二章 妖怪道中
瞳に、今まで見えなかった者達が映っていた。ある者は姿形すら危うい者。
首だけが異常に長い者。目玉が何百もある者。葉子は、身を震わせながら帰り道を歩いていた。
『見えるような素振りをするな。そんな事をすれば、一気に襲われるぞ』
頭の中で妖元の声が響く。まだ慣れていない葉子は、声が聴こえる度に驚いた。
葉子は、周りに聴こえないように、小声で身の内にいる妖元に話しかけた。
「……ちょっと、余り話しかけないでよ。貴方の話し声が聴こえるだけでも、びっくりするんだから!」
すると、妖元はこれは駄目だと思い、自分の知る者達の説明を始めた。
『まず、お前が目にしているのは、お前達人間が、絵巻や書庫に今の時代まで残している、妖怪という者達だ。実際に、この時代より前から存在しているが、今は、ある一定の者達にしか解からぬ様だ。人間の中でも陰陽師という者達が式神を操り、我ら妖怪に大打撃を与えていた頃もあった。
今の時代は、実に『見えない者達』が多い。その中で、お前のように妖力の資質がある人間が、ごく稀に生まれる事がある。私はその者達の体を借りて、何百年と生きているのだ。』
つまり、人の体を取り替えながら生きている、迷惑な事を何百年も続けてきた。という事だ。
と、葉子は思ったが、その考えたことは、妖元には筒抜けなのである。妖元は言う。
『失礼な。ちゃんと断りを入れてから、貸して貰っているだろうが』
それもそうだが、あれは選択が迫られるだけで、実際は押し付けと変わらない。
自分の体を直接傷つけるまでして、手に入れた訳だから、それなりに代償は払っているかもしれない。それでも、いきなり来て、いきなり体を使わせてくれなんて、あんまりだ。
寿命だったという事だが、それにしたって、他の人だって話を聞く限りでは居ただろう。
そう思うと、ますます自分は運が悪いと思うのだった。すると、妖元は一言。
『いや、お前でなければ意味が無いのだ』
そう言うと、妖元は暫く黙った。何度問いかけても、答えは返ってこない。すると、何やら後ろで、馬鹿でかい音を出しながら歩く者が迫っていた。地響きが聴こえる。そして、周りに居た妖怪達が、次々に葉子の前を過ぎて行った。どうしたんだろう? 葉子は後ろを振り返ろうとする。
その時、一段と地響きがまた酷くなった。葉子はたまらず足をふらつかせながら声を上げる。
「……きゃっ、ちょっと! 何なのよ! 今度は何よ?」
すると、地響きは一旦止んだ。……と、思ったその瞬間。葉子の体が宙に浮くほどの振動が襲ってきた。葉子は、何事かと、後ろを振り返る。すると、学校の跳び箱を、十二段重ねたくらいの大きさの泥の塊が、葉子のすぐ後ろで、その足を葉子のいる場所へと降ろそうとしていた。
葉子は真っ青になり、すぐにその場を走り抜ける。走り去った後は、また、重い地響きが鳴っていた。
葉子は、妖元の名前を叫ぶ。
「ちょっと! 妖元! あいつ何なのよ? 私を狙ってるじゃない!」
妖元は葉子の問いかけに答えない。葉子は必死に、妖元の名を叫び続けた。
すると、イライラした声が葉子の頭の中で響く。
『ええい! 話すなと言ったのはお前だろう! それにアイツは今の私の手には負えん! 走れ!』
葉子は全力疾走で走り抜ける。走るのは余り得意なほうではないが、妖元の乗り移った自分の体は、風のように道々を走り抜けた。そして、いつしか音は遠くになり、もう聴こえなくなった。
息切れが余りしていないことを不思議に思いながら、自分の体の変化に驚く葉子だった。
『ふむ。何とか巻いたな。奴はドウタンボウと言ってな。
土の妖怪なのだ。いくら、私が炎で焼いても効くまい。それで走れと言ったのだ』
確かに土に火は効かない。それでも怖かった事に変わりなかった。
これからこんな事が毎日続くのだと思うと、葉子は気が遠くなる思いになる。
しかし、妖元は『守ってやる』と、一言伝えると、また静かになるのだった。
「ただいまー」
何度か危ない目にあっていたが、家に帰宅できた。思い出しても身の毛のよだつ思いだ。
葉子の母が、キッチンから「おかえり」と、声を掛ける。いい匂いがする。母から、今日はシチューだと聞かされて、葉子は今までの重い気持ちが、一気に飛んだ。シチューは葉子の好物である。
