こんなの、こんなのこうしてやりますわ!」

 そう言うと、白夜は葉子の両胸をいきなり鷲づかみにしたかと思うと、忌々しそうに上下左右に乱暴に揉みくだし始めたのである。その乱暴さに堪らず声を上げる葉子。

「ひゃうっ、痛い! 何……するんですか!」

 そう言って、白夜を両腕で後ろに押し倒す。しかし、葉子の胸から手が離れたかと思うと、次は寝巻きの裾を引っ張られており、そのまま、白夜を押し倒すように前のめりに倒れてしまう。すると、騒ぎが急におさまった。しかし、おさまった原因は他にあった。倒れると思った葉子は瞼を閉じていたため、感触でしか気付いていなかったが、それは唇に触れていた。瞼を開けると、白夜の顔がすぐ目の前にあった。気がつけば、唇どうしで触れ合っていたのである。瞬間の出来事で、葉子も白夜も混乱していたが、やがて、どちらとともなく距離を置き、真っ赤な顔で喋りだす。

「じ、じじじ、事故ですから!」

 先に口を開けたのは葉子だった。

「あ、あああ、当たり前です!」

 白夜も答える。双方真っ赤を通り越し、真紅に近い顔の赤みだった。そして、妖元が一言放つ。

『何を女どおしでやっている。そんな事より、なぜここに来たのだ? 白夜』

 そう言われてハッと我に返った白夜は、妖元に重要な話があると言って語りだす。

最近、妖元が体を失い、葉子の体に宿るようになってから、日も浅いためか、低級妖怪達の悪さが、日にまして酷くなってきているという事だった。力の弱いままの妖元では、到底太刀打ちできない者までもが、この明神町にやってきているという。白夜の仲間が、討伐に出たところ。一瞬にして、その身を何かの鋭利な大型の刃物で、八つ裂きにされた死体が残されていたのだという。

妖元は黙ってその話を聞いていたが、暫く経ってから一言放った。

『骸の鬼か』

 その言葉を聞いて、白夜は身を震わせたが、命を狙われている事を思い出して震えている葉子の心を察する。葉子に近寄り手を握ると、そのまま座り込み、真剣な面持ちで話しかけた。

「貴女は大切な妖元様の器です。私達、猫族も命を賭けてお守りします。それでももし、貴女が挫けそうになったその時は、私の名を呼んでください。いつでも貴女を助けます」

 そう言って立ち上がると、葉子を優しく抱きしめた。

さっきとは打って変わって違う白夜の暖かさに、葉子は、まるでお姉さんが出来た気分になる。

今まで起こっている事を、白夜から聞いた妖元は、このままでは駄目だと、元の姿に戻るため、妖術を今以上に使えるようにする特訓を始めると決めた。そして、暫く神社に滞在するという白夜に、また会う事を約束して、家に帰った。


 時間は早朝五時。急いで自分の家に戻った葉子は、仮眠を取れる訳でもなく。自分と妖怪の事を暫く考えていた。いつの間にか関わってしまい、いつの間にか襲われてしまい、いつの間にか倒してしまう。自分が故意に倒した訳ではないが、オオバケグチの時は何かを殺してしまうという感覚が、いっそう強かった。そんな事がずっと続いていくのかと思うと、葉子は、もっと平和なやり取りができないのだろうと、妖怪達の不器用さに、少し哀れみを感じるのだった。

妖元はずっと黙っていたが、葉子に語りかける。

『我等も戦いたくて戦っているわけではない。……ただ、我等妖怪というものは、欲が深い心に惑わされる。その心を持って動いているのは、やはり、人なのだ。

人は、欲が無くては生きられない種族だ。それに呼応して動く我等の同胞も数知れない。

だから、私のような強い力を持った者が土地神となる事で、邪まな心に走る者を出さないようにしてきた。だが、多かれ少なかれ。人と同じような心を持った者がいるのも事実だ』

 語る妖元の口調が、悲しそうに思えた。葉子は人として、妖怪達に関わっていく一人として、妖元の言葉を忘れない。と、思った。時間は流れ、朝日が上がり、鳥の鳴き声が聴こえる頃。

