第17話「悪魔が来たりて…?」

 不意に響く、不気味な高音。

 金切り声をあげて、沈黙していた悪魔が動き出した。そのひとみには今、真っ赤な光が輝いている。突然のことで、咄嗟にザッシュはリータを背に庇った。

 誰もが驚く中、重々しい鳴動と共に悪魔が立ち上がる。

 そして、頭上から声が振ってきた。


ORI-GENEオリジーンの継承者を確認……ん? しかしこれはどういうことだ? ここは……ふむ、バベルの中か。フロア検索……108階だと!? 何故、こんな下層に私が』


 人の声、そして共用語だ。

 人間がエルフやドワーフ、ホビット達と共有している世界言語が独り言のように叫ばれた。口調はおだやかだが、どこか無機質で冷たい。

 悪魔は足元のザッシュ達を見下ろし、何度も双眸そうぼう明滅めいめつさせた。

 すぐに全員の先頭で、剣を抜いたルーシアが気迫を叫ぶ。


「ザッシュ、姫様を頼む! ロアンは援護、ベルティは退路があるなら姫様を一緒に連れて逃げるんだ!」


 エルフの騎士から裂帛れっぱくの気合がほとばしる。

 だが、相手は何倍も巨大な体躯たいくを持つ悪魔だ。物怖ものおじしないルーシアは立派だが、その勇気も今は蛮勇ばんゆうかもしれない。

 そして、ザッシュが横目にベルティを探すと、すでにその姿はない。

 見事な逃げ足で、自分を守ることにかけては天賦てんぶの才能としか言いようがなかった。

 だが、悪魔は再び片膝を突いて静止する。


『ふむ……は既に、地球を去ったのか? まさか、人類側が駆逐に成功したとは思えんが。まあいい、そこのORI-GENE継承者! そうだ少年、きみだ』


 ザッシュが自分を指差していると、悪魔は大きくうなずいた。

 そして、瞳の光が消えると同時に……なんと、腹部が大きく開かれた。そして、その闇の中から一人の少女が現れたのだ。

 全身を密着して覆うスーツは、幼い起伏のシルエットを浮かび上がらせている。

 無表情な顔は整っており、男児のようなベリーショートの髪は藍色あいいろだ。

 小さな小さな少女は、床へと降り立ち周囲を見渡す。


「少年以外はエルフか。こちらの世界は完璧に維持されているようだな」


 こちらの世界? 維持? 少女は何を言っているのだろうか?

 ザッシュが怪訝けげんに思い、ルーシアさえ突然のことで固まっている。

 そんな中、止めるロアンを手で制して、リータが前に歩み出た。


「こんにちは。わたくしはリータ、リータ・ファルシですわ。あなたのお名前は?」


 炭火のように温かな微笑ほほえみのリータを、じっと少女は見詰めてくる。

 彼女はまるで、脳裏で記憶を紐解ひもとくかのように黙ってしまった。

 やがて、ようやく口を開く。


「ファルシ……もしや、七星王家セブンスの人間か。何故なぜ、こんな場所に」

「わたくしが古代魔法ハイエイシェントで、冒険者の皆様をお助けするためですわ。わたくし、保存セーブ再生ロードの古代魔法だけは得意ですの」

「ほう? つまり中枢システムへのアクセス権を持った個体が生まれてしまったのか。エルフは精霊への干渉力も強いし、ハイエルフにはその特化した能力故にイレギュラーが発生したと見るのが妥当だろう」


 ニコニコ笑っているリータは、頭上に見えない疑問符ハテナマークを乱舞させていた。

 ザッシュもチンプンカンプンだったが、ふと気付いた。

 先程から少女は、リータの背後のザッシュをじっと見詰めていた。


「紹介が遅れたな。私は認識番号NZ4077A……個体名称はシオンだ。ふむ……わかりやすく言えば、システムが再現しているこの世界の保守機能、セーフガードだ」

「いや、わかりやすくないけど……リータ、わかる?」


 これは駄目だと思った。

 リータは先程から、瞬きを繰り返したまま笑顔で固まっている。

 そして、ギギギギと首を巡らせ「ザッシュ、あの」と助けを求める声を発したのだ。リータも聡明そうめいな少女だが、シオンの言葉は意味不明な上に聞き覚えのない単語ばかりだった。