「お母さん、私が手伝うことはない?」
さっきまでの妖怪道中を、忘れてしまったかのように。葉子は母親の手伝いをする。
暫く、時間が経ち、晩御飯の時間になった。葉子の家族は、葉子も入れて、四人家族。葉子の下には弟がいる。まだ幼く、幼稚園に通っている。そして、母親は主婦とスーパーのパートをしている。
父親は、株式会社の社員。サラリーマンである。家族四人そろって、シチューを食べながら語らう。
おおよそ日本の家族は、今の時代バラバラな時間に食べるため、晩御飯に全員そろって食べているという事を友達に話すと、「えー、マジで? いいなぁ、葉子の家は仲良しで」と、言われる。
暫く喋っていると、父が葉子の最近のことを聞き始めた。
「葉子も中学を卒業するし、彼氏も居るよな。今日はデートだったんだろう?」
やはり、父親。娘の付き合っている彼氏の事は、気になっているらしい。
正直に、話すかと思っていた葉子だったが、母を見ると無言の「言っちゃ駄目」という、口の前に中指を添えた格好が見えた。暫く黙っていると、母から、フォローが入った。
「涼平君は、いい子よねぇ! ねぇ? 葉子」
葉子は、母の思っている事を察知した。多分、家に涼平から電話が掛かってきたのだろう。
それで、大方の内容は母が知っていると考えた。母の口に合わせて話すと、父は、「そうか」と頷いて、シチューをおかわりして、満足げに食べていた。その間、葉子はご飯を済ますと、風呂場に向かおうとした。すると、母に呼び止められ、なにやら、耳打ちに囁かれる。
「涼平君、三十八度くらい熱出してるらしいから、きっとインフルエンザよ」
葉子は、そんな。と思った。あの健康だけが取り得の涼平がインフルエンザになるなんて。
そう思いながら、見舞いにも行けない。と、肩を落として風呂場に向かう。
母は、肩を叩いて、「元気出しなさい!」と言うと、キッチンへと小走りで、戻っていった。葉子は実に憂鬱な気分に襲われるが、今までの事を考えれば、それはどうでもいいことのように思えた。
妖元の事をすっかり忘れていた葉子は、風呂場で、体を流してから湯船に入ると、顔を半分まで沈めて、ブクブクと泡をたてていた。そして、それを暫くやって止め、妖元に話しかける。
「ずっとこのままなんでしょ? 離れないんだよね?」
妖元は静かに答えた。どうあっても、魂の融合が始まっている体では、もう、離れる事は出来ない。
そして、これから、カラス天狗などの低級妖怪などに、命を狙われる事もしばしばあるだろう。とも言う。葉子は、冗談じゃないと言いながら、湯船から出て髪の毛を洗い始める。思えば、妖元が乗り移ってから、髪の毛の色は、黒と金のバラバラな配色になってしまのである。自慢の黒髪だったし、涼平も好きな髪だったので、少しがっかりしていたが、あの元気だけが取り得の涼平に強い霊力があるとは思えない。それを考えてみれば、周りには、黒髪のままなので、まあいいかと思うのだった。
実際、家に帰ってきてから、誰にも変化は気づかれていなかった。それを思うと、少し安心した葉子は、丁寧に髪を洗い、シャワーを浴びると、まだ少しだが気分がマシになっていった。暫く経って、風呂場から出ると、弟が待っていた。どうしたんだろう? と、思いつつ、弟に話しかけると、弟の話す内容に葉子は驚く。弟には、葉子の姿が妖元の乗り移った、ありのままに見えているのだと言う。そして、一言。
「おねーちゃん、悪い奴になったの?」
悪い奴。つまり不良になってしまったのではないかと、心配する弟に。葉子は、ごまかしが効かず困っていると、妖元が話しかけてきた。
『その子の視界を少し、さえぎってくれ』
何をする気なのかと、葉子は思ったが、妖元がすぐに付け加える。
『姿だけでも元に戻せるぞ』
早く言ってほしかった。葉子は、弟に「そんなことないよ?」と言って、弟の視界を両手でさえぎる。
弟は、何が起こったのか解からなかった。不思議そうに「なぁに?」と、言っている。妖元が、もういいぞ。と言うと、葉子は弟の顔から手を離した。すると弟は、きょとんとした顔で葉子を見る。