制服姿に着替えた葉子は、階段を下り洗面所へと向かった。そして鏡を見ながら、あることに気付く。

葉子の髪に、鈴の髪飾りが付いていた。

多分、白夜に抱きしめられた時に、白夜が付けたのかもしれない。

そう思う葉子は、暫く自分の姿を見ていた。そんな葉子に妖元が話しかけようとした、その時だった。

「わぁ、おねーちゃん。カワイイ鈴つけてるねぇ」

 という、弟の一言に出遅れて、妖元は静かに言った。

『その鈴は、妖力を高める物だ。

猫族の者が、認めた相手にしか与えない、貴重な髪飾りでもある。大事にしろ』

 葉子は、白夜が何を認めてくれたのだろう? と、疑問に思っていたが、ひょっとしたら、あの出会い頭の出来事で、気に入られてしまったのではないかと思い込み、顔を紅潮させるのだった。

赤く染まった顔を見て、弟が不思議そうにしていたが、誰か好きな人が出来たの? と、聞いてきた。葉子は、内緒。と言うと、食卓へと向かう。食卓には、今日は珍しく父が居なかった。なんでも、急な残業が入ったとかいう事だったのだが、徹夜で仕事をやる事になってしまい、まだ寝ているという。

 珍しいな。と思ったが、朝食が終わると、学校へと向かう。

通学路を暫く歩いていると、後ろから声が聴こえた。聴き慣れない声に振り向くと、頭に耳を生やし、お尻に鍵尻尾を下げたメスの猫族が、手招きをしていた。何だろう? と、葉子は思ったが、きっと白夜の仲間の猫族だろうと思い、手招きされるほうへ歩み寄る。すると、そのメスの猫族は、スーッと後ろへ下がる。そんな事を何回か続けて、道の角を曲がるうちに、葉子は見知らぬ景色へと迷い込んでしまう。そこは、はっきりとは解らないが、温度の低さというよりも、景色全体から冷たさを感じる場所だった。今まで手招きしていた猫族の姿は見当たらず、そこがどこかも判らない。

 葉子は妖元を呼ぶが、答えない。おかしい。と思い、来た道を引き返そうとして、曲がり角を行き来するが、引き返しても引き返しても迷路のように同じ場所に戻ってしまうのだった。不安の気持ちで一杯になってきた葉子は、ずっと妖元の名前を呼ぶが、それでも妖元は答えなかった。

「……どうしよう」

 言葉と共に、涙が出てきた。そして、寂しさと怖さの余り、そのまま両手で顔を覆い、しゃがみこんで泣き出してしまう。そんな葉子に、話しかける声がした。

「どうしたんだい? 人間の娘さん」

 声がするほうに振り向くと、そこには長身で、大きな鎌を持ち、耳の尖った男が立っていた。

男からは、人間の葉子でも解るくらいの殺気が感じられた。

男が再び、怯える葉子に優しい声で話しかけてくる。

「ここは、人間の来るところじゃないんだ。何に導かれてやって来たのかは知らないが、ここの存在を知られた以上は生かしては返せないな。娘さん、死ぬのは怖くないかい?」

 そんな言葉に、体中が震えだす。葉子は今朝、白夜に言われた事を思い出した。

「挫けそうになったら、私の名を呼んでください」

 葉子は、大きな声で白夜の名前を呼んだ。

「白夜だと? こいつは面倒だな。猫族の頭に来られちゃもっと不都合だ」

 そういうと、男は大鎌を葉子に向けて振りかざす。その瞬間、瞼を閉じた葉子の首に触れるか触れまいかのところで、白い手が大鎌を止めていた。瞼を開くと、葉子のすぐ前に白夜が立っていた。

そのまま失神してしまった葉子を抱え、その場から去る白夜。男の舌打ちが鳴り響く。

「もう少しで、殺させたのにのなぁ……」

 男はそのまま、景色の中に溶け込むように、姿を霧のように消した。

助けられた葉子は、妖元の神社にいた。眠りから目覚めるのを白夜が待っている。

暫くして、吐息と共に目覚めた葉子は、白夜に今までの経緯を聞き、自分の命が狙われていたのだと話される。恐ろしいという思いが、再び込み上げてくる。

そして、起き上がって震える葉子を、白夜は優しく抱きしめた。

「大丈夫。貴女は私の名前をちゃんと呼べたじゃないですか。それに、……妖元様?」

 黙りきりだった妖元が、ようやく口を開く。

『あれが、骸の鬼か。少々厄介だな』

 その言葉を聞き、葉子は思う。自分は、骸の鬼を見つけるために、上手く利用されたのだ。

どうしようもない気持ちが葉子の中で吹き荒れた。

「……守ってやるって、言ったじゃない。嘘つき!」

 そのまま、葉子は余りの怖さと、妖元の薄情さに対して、泣き崩れた。

長い時間が経ち、泣き止んだ葉子は、白夜に礼を言って神社の階段を下りてゆく。白夜が言うには、妖元のした事は、白夜を信用していての事だったという。そして、猫族を偽った妖怪も自分達の手で捕まえて、誰の差し金かと聞いていたのだが、その者は影も形も無く、その場から消えたのだとも。妖元の思惑を知った葉子だったが、それでも妖元を許す事が出来ないでいた。そんな葉子に、妖元は何の言葉もかける事無く、ただ、黙っていた。