 シオンもそれを察したのか、肩をすくめる。


「すまない、私はそうだな……このバベルを中心とした世界の、守護者だと思ってくれ」

「あ、悪魔なのに?」

「悪魔……ああ、私の乗っていたモノダイバーか。これは……まあ、私の仕事道具で、この世界に来るのに必要なものだ。どうやら予定外のここに墜落、そのまま機能を停止していたようだ」

「乗り物!?」

「うむ」


 訳がわからない。

 悪魔の中から出てきた少女が、目の前にいる。

 その現実はわかるが、あまりに日常とはかけ離れた光景だ。

 だが、シオンはそのことには無関心で、ザッシュに目を向ける。


「少年、君はどうしてこっちの世界にいる。ORI-GENEの継承者はまだ、全て保存状態のままの筈だが」

「や、俺が聞きたいくらいで……あと、ORI-GENEって何ですか?」

「……まいったな。るいは友を呼ぶ、イレギュラーはイレギュラーを招くということか」


 シオンはザッシュとリータを交互に見て、溜息ためいきこぼした。

 だが、そんな時……突然、背後から悲鳴が響いた。

 あられもない声、言の葉を象らぬ叫びはベルティのものだ。

 真っ先に動いたのは、呆気あっけにとられていたルーシアだった。彼女は機敏きびんな動きでロアンと目配せして、二人で真っ先に走り出す。


「ザッシュ、とりあえずここに危険はないと判断する! そのシオンとやらを見張ってろ。決して姫様に近づけるな! よし、行くぞロアン!」

「はいっ! 全く、世話のやける人間だ!」


 二人を見送っていると、シオンが「ふむ」とうなる。彼女はザッシュが止めるのも聞かず、部屋の出入り口へ向かって歩き出した。

 あわててザッシュは追いかけようとして、ぽかんとしてしまったリータを振り返る。

 彼女はいまだに、大きな瞳をぱちくりとまばたかせるだけだった。

 突然のことが多過ぎて、ほうけてしまったようである。

 ザッシュは急いでリータの手を取り「行こう、リータ」と歩き出す。


「あ、あの、ザッシュ……これはどういうことでしょうか。あの悪魔が乗り物で、中に人が乗っていたのはわかりました。しかし、難しい話が多過ぎて」

「俺もさっぱりだよ。ただ……俺達、普通じゃないみたい。俺もリータも、イレギュラーっていうからには想定外の存在らしい。少なくとも、シオンにとってはそうかもね」


 部屋を出て少し歩くと、再び原初の暗い森へと戻ってきた。

 そして、すぐシオンの小さな背中へと追いつく。

 程なくして、三人は振り向くルーシア達に合流した。

 そこには、絶句するしかない光景が広がっていた。

 今までの不思議な出来事が、シオンのもたらした理解不能の神秘ならば……目の前の惨状は誰にもはっきりと分かる凄惨せいさんな悲劇だ。

 ダークエルフの女性が、血を流しながら倒れている。

 そして、周囲にはルーシアが片付けたらしいモンスターの死体があった。


「エルートさん!」


 その女性は、ベテラン冒険者ドルクの妻エルートだった。

 彼女は苦しげに全身を上下させて、呼吸を貪っている。荒げた息の奥から、かすれた声が響く。

 次の瞬間……腰を抜かしていたいかに思われたベルティが、意外な行動に出た。

 その姿を見て、ザッシュは思考が停止してしまう。

 ぼんやりと見守るシオンだけが、まるで観察するような視線を向けてくるのだった。

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