第19話「神樹を見上げて、駆け上る」

 第11階層、暗緑ノ樹海アンリョクノジュカイの最深部……109階。

 そこでは、今までと全く違う世界が広がっていた。

 余りに荘厳そうごんで圧倒的な光景に、ザッシュは言葉を失う。


「これは……あ、あの、ここバベルの中だよね?」


 何度も自分に問うてきたことだ。

 そして、今また改めて周囲に聞きたくなったのだ。

 なぜなら……109階のフロアは、今までの鬱蒼うっそうしげる森ではないから。木々があっしてくるような、息苦しいまでの濃密な空気が今はない。

 清涼せいりょうな風が吹き抜ける、そこは空の中だった。

 バベルという巨塔きょとうの中なのに、階段を登った先には空が広がっている。

 そして……細い回廊が続く先に、見上げても見上げきれぬ巨木がそそり立っていた。

 それを見たリータが、驚きに目を丸くした。


「まあ! あれは……まさか、世界樹せかいじゅ

「世界樹だって? あ、あれが伝説の……しかし、どうしてここに!」


 そう、目の前に天へとそびえる巨大な世界樹が枝葉を広げている。

 その下ははるか下へ見えず、この空間自体が別世界な印象を与えた。

 だが、リータは再度世界樹と言葉を繰り返した。


「世界樹……この世の何処どこかかで全てを見守る、偉大なる生命の象徴」

「そう、なんだ?」

「ええ。ザッシュもわたくしも、そして皆様も……等しく生命は、世界樹に祝福されてますの。でも、どうしてバベルの中に」


 その問に答えられる人間が、一人だけ存在していた。

 彼女がもし、人間であるならばの話だが。


「そう、リータの言う通りこれが世界樹だ。この世界のデータ管理システムの一つだが……そうか、バベルの中にあったのか。基礎設計の段階とは随分違うな」

「えっ、シオン……君は」

ORI-GENEオリジーン継承者けいしょうしゃの少年よ、私は言ったはずだ……守護者のようなものだと」


 そう、悪魔にしか見えない乗り物から出てきたシオンは、自らを世界の守護者だとうそぶく。だが、今はそんなことを議論しているひまはなかった。

 周囲を警戒していたルーシアとロアンが声を張り上げる。


「姫様! あの世界樹……周囲に螺旋階段らせんかいだんが」

「つまり、ですよ? もしかして……世界樹そのものが、この109階を構成する迷宮ダンジョンなのでは……そして、あの螺旋階段を上へ登れば」


 疑う余地はなかった。

 そして、ザッシュはその証拠を屈んで指で触れる。


「見て、血だ……まだ新しい。これは多分、逃げ延びたエルートさんの。いや、逃げてきたんじゃない……あの人は助けを呼びに戻ったんだ」


 まだ、僅かに地面が濡れている。

 乾ききっていない血を握りながら、再びザッシュは立ち上がった。


「行こう、リータ! みんなも! ……ドルクさんを助けなきゃいけない。エルートさんが命懸けで、俺達にそれをたくしてくれたしさ。それに」


 リータが瞬きを繰り返し「それに?」とオウム返しに小首を傾げる。

 ザッシュはいつになく逸る気持ちを抑えるように、胸に手を当て言葉を選んだ。


「それに、少し冒険者っぽくなってきたろう? リータ、これが多分君の求めていたもの……君が一生を過ごすと決めた、バベルの毎日なんだと思う」


 目を丸くしたリータは、凛々りりしく表情を引き締めうなずいた。

 だが、すぐに背後からポカリとザッシュはブン殴られる。


「おいザッシュ、斬るぞ? 姫様を妙な道に誘うんじゃない。だが」

「だが? えっと……ルーシアさん?」

「そうまで言うならお前が姫様を守れ。私は道を切り開き、敵を斬り伏せ、全てを切り裂き進む。遅れずついてこい! 姫様を守れなかったら、お前もりだ!」


 言うが早いか、世界樹へ続く一本道をルーシアが走り出す。

 ここからは時間との勝負だ。

 すぐに続いたロアンの背を追って、ザッシュもリータと駆け出した。

 最後尾をぽてぽてと、澄ました無表情でシオンがついてくる。

