三章 妖心棒

葉子の席は、教室内の南側の窓際に位置していて、校庭のグラウンドもよく見える場所だ。

授業の四時間目が終わる頃。葉子は、ふとグラウンドを見た。すると、グラウンドの真ん中に、何かがうごめいているのが見えた。「え?」と、一瞬声を小さく上げる。まだ授業中だという事を忘れそうになった葉子は、口を押さえて周りを見る。誰も声を上げたことに気付いてはいないようだった。

安心して、再びグラウンドの真ん中を見る。しかし、そこにはすでに何かいた跡さえ残っていなかったのである。暫くして、給食の時間が始まった。由紀とは席と班が離れているため、給食中に話すという事はない。クラスメイトと話しながら、由紀が時々こちらを見ている事に葉子は気づく。  

 どうしたのかと思いながら、由紀のいるほうを見ていると、何か落ち着かない様子だった。

そして由紀は、一瞬クラスメイトとの会話が途切れた時を見計らって、席を立ち教室を後にした。

葉子も気になって、後を追いかける。適当な理由をつけて班の者達をごまかしたが、早めに教室に戻らないと何か言われそうだと思った葉子は、急いで由紀を追いかけて行く。葉子の立っている場所から、そう遠くない場所で、不穏な影が動いていたが、葉子は気づかずにその場を去って行った。

 不穏な影は、形をあらわにしていく。その姿は、昨日の夜中に、会社員の男性を仮死状態にさせたいびつな口と目だった。走り去ってゆく葉子を、人ならざる者の大きな瞳がとらえる。

とらえた一瞬、葉子が背後に何かを感じて振り向く。しかし、後ろには何もいなかった。いびつな口と目は、すでに姿形を消していた。その頃、由紀は保健室に向かっていた。後ろを確認しながら、少しおびえた様子で歩いている。……数時間前、授業の二時間目頃。体育で、自由時間を与えられ、由紀は、バスケットボールをやろう! と、女子全員に言う。大体了解し、全員参加することになり、大会形式でバスケットボールが始まった。しかし、葉子も見ていたが、今日の由紀の動きはなぜかキレが無かった。ボールの扱いが上手いはずの由紀が、ドリブルで何回も相手チームにボールを取られ、外す事の無いスリーポイントシュートで大きく外したりと、全体的に調子が悪かった。それというのも、授業が始まる前、由紀が最後に更衣室から出る頃に、あの妙なものを見てからだった。

 グラウンドへ向かう道にいたそれは、とてもこの世のものではない形をしていた。大きく飛び出るようないびつな歯を持ち、口の中から何やら、右往左往上下に動く目玉のようなものが見えた。

由紀はゾッとして、後ろにたじろぎ、バランスを崩して倒れこむ。まだ、こちらを見続けるそれは、口を閉じ、一瞬、何か音をたてかと思うと、その場から消えていた。それからというもの、気分が冴えなかったが、きっと気のせいだと思い、授業へと向かったのである。しかし、段々時間が経つにつてれて、不安を持つようになってくる。あの得体の知れないものに、また遭ってしまうのではないか? と。

 不安の心がどんどん強くなっていく中、保健室が見えた由紀は、急いで保健室の戸を開け、中に入る。丁度そこには、給食をとっていた他の生徒達もいたので、由紀は安心して戸を閉めた。


 いつもなら、何かある時は、保健室に寄るはずだ。と、葉子は由紀の後を追っていた。

三階の教室から降りると、すぐ左手の西側に職員室があり、右手の東側には、保健室のプレートが見える。葉子は急いで、保健室へと向かった。そして、戸を開けると。そこには由紀と、その他の保健室へ来ていた生徒達が、賑やかに喋りこんでいた。すぐに由紀は葉子に気付くと、葉子の名前を呼びながら、自分の遭った奇妙なことを話し始める。すると、妖元が葉子に伝えることがあると言って、この場から去るように言った。由紀にトイレに行きたくなった。と言って、その場を後にしようとすると、由紀は、「葉子も怖がりだもんねぇ。早く戻ってきてよぉ」と、声を掛ける。そのまま、「ごめん」と言いながら、その場を後にし、人気のない女子トイレへと入って行った。トイレに入って、すぐ左手に、鏡がある。妖元は、ここでいい。と言うと、葉子の正面に映る鏡に姿がダブって金の髪と、赤い目を持った、葉子の姿が映る。それは妖元の今の姿だった。そして、そのまま妖元は伝えた。

『人の生気を喰う妖怪が、お前の学校内に進入している。気をつけろ。奴が口を閉じて歯ぎしりをしそうになったら、すぐに耳を塞ぐのだ。そうしなければ、一瞬にしてお前もろとも私の生気まで奴に喰わせる事になる。もうすでに、お前の友達の由紀は、奴に目を付けられてる』

