第3話 一撃必殺!
「おや、コロ……、お出かけかい?」
「……、……」
「ちょっと待っててね。今、いつものやつをあげるから」
「ニャア……」
定食屋のおばさんは、めざとく俺をみつけてくれた。
いつものやつ……、ってことは、ハムのことだろう。
この世界に来て、色々と戸惑うことも多かったが、最初からとても嬉しいこともあった。
それが、食べ物の美味さだったりする。
どういうわけか、何を食べても美味いのだ。
エイミアが出してくれるミルクは濃厚で、今まで飲んだことがないようなコクと甘さがあったし、そのミルクに浸されただけのパンからは、上等なバターの香りがする。
定食屋のハムもそうだ。
何の肉を使っているのか分からないが、噛む度に味が染み出てきて、飲み込むまでずっと肉の味が消えないのだ。
「はい、お待ちどうさま」
おばさんは、白い陶器の皿にハムをのせ、俺の鼻先に置いてくれた。
皿は、端の方が少し欠けている。
いつもこの皿で出してくれるので、おばさん的には、俺専用のつもりなのかもしれない。
「もうすぐ日が暮れるから、遠くに行くんじゃないよ」
ハムを食べ終わり、背を向けて歩き出す俺に、おばさんはいつものように声をかけた。
……って、猫はこれから動き出す時間なんだがなあ。
まあ、でも、いつも気に掛けてくれるおばさんが、俺は好きだ。
俺は、いつもの散歩コースを辿る。
と、言っても、村内の繁華なところをぶらぶらするだけなんだが……。
村には、店らしい店は、数えるほどしかない。
靴屋と仕立屋、それに、おばさんの定食屋とエイミアの薬屋だけだ。
だから、繁華と言っても、常に人がわさわさといるわけではない。
ただ、その店が集まっている一角の隣には広場があり、朝から昼にかけては露店が並ぶ。
つまり、朝市のようなものが毎日開催されるのだ。
露店は、農家が採れたものを並べ、猟師が仕留めた獲物を売りに来る。
それらが村の近隣から集まるので、小さな村の朝市にしては、なかなか活気に溢れていると言えた。
俺の散歩コースは、店が並ぶ一角を通り過ぎ、広場を一周してくるだけだ。
昼を過ぎると、広場にはほとんど人がいなくなる。
だから、俺はいつも気ままに散歩コースを闊歩するのだった。
そんな閑散とした広場に、ポツンと一軒だけ、まだ露店が残っている。
その露店は、毎日、決まって夕方まで残っていたりする。
簡易な机を出しているだけで、特に品を並べているわけでもない露店に、女主が一人、椅子に座っているのであった。
女主は、エイミアやアイラと同年配……。
俺が看た感じでは、女子高生くらいの年頃で、昼過ぎには決まって目を瞑って座っている。
これが、先ほどアイラが言っていた、占い師のヘレンだ。
そして、ヘレンの露店が、俺の散歩コースの終着点でもあった。
「ヘレン!」
「……、……」
「ヘレン! おいっ!」
「……、……」
「おいっ! 聞いているのか?」
「……、う、うるさいなあ」
俺より一足先に着いたアイラが、しきりと怒鳴り立てる。
しかし、ヘレンは意に介さず、目を瞑ったままだ。
「さっきから何度も聞いているだろう? 何故、あんなゴロツキが言いがかりをつけてくるんだ?」
「……、……」
「おかしいじゃねーか。こんな片田舎の占い師に、難癖をつけるなんて」
「……、……」
「それに、あいつ、徴兵されてないのか? 戦争のまっただ中なのに……」
「お客様のことを話すことは出来ないわ」
「それは分かってる。だが、だからお前は殴られかけたんだろう?」
「……、……」
アイラは、イライラした声で、ヘレンに詰め寄る。
「アイラ……、私のことは放っておいて。それに、昼過ぎは瞑想の時間だって知っているでしょう?」
「放っておけって言ったって、今は王国の警備兵もいないし、何があったって誰も助けてくれないんだぞ」
「そんなことは分かっているわよ。でもね、私に災難が降りかかると言う占いの結果は出ていないわ。だから、大丈夫よ」