「……あれ? いつものおねーちゃんだぁ!」
弟は、安心したのか。葉子をギュウっと抱きしめると、笑いながら、その場を後にしていった。
葉子は、一気に肩の力が抜けた。まさか、自分の家族に、霊力が強い者が居るとは思っていなかったのである。元に戻せる事を、早く教えない妖元も妖元である。葉子は、少し肩の荷が下りたと思うと、少し気分が良くなり、二階の自室へと階段を上がって行く。暫くは妖元が力を制御してくれるという事を聞くと、安心したのか。葉子は、自室のベッドに入り、明日の学校に備えるのだった。
その夜。町中で、会社勤めの若い男が、仕事が終わり、夜中の道を一人で歩いていた時だった。後ろから何やら、何かがきしむような音が聴こえ、気になって振り返るが、何もいなかった。気のせいかと思い、歩いていると、今度は、鉄どうしが重なり合って、ひしめくような音が聴こえてきた。男は、再び振り返ってみた。するとそこには、大きな口があった。しかし、普通の口ではない。
いびつな大きな歯を何本も持った口で、口の真ん中には、大きな目玉が、男を覗いていた。
そして、目を右往左往上下に動かしているかと思うと、口が閉まり、次の瞬間、歯ぎしりの音をいっそう高く上げたかと思うと。目の前に居た男性は、生気が抜けたように倒れこんでしまった。
その後、大きな口と目を持った者が、その場から姿を消す。次の朝、葉子は、早めに着替えて、朝食を済ますと学校へと登校をして行く。しかし、登校中。ある事が頭から離れなかった。それは、朝、テレビを観ていて放送されていたニュースの事である。明神町の中央区の会社員の男性が、早朝。道端に倒れていたのを新聞配達員に発見される。しかし、息が無く、死んでいると思った新聞配達員は、警察に連絡する。警察が現場に着いた頃も男性は倒れており、救急車で病院に搬送されるが、男性はまだ、仮死状態である事が判明する。
すると、そのニュースの一方を見て、妖元が一言った。
『あれは、人ならざる者の仕業だ』
そして、ニュースで男性は、過労による衰弱ではないか。と、病院側からの発表があった。
葉子は、どうにも気になっていた。中央区と言えば、葉子が昨晩、待ち合わせをしていた場所に近いのである。考えながら歩いている葉子の背中が、勢いよく叩かれる。
「どうしたのぉ? そんな顔してたら涼平に逃げられるぞぉ?」
友達の木葉由紀だった。卒業シーズンを迎えているというのに、涼平はインフルエンザで、その彼女の葉子まで、暗い顔をしていては、張り合いが無いのだと言う。由紀は奇抜で、ショートカットの良く似合う女の子である。背は葉子よりも高く、所属している部活はバスケットボール部だった。
去年のインターハイに出場したほどの腕の持ち主で、クラスは葉子と同じだ。由紀は、涼平の幼馴染だが、恋愛感情を互いに持つ事は無く、葉子が、涼平を好きになったと聞いたときには。
「えー! あんな健康馬鹿のどこがいいの?」
と、驚かれた時もあった。恋のキューピットになってあげる。と、言う由紀に対して、何度断りを入れたかは計り知れない。そんな友人関係の二人である葉子と由紀は、二人そろうと、とても賑やかになるので、学校では涼平も混ざり、三人で馬鹿な話から、真剣な話までする。いわゆる仲良しトリオなのである。ニュースの事を忘れて由紀と話していると、学校が見えてきた。明神町の中央区に近いその学校の名は、神門中学校と言う。校内全体の成績としては、それなりに優秀な学校で、不良に走る生徒も数少ない学校としても有名だった。冬の季節のためか、雪かきをしている教員の姿も見える。すると、作業をしている教員の中に、葉子達のクラスの担任が居た。
由紀は、「先生に挨拶してくるね!」と、一旦離れていった。葉子は再び、朝のニュースを思い出す。
人ならざる者の仕業と言う事は、つまり、昨日見たような妖怪が関わっていると言う事だ。
葉子は、用心したほうがいいかもしれない。と、思った。
遅かれ早かれ、その用心していた事は、葉子に災難として降って来るかもしれないからであった。
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