 葉子はハッとする。二時間目の授業中の由紀の様子を思い出したのだ。目を付けられているという事は、今日の帰り道に狙われる可能性があるということかもしれない。葉子は、それから、急いで保健室に戻る。保健室の仲間達と喋っている由紀は、「今日、私の家に遊びに来ない?」と、葉子に言う。葉子は、珍しいね。と言うと、由紀の内心の事情を知りながら、わかった。と答えた。


 放課後の帰り道、「今日は遅くなるから」。と、家に連絡した葉子は、学校にいた頃の由紀の状態と、今の状態が全く違うことに気がつく。周りを警戒し、安全である事を確認しながら歩く。それは、何かに狙われているのではないかという、恐れの表れだった。由紀の帰り道に合わせると、暫くして公園がある。そこで少し休んでいこう。と、由紀が公園の入り口に入った時だった。由紀の体が、突然消えたのだ。いきなりの出来事に、葉子は混乱するが、すぐに妖元が話しかける。

『どれだけ大量の生気を吸ったのかは解らんが、結界を作り出すまでとなっているとなると手強いぞ! 葉子、私に体を使わせてくれ。お前の友達が危ない!』

 葉子は、「わかった!」と、返事すると、見る見る葉子の髪が金髪へと変わってゆき、瞳が赤く染まる。

そして、結界の外から、妖力の炎を放つと結界に穴が開き、その中を通り抜け、由紀を追いかける。

その頃。由紀は、公園の水のみ場で、ハンカチを濡らして額に当て、近くのベンチで休憩をしていた。すると、聞き覚えのある声が聴こえる。それは、葉子の声だと気付くと、その方角を見て、由紀は額に当てていたハンカチを落とした。大きな口が、体も無く。大きな歯をひしめかせながら、口を開け、由紀をその大きな口の中にある目で見ていたのである。由紀は真っ青になり、その場から走り抜ける。どんどん距離を離しているつもりが、いつまで経っても遠くならない。絶望に心が苛まれながら、由紀は青い顔で走ってゆく。後ろを振り返った瞬間、大きな口が次第に閉じてゆくのが見えた。その時、走っている前方から、葉子の叫ぶ声が聴こえた。

「耳を両手で塞げ!」

 何事かと慌てふためいたが、言われたとおりに由紀は両耳を塞いだ。その瞬間。一段と高い歯ぎしりの音が周りの景色を振動させていた。それは、音波に似ていた。耳を塞いでも、その音波が、由紀の体を襲う。耐え切れないほどの振動に、由紀は前のめりに倒れこんでしまうが、しっかりと耳を塞いでいたため、生気を抜かれることは無かった。由紀が倒れこんだ瞬間、妖元が炎を放っていた。その炎は口を閉じた状態で相手に当たるが、効いている様子は無かった。

 由紀は、葉子であろう人物の姿と、放たれた炎を見て、一体何が起こっているんだろう。と考えたが、妖元の「逃げろ!」の一言で、その場から、由紀は逃げ去って行った。

「さて、どうしてくれようか」

 歯ぎしりをするのは、口を閉じた時の一回。その他は攻撃という攻撃はしてこない。しかし、口を閉じた相手には、炎が通じない。ならば、答えは一つ。と、妖元は時を待つ。ゆっくりと相手の口が開かれる。その開ききる瞬間を狙い、妖元は火力を上げた炎を、直接相手の開く口の中へと放出した。

「ギィィッアァァッ!」

 口の中の目が見る見る焼けてゆく。すると、大きさもどんどん小さくなっていく。

しかし、相手がそう長く苦しみ続けるのを耐えているはずが無く、妖元の操る葉子の小さな体は、体当たりをされ、吹き飛ばされてしまう。すかさず、耐えた妖元だったが、葉子の体がいかに自分が乗り移った為に強くなっていようと、そう何回も攻撃は受けられないと思った。

そして、印を組んだ妖元が唱える。

「我に眠る、清き炎よ。火柱となりて、邪なるかの者を焼き払え! 発!」

 火柱が大きな口と目を持った者の中心から立ち上り、焼きたてる。

暫く時間が経つと、相手は小さな小さな姿へとなり、そのまま消えてしまった。

炎を止めた妖元は、元の葉子の姿へと戻った。妖元が、つぶやく。

『まだ、低級とはいえ、ここまでの低級が力を持つとは……』

 意味深なその言葉に、葉子は妖元の力がまだ強くないことを思ったのだった。もうすでに、辺りは暗く、そして結界が消え、逃げ去っていたはずの由紀が、葉子の元へと走ってきた。