 そして、暫く黙り続けた妖元が、口を開く。

『私と共にある以上は、死ぬことは無い。

今回は白夜に助けられたが、いずれ私の力が完全になれば……』

「――聞きたくない」

 そう言うと、暫く黙っていてほしいと、葉子は妖元に言う。自分のした事は葉子への裏切り行為だと解っていた妖元だったが、例え宿り主に嫌われても、あの男の事は知っておく必要があった。

今はただ、時の流れに任せ、ゆっくりと時間は過ぎていった。


 家に帰ってから数時間。葉子は自分の部屋から出ようとはしなかった。妖元に裏切られたことが、ショックで、利用されたことがショックで、それでも許そうとする自分がいるのが嫌だった。

帰ってきてから何も食べない葉子を心配してか。母は、自室のドアを開けない葉子に、手紙とパンとスープの乗ったお盆を置いていった。葉子は、母が過ぎ去るのを待ってから、扉を開けて、お盆を取ると、また鍵をして手紙を読む。


 何があったかは、お母さんは知りません。

それでも、もし、友達との喧嘩か何かで、心が挫けそうになっているのなら、

それでもその友達を信じてあげなさい。

葉子が誰よりも、人を信じることが得意なのを、お母さんは知ってるからね。


 葉子は涙が出た。そして、それをずっと見ていた妖元が言った。

『母は暖かいな』

「馬鹿。あんたがそれを言う前にする事があるでしょ?」

『ああ。すまなかった』

 母の手紙で仲直りした一人と一匹は、次の日から神社に行き、妖力を強める特訓を始める。

妖力の相性のいい葉子と妖元は、白夜の鈴の髪飾りの手助けもあり、何度か青年の姿の妖元へと戻る事が出来るようになってきた。そして数日経つと、完全に変化の術を操れるようになる。

 この頃、妖怪達の中で、不穏な噂が立っていた。妖怪を喰う妖怪が現れたという。しかも、まだ喰い足りないらしく、被害に遭っている妖怪が後を立たない。白夜の仲間の猫族からその情報を聞いた葉子と妖元は、噂の根源を断ち切りに行く。白夜も同行すると言ったが、葉子が危ない時にだけ来てくれればいいと言って、神社で待ってもらう事にした。

向かう場所は、骸の鬼。と、妖元が言った男の居場所。


 男は待っていた。ずっと待っていた。男の近くで、妖怪を喰らう妖怪を見ながら、ずっと待っていた。あの、戦神とも呼ばれ、誉れ高き土地神。金糸妖元と、その器である葉子を。

男の顔は、大きな傷が目立ち、さらに小さな傷が目立った。今まで、連なる妖怪達を倒してきたのがよく解る様だった。男は呟く。

「妖怪が、妖怪を喰って美味いなんて言うのは、余程イカレた奴だ。

だが、コイツはそんな奴じゃない。ただの喰うだけの奴じゃない。コイツは妖力を喰う。

そして最後には俺がコイツの妖力を奪う。クックックッ……。俺が倒せるか? 妖元」

 男は笑う。薄気味悪く笑う。その笑い声は、男のいる空間を歪め、男の笑い声を聴いた妖怪達が空間に入ってくる。そして、妖怪を喰う妖怪の餌食になる。そんな事を何回も続けていくと、妖怪を喰う妖怪は、膨大な大きさになり、男さえも食おうとした。しかし、男が大鎌を構えると、男の元に怪物と化した者の妖力が集まり、吸い取られてゆく。怪物はどんどんその身が小さくなっていった。

すると、男の体中の筋肉が、二倍三倍へと膨れ上がっていった。男は歓喜の声を上げる。

「ヒャーハッハッハッ! いいぜ、もっと来いよ! こんなのじゃまだ足りねぇぜ! もっと、もっとだ!」

 男の姿が黒く変わる時、葉子は偽の猫族に誘い込まれた曲がり角を見つけ、何度も曲がり、男の居場所を突き止めた。そこで怪物の妖力を吸い尽くし、黒く醜く変貌した男の姿を見る。その姿は、昔の世の絵巻が語る、鬼。そのものだった。

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