・謎を連れて、死闘へ

第18話「彼女の意外な生存戦略」

 バベル第11階層に広がる、暗緑ノ樹海アンリョクノジュカイ……地上から数えて108階のフロア。

 薄暗い森が迷宮ダンジョンを織りなす中で、血塗ちまみれの女性が倒れていた。

 それは、凄腕冒険者すごうでぼうけんしゃコンビの一人、エルートだ。優美な色香いろかを放っていた妙齢のダークエルフは、荒い息に肩を上下させている。

 そして、エルートを抱き上げた者の意外な声が走った。


「誰か、水! 水をんできて! 綺麗な水ね! あと、大きめの布!」


 いつになく真剣な表情は、ベルティだ。

 あの自堕落じだらく生臭僧侶なまぐさそうりょが嘘のように、彼女はテキパキとエルートを脱がし始めた。血で汚れた服を脱がせ、傷を確認する。

 直ぐにロアンが、飲水用の革袋かわぶくろを手に手伝った。

 そして、呆気あっけに取られるザッシュの横で、突然布の引き裂かれる音が響く。


「ベルティさん! これを使ってくださいな! それと、わたくしの水も!」

「あいよー! あとは……ちょっと痛いけど我慢しなよー?」


 なんと、リータは自分の衣服を切り裂き渡してしまった。

 もともと薄着で肌の露出もあらわだが、さらに露出が激しくなってザッシュは目をらす。いわゆるビキニアーマーなリータは、股間を隠す腰の前垂れを綺麗に全て切ってしまったのだ。エプロンの前掛けみたいなひらひらした部分を、全部渡してしまったのだ。

 下着が丸見えだが、リータは自分も血に汚れながら手伝い出す。


「サンキュ、リータ! ちょっと水持ってて!」

「はいっ!」

「派手にザックリいったねー、こりゃあとが残るよー? ま、死んだら致命打、生き残れば勲章くんしょうだい!」


 ベルティはバッグの荷物を出し、そこからオイルを手に取る。傷口は腹部を深く斬られているが、どうやら内蔵や骨には達していないらしい。それは運の太いことだと、ベルティは汗の光る顔をわずかに崩す。