 肩越しに振り返って、ザッシュはその矮躯わいくを呼んだ。


「シオンさん! お願いがあります。さっきの、あの、ステータスがどうとかっての!」

「ああ、また必要か? どれ、手を」

「モンスターのステータスとかってのも、見れますか?」

「無論だ。全てのデータは、0と1で構成されている。それは、この世界から出られなくなった私も、本来この世界が封じて守るORI-GENE継承者も同じこと」


 訳がわからないが、今は考えるのをやめる。

 そして、シオンの小さな手を握った。

 何故かリータがプゥ! とほおふくらませる。くちびるとがらせてむくれてるが、訳がわからない。今わかるのは、これでザッシュにはモンスターの全てが数値化して見れるということ。

 そして、すぐに螺旋階段を登り始めれば、上からモンスターが押し寄せた。


「聞いてください、ルーシアさん! ロアンも!」

「なんだ、ザッシュ! 忙しいんだ!」

詠唱えいしょうに入るから、あとにしてくれないか……数が多い!」


 それでもザッシュは黙らない。

 そして、埒外遺物オージャンクと呼ばれる銃を撃ちながら叫ぶ。


「僕には今、全てのモンスターが把握はあくできます! ! だから……ルーシアさん、深追いせずに狙いすました重撃じゅうげきを! 一匹一匹に分散して! 死ぬまで斬り続ける必要はないです」

「なるほど、つまり……叩き斬るってことだな!」


 ルーシアはエルフとはいえ、手練てだれの騎士である。鍛え抜かれた腹筋など見事に割れており、女性的にもグラマラスで大理石の神像みたいな女性だ。そして、彼女は剣をとっては戦いの女神となり、邪魔する全てを斬り捨てる。

 だが、そんな彼女にザッシュは各個撃破ではなく、一匹に一撃を連ねてもらう。

 同時に、魔法を詠唱するロアンにも頼む。


「ロアン! 威力より攻撃範囲の広さで魔法を選んでほしいんだ。できるかい?」

「ザッシュ、馬鹿にしてるんですか!? 僕は姫様を守る術士……こうでしょう!」


 あっという間に炎が広がり、分厚い壁となって階段の上を駆け上る。

 紅蓮ぐれん業火ごうかが包む中で、ザッシュは見た。

 ルーシアの剣技とロアンの術で、大半のモンスターは死んでゆく。オーバーキルする必要はない……丁寧にHPヒットポイントの上限を

 そして、ギリギリで死なない敵を――


「リータ、お願いっ! 僕が援護するから」

「わかりましたの! つまり……わたくしがトドメを刺すということですわねっ!」


 風がふわりと舞う。

 リータは自分で不得意ふとくいとは言っても、するどしなった細剣レイピアを振れば可憐かれんだった。

 そして、美しきハチの一刺しが次々と死に損ないを倒してゆく。

 このペースならば、どんどん上へと上がれる。

 片手をシオンと握ってなければならず、銃での精密な射撃は難しい。だが、リータの邪魔をするモンスターを牽制けんせいするだけなら十分だ。

 そして、要領ようりょうつかんだルーシアとロアンは、一流冒険者にも等しい手腕で戦う。

 隣のシオンも「ほう?」と目を細めた。


「確か、ザッシュとか言ったな……面白い。ステータスを見る分には、規約違反きやくいはんにあたらずチートとも言えないだろう。だが、少々効率厨こうりつちゅうっぽくはないだろうか?」

「え? なんです、それっ! っと、リータ頭を下げて! そこっ!」


 炎の魔法が飛び交う中で、リータが躍動している。

 階段を駆け上がり、右に左にと舞い踊る。その剣舞けんぶが次々と、辛うじて生きながらえたモンスターを絶命させていった。一見して簡単な作業に見えるが、ひたいに汗を玉と浮かべてリータは全力運動を続けた。

 すでにザッシュが腰に巻いてあげた上着はほどけて、下着が丸見えだった。

 こうして一気に、一同は109階の螺旋階段を駆け上る。

 その先に助けを求めるドルクと……恐るべき敵が待つとも知らずに。

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