「う、占いってお前……」
「私の占いは外れないわ。それより、ちゃんと瞑想をしないと、明日の占いに差し支えるのよ。だから、帰ってちょうだい」
「ヘレン……」
勢いよくがなり立てるアイラを、ヘレンは冷静に拒絶した。
アイラは、なおも何か言いたげだが、ヘレンのとりつく島もない態度に、次の言葉が出てこない。
「お取り込み中悪いが、占い師ヘレン、私に同行してもらおうか」
声の方を見ると、腰に剣を帯びた、頑強そうな中年の男が立っていた。
「バロール様の使いの方ですか? でしたら、先ほども同行はお断りしましたが……」
「バロール様は、お前の占いにいたくご立腹なのだ。だから、生意気な占い師を必ず連れて来いと仰せだ」
「私の占いは外れません。だから、いい加減なことを言っているわけでもありません。それに、バロール様が私をお疑いなら、気にしなければいいだけのことです」
「噂通り、気の強い女だな。だが、俺が来たからにはそうはいかん。必ず同行してもらう」
中年の男は、そう言って歩み寄ると、まだ目を瞑っているヘレンの二の腕を掴もうとした。
「嫌だって言ってるだろう?」
男の手を、アイラが払う。
「お前か? さっき、ウチの若いのを痛めつけたのは」
「そうだよ。さっきもヘレンは嫌がっていたからな」
「女だてらに凄い腕らしいじゃないか」
「フン……。徴兵を逃れて飲んだくれてる、バロール一味が弱いだけだろ」
「言ったな? じゃあ、この俺、バロール一家随一の腕を持つ、傭兵ブランが相手をしてやる」
「傭兵か……。少しは修羅場をくぐり抜けてきているようだね。いいよ……、相手をしてやる。性根を据えてかかって来いっ!」
言い終わりざま、アイラとブランはお互いに飛び退き、距離をとる。
ブランは腰の剣に手を当てると、スラリと鞘から抜き取り、両手で構えた。
アイラは、髪の毛をまとめていた額当てを外すと、右手に括り付ける。
そして、両腕をだらりと下げたまま、リズムをとるようにステップを踏み始めた。
「お前……、得物はいらんのか?」
「傭兵ごときに武器を使わなきゃいけないほど、やわな鍛え方はしてないからな」
「口の減らん女だ」
「……、……」
「そうか、そのままでいいのだな? では、遠慮なく行くぞ……。ハアっ!」
気合い一閃、ブランは剣を突いた。
は、速い……。
しかし、アイラは首をわずかに傾げただけで、それを避けた。
アイラの茶色い髪の毛が剣に触れ、パラパラと地に落ちる……。
俺には、ブランの凄まじい突きをアイラが辛うじて避けたように見えたが、余裕があるのか、アイラは笑みさえ浮かべている。
ブランは避けられたのが意外だったのか、ちょっと面食らったような顔をした。
「むっ……、やるな。俺の突きをかわすとは」
「フフっ……、あんたもね。思っていたよりはやるね。だけど、今度はこっちから行かせてもらうよ」
そう言うと、アイラはステップを止め、無造作にブランに近寄った。
剣の切っ先が、アイラの目前に迫る。
「サアっ!」
アイラは、発声と共に身を屈め、身体を一回転すると、蹴りを繰り出した。
蹴りは見事に脛を捉え、ブランの身体ごと刈り倒す。
「うっ……」
アイラが急に視界から消え、意表を突かれたのか、ブランはものの見事に倒れ、地面に這いつくばる。
ただ、修羅場をくぐり抜けてきた傭兵は、次の攻撃に備えるために顔を上げ、アイラの姿を目で捉えようとした。
その瞬間……。
「バシュっ!」
上げた顔に、アイラの右手甲がヒットした。
アイラは、脛を刈った勢いのままもう一回転し、裏拳をブランの顎に叩き付けたのだ。
「ぐっ……」
呻きとも呟きとも分からないような声を出し、屈強な傭兵は頭から地面に突っ伏した。
たった一撃……。
アイラの恐るべき裏拳で、勝負は決まったのだった。
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