少し、不思議そうに葉子を見る。葉子は、さっきの妖元になった姿を見られたのだと思ったが、間一髪、疑りの言葉を言われる前に言った。

「あ、あれはね。用心棒! 由紀が様子変だと思って、私が頼んだんだぁ……って、ね?」

 由紀の瞳は、輝いていた。葉子は、何だろう? と思い、瞳を輝かせた由紀の目の前に手を横に振ってみるが、なぜか由紀は止まったままだった。そして、由紀から放たれた言葉は。

「あの、あなた、同じ学校の子よね? どうやって、あんな化け物倒したか知らないけど、その髪とその目……。私すっごく好みなの!」

「えっ!」

 と、一言放つと、自分の姿を確認する為に、再びコンパクト鏡を胸の内ポケットから取り出す。

そこに映っていたのは、紛れも無い妖元になった時の葉子だった。

葉子は、百八十度自分の向きを変え、由紀から見て真後ろになり、走り出す。

「待ってー!」という、由紀の黄色い歓声を後ろに、その場から風のように去っていったのである。

葉子は暫く走って、由紀が追ってこないことを確認する。

「はぁ……」

 と、息を吐くと、誰もいない事を確認して、妖元に問う。

「何で、あんたの姿をまたしてたのよ!」

 妖元は言った。

『大丈夫だ。一瞬あの娘の視界を止めた。どうせなら、深く感謝されたいと思ったのだ。

自分が助けた者に礼を言われて、初めて用心棒だろう?』

 スーッと息を吸い、葉子が言い放つ。

「馬鹿狐ー!」

 葉子の内にいるとはいえ、その言葉は、妖元の覇気と似たものがあった。

妖元は二度とやらないと誓う。しかし、この日の夜、急にいなくなったから心配したぞぉ。

と、由紀から携帯に元気な声で電話がかかってきた。そして、公園での出来事を話される。

それと同時に、由紀は「金の長髪と赤い目をした女の子を明日一緒に探そう!」。 と、言ってきた。葉子は、「その人には当分会えないんじゃないかなぁ」。と、言う。由紀が「何でよ?」と言いながら、金髪と赤目の素晴らしさを語り始める。

「あんなに萌える人は早々いないって! できるなら付き合ってほしいなぁ」

 そう言いながら、由紀との会話は、午前零時まで続いた。電話からようやく開放された葉子は、自分の友達の趣味と、方向性を知り、改めてガクリと首を傾けるのだった。その後、妖元から、帰り道に遭った妖怪の名前を聞く。名前は、オオバケグチと言って、人の微量の生気を吸って生きている妖怪なのだと言う。結界を持つほどまで成長していたのは、自分の妖力と、土地を治める力が不十分だからだとも言った。ついこの前、妖怪に怖い思いをさせられたと思ったら、今度は倒してしまった。葉子は、少し複雑な気分だった。そして、由紀の最後に言っていた言葉を思い出す。

「用心棒って言ってたから、私が危ない時には、すぐに来てくれるよ!」

 これからも、妖元とは長い付き合いになるが、襲いくる妖怪とも長い付き合いになる。

そして、由紀ともその度に、一緒に遭遇していたらと考えると、先の事が解らなくなってきた。

頭が混乱してきた葉子は、深い後悔と共に、今日の事を早く忘れようと、眠りにつくのだった。


 次の朝早く。何やら、お尻の辺りがフカフカしていると思うと、さわり心地のよい尻尾が生えていた。頭の上もひょこひょこ何か動くと思うと、耳が生えていた。葉子は、真っ青になり、妖元を起こす。

耳と尻尾が生えていることに対して、妖元は、昨日。妖力を使いすぎたせいか、少し、体の形状の維持がしにくいのだと言う。どうすれば元に戻せるかを聞くと、自分の元居た神社に戻れば、正常な気で元に戻ることが出来るらしい。誰も起きていないことを確認して、玄関をそっと閉める葉子。そして、一気に道を走り抜ける。

その姿を遠くから、葉子の弟が二階の窓から寝ぼけながら見ていた。

「きつねさん?」

 弟はそのまま、窓のカーテンを閉めて、再び眠りにつくのだった。


 誰も居ない早朝の道は、少し寒気を帯びていたが、今の葉子には、さほど苦にならなかった。

まだ、学校が始まる前の時刻に自分は何をやっているのだろうと、急いで腕にはめた腕時計を見る。

時間はまだ、早朝三時。まだ、十分余裕だ。妖元に最初に連れて行かれた神社に着いた葉子は、急いで階段を駆け上がる。すると、見る見るうちに、姿が元に戻っていった。葉子は、ホッと胸を撫で下ろす。しかし、神社には他の来客者が居た。

「妖元、様?」

 葉子は再び、妖怪事情に巻き込まれる。

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