第2話 俺は薬屋に飼われている

「コロ……? コロ……?」

「……、……」

ん?

 ああ、また人の頃の夢を見たのか。


「コロ……。あ、大丈夫みたいね」

「ニャア……」

「あなた、この頃時々、寝ながら苦しそうに唸るのよ。悪い夢でも見てるのかしら?」

「……、……」

相変わらず、鋭いな。

 エイミアは、俺のことは何でも分かるようだ。

 確かに俺は苦しかった。

 人だった頃の夢を見るといつも……。


 エイミアは、俺をコロと呼ぶ。

 いや、俺の意識が入っている、この猫の身体をコロと呼ぶのだ。





 銀色の光に包まれたあと、俺は意識を失った。

 そして、意識が戻った時には、この猫の身体が俺になっていた。


 猫になってから、そろそろ一ヶ月が過ぎる。

 最初は戸惑いもしたが、今では快適そのものと言って良い。


 朝と晩には、必ずエイミアがミルクに浸したパンを用意してくれる。

 寝たいときに寝て、外に出たいときは気ままに出掛ける。

 仕事も、わずらわしい人間関係もない。

 たまに、近所の猫と挨拶を交わすくらいで、誰もが俺を放っておいてくれる。


 かと言って、無視されているわけではない。

 エイミアはいつも優しく俺を抱いてくれるし、毎晩、身体も洗ってくれる。

 隣の定食屋のおばさんは、俺を見ると必ずハムをくれるし、たまにはチーズだって与えてくれる。


 あのとき、俺が身を投げていたら、こんな幸福な時間は訪れなかっただろう。

 いや、俺はあの時、死んだのかも知れない。

 そして、今のこの身体を手に入れたようにも思うのだ。





「夜の食事はもうちょっと待っててね……」

そう俺に言うと、エイミアは袋からムーの実を取り出した。


 ムーの実には、わずかながら傷を治す魔力があり、これをすりつぶしてから煎じ、特殊な煮詰め方をすると、劇的に効く塗り薬になる。


 ムーの薬は、さっき売れたばかりで、在庫が少ないらしい。

 エイミアは、在庫がなくなりそうになると、接客の合間を縫って、こうして薬作りに没頭するのだ。





 俺が猫になったこの世界は、どうやら今までいた世界とは違うようだ。

 この一ヶ月の生活で、俺はそう結論付けた。


 この世界は、ほとんど科学が発達していない。

 だから、電気もガスもありはしない。

 夜は暗くなるとランプに火を入れ、植物から絞った油で明かりを灯す。


 住んでいる民の多くは畑を耕し、自然と共に暮らす。

 牛や羊を飼い、豊かな森で生活に必要な採集を行う。

 どこまでも続く田園風景は、人間社会ですり減った俺の心を癒してくれる。


「もしかして、これは夢の中の世界か?」

などとも思うくらい、穏やかな毎日が続く。

 仕事、仕事で追われ、日々、営業所の売り上げを気にしていた頃が嘘のようだ。





「エイミアっ! ムーの薬はあるか?」

突然、店の扉が乱暴に開き、女が怒鳴りながら入って来た。


「あ……、アイラ……。と……、扉が壊れてしまうわ」

「大丈夫だよ、ちゃんと手加減してる。それより、ムーの薬だ。」

「ま……、またやったの?」

「ああ……、またやっちまった」

アイラと呼ばれた女は、そう言うと、右の手の甲をエイミアに見せた。


「こ……、これ、て……、手甲を付けてなかったの?」

「ああ……、突然だったんで、付ける暇がなかったんだ」

「だ……、ダメだって言ったでしょう? あ……、あなた、その内、手が砕けてしまうわよ」

「いや、だから、軽く撃ったんだ……、それでも」

「……、……」

「まあ、今日は大したことないから、いつもみたいにムーの薬を付けてくれ。それですぐに治るんだからさ」

エイミアは仕方がなさそうにうなずくと、棚から壺を取り出す。

 そして、壺から木のヘラで薬をすくうと、アイラの手の甲に塗りつけた。


「つっ……。染みるな。でも、これで大丈夫だ」

「……、……」

「ほら、もう腫れが引いてきた。うん、もう痛くない」

「く……、砕けたら、一ヶ月は治らないんだから。き……、気をつけないと」

「そうなんだけどな……、仕方がなかったんだ」

「……、……」

「占い師のヘレンが、言いがかりを付けられて、連れて行かれそうになったんだ。だから、言いがかりを付けた男をぶっ飛ばしてやったんだよ」

「お……、男?」

「そうだよ……。ならず者みたいで、人相の悪い奴だった」

「……、……」

アイラは、ぶっ飛ばしたのを再現するように、拳を握り、手の甲を標的に当てるような仕草で右手を振って見せた。


「薬代は、つけておいてくれ」

「……、……」

「これから、もう一回ヘレンの様子を見てくるからさ。どうも、ヘレンが狙われてるみたいなんでね」

「き……、気をつけてね。あ……、アイラは強いけど、女の子なんだから」

エイミアが言い終わらない内に、アイラは店から出て行った。


「コロ……、アイラは言うことを聞いてくれないの」

アイラに向かって喋っていたのとは打って変わって、エイミアは滑舌良く俺に話しかける。

 エイミアは対人恐怖症のようで、人と話すときはどもる癖があるのだ。

 だから、俺に向かって話すときだけ、流暢な言葉を遣う。


「アイラも悪い子ではないのだけれど、気が強くて、直情的なのが心配なのよね」

「……、……」

「あの裏拳で、やっつけられない人はいないだろうけど、いつか、手の方がダメになってしまうわ」

「……、……」

「武闘を教えて暮らしているから、仕方がないのだけれど……」

「ニャア……」

エイミアは、俺の頭を撫でる。


「さあ、もう少し、ムーの実をすりつぶしておかないと」

そう言って、エイミアはまた薬作りに没頭するのだった。





 俺は、ムーの実をすりつぶしているエイミアを見ながら、複雑な気持ちに襲われていた。


 俺は今、猫として何不自由なく暮らしている。

 このまま、この生活が続くことが、何よりも望ましい。

 争いも、虐げることも、この薬屋の中には存在しないから……。


 しかし、一歩外に出れば、アイラが遭遇するような争いは、この世界でも起っているのだ。

 そう言えば、国と国とが戦争をしているようなことも、隣の定食屋で、チラッと聞いたような気がするし……。

 だから、今、この村では女ばかりが寄り添って生活しているようだ。

 つまり、徴兵が行われていると言うことだろう。


 ただ、今の俺には、それも関係ない。

 俺は猫だから……。

 人間が勝手に争うことに、関わるつもりはない。

 俺はずっと、虐げられても争いを避けて生きてきたのだし……。


 でも、もし、エイミアが争いに巻き込まれ、この平穏な生活が終わりを告げたら……。

 そう思うと、俺は心配で仕方がないのだ。


 だって、そうだろう?

 俺は、せっかく猫になったんだから……。


 エイミアは、まだ、当分薬作りを続けるのだろう。


 俺はそっとエイミアの横を通り過ぎると、勝手口から外に出た。

 夕食まで、少し散歩でもしてくるつもりだ。


 店からは、ゴリゴリと言う、ムーの実をすりつぶす音だけが響いていた。

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