 傷口をよく洗って、オイルを少し塗る。

 そして、ベルティは次に取り出したマッチの火を付けた。

 傷口を焼かれて、エルートが絶叫を張り上げる。

 だが、ベルティは手慣れた様子で彼女にハンカチを噛ませて、処置を続行した。


「リータ、裁縫さいほう得意? だよね? っぽいもん」

「ええ、でも人の肌は……いいえ、やってみますわ!」

「ん、よろしく! えーと、あとは……ああエルート、これも噛んどいて。この葉っぱ、いわゆる気持ちよくなるタイプの麻薬まやく……じゃねーや、薬草だから」


 涙目のエルートは、リータに傷口を塗られながら痙攣けいれんに震える。

 その間に、水を汲んできたルーシアが戻ってきた。

 彼女は、他の傷に塗り薬をつけてやるベルティを覗き込む。


「ベルティ、お前はくさっても修道女シスター、神に仕える者だろう? 癒やしの法術ほうじゅつなどは使えないのか?」

「んー、それな! わたし、。こっちの方が確実だし」


 とんだ破戒僧はかいそうだ。

 とても神職の言葉とは思えない。

 そういえばベルティは、酒も煙草たばこも好き放題だし、戦闘となれば躊躇ちゅうちょなく逃げる。神の加護で味方を守る法術など、見たこともなかった。

 だが、足手まといかと思えば、応急処置の手際の良さはザッシュも目を見張った。

 そうしていると、黙ってみていたシオンが「ふむ」とうなる。


「確かに、この者の信仰心はいちじるしく低いな」

「ちょっと、シオンさん! そんな言い方は」

「パラメーターとして見ても、あらゆる数値が低いが……取り立てて信仰心が低い。それに比べて運が以上に高いな。他には……体力や腕力は並、機敏さも無駄に高いようだ」

「……シオンさん?」

「ん、ORI-GENEオリジーン継承者の少年にも見えるようにしてやろう」


 シオンが不意に手を握ってきた。

 その時、不意に意識に何かが流し込まれる。

 頭の中を膨大な情報が駆け巡った。


「っ! な、何を」

「これで数値化したパラメーターが見えるだろう」

「え、それって……あっ!? こ、これは」


 驚いたことに、ベルティの頭の上に光の文字が並んでいる。

 腕力、体力、機敏さ、魔力、信仰心、そして……やけに数値の高い、運。他にも様々な数値がある。

 そして、視線をスライドさせれば、エルートはHPヒットポイントという項目が真っ赤に減っていた。

 どうやら、このHPというのは命の総量……これが尽きると、死ぬのだろう。

 そのことを聞かされた記憶はないのに、何故かザッシュは知っていた。

 最後に、もう一つ驚きの声をあげる。


「あれ、リータが……リータの数値が、変だ」

「どれ。……ふむ、確かに。まあ、データの欠損かだろう」

「データ? 欠損……バグって」

「どうしてもシステム上、全てが完璧というのは難しいものだよ。これだけの規模のものは、有史以来初めてだからね。だが、問題はなかろう」


 リータは言っていた。

 普通の魔法が全く使えないと。

 彼女の魔力の数値は、数字でも文字でもない、読めない記号が並んでいる。それはまるで、彼女自身に貼られたレッテル、イレギュラーの烙印らくいんのような気がした。

 だが、リータは額に汗して大きな傷を全部縫い上げる。


「これでもう大丈夫ですわ!」

「っし、血も止まりそうだね? あとはさっきのリータの布で」

「ごめんなさい、こんなものしかなくて」

「いーのいーの、それよか大丈夫? リータさ……ぱんつ丸見えだじぇ!」


 ガハハと笑うベルティは、落ち着いている。

 この非常時でも、いや、非常時だからこそ普通通りな彼女に驚いた。

 能あるたかは爪を隠す……少しザッシュは見直してしまった。

 そして、手当に夢中だったリータがようやく我に返る。


「あら、まあ……こっ、ここ、これは! いけませんの!」


 慌ててザッシュはシャツを脱いで、それをリータの細い腰に巻いてやる。

 因みにぱんつの色は、一点のくもりもない純白だった。

 そうこうしていると、ようやくエルートが苦しげに喋り出す。


「すまない……っ! はぁ、はぁ……すまないついでに、頼めないだろうか」

「わたくし達にできることならば、なんなりと」

「姫様は……危険です。でも、どうか……私の、おっとを……ドルクを、助けて、ください」


 震える手を伸べるエルートに、リータはひざを突いて大きくうなずく。

 手を取って握り、更に手を重ねて彼女は微笑ほほえんだ。

 恐らく今、彼女はエルートを保存セーブしたいと思っているだろう。だが、それは彼女自身が決めた保存と再生ロードの約束を自ら破ることになる。

 熟練冒険者だからといって、特別扱いもできない。

 彼女はベルティの応急処置に恵まれ、命を繋ぎ止めるかもしれないが……このバベルの迷宮では、命を落として吸い込まれる者達の方が圧倒的に多いのだ。

 そのことに納得して挑むからこそ、冒険者は冒険者たりえる。


「姫様……ドルクを。彼は、109階の、登りの、階段の…さらに、上に……」

「わかりましたわ。最善を約束しますの。ルーシア、ロアン! そして、ザッシュ。危険ですが、このまま109階に上がって、その上を目指しましょう。ベルティさんは」

「わたしはパース! この人連れて戻るわ、にはは。んで……この子はどうすんの?」


 皆の視線が、シオンに集中する。

 彼女はぼんやりと一同を見渡して、溜息を一つ。


「同行させてもらおう。モノダイバーが破壊された以上、私もこの世界から出るすべを失った。再びモノダイバーで眠りにつくよりは、諸君等に今は協力しよう」


 不可解な少女はそう言って、ふらりと歩き出す。

 急いだ方がいいと感じて、ルーシアを先頭に一同は探索を再開させた。何故なら……110階は。そこは、この第11階層で最強のモンスター、誰もが見たことのない暗緑ノ樹海のぬしが階段を守っているのだった。

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