第15話「彼女を守ると決めたから」

 バベルの迷宮ダンジョン、第11階層……暗緑ノ樹海アンリョクノジュカイ

 以前、この森の入り口にザッシュは入ったことがある。リータと共に、逃げ遅れた冒険者の救出を試みたのだ。

 だが、非情なバベルの摂理せつりは死んだ人間を飲み込んでしまう。

 ドルクとエルートという古参ベテラン冒険者との出会いだけが、恐ろしき迷宮での糧となった。

 再び暗緑ノ樹海へと挑むザッシュは、既に107階まで来ていた。

 それも、驚くほど順調に。


「リータ、俺の影に! アイシクル・ショット、まだ撃てるっ!」


 大きな拳銃を両手で構えて、ザッシュは銃爪トリガーを引き絞る。

 高速で打ち出された氷のつぶてが、巨大な魔物を貫いた。人間の何倍も大きな、ロッキーベアが絶叫を張り上げる。後ろ足で立ち上がった熊の怪物は、ぐらりと巨躯をたじろがせた

 先日、アマミの自治会長であるアレンから貰った、弾薬のようなパーツ。

 それを装填そうてんすることで、ザッシュの銃は新しい力を得ていた。


「これは……使えるな。フォトン・ブラスターと違って持久力がある。いいね」


 どうやらアイシクル・ショットは、空気中の水分を集めて凝結させ、それを弾丸として撃ち出すようだ。勿論もちろん、一度に撃てる数は限られているが、それでも一発勝負のフォトン・ブラスターとは使い勝手がまるで違う。それに、撃ちつつ半永久的に氷の弾丸を作り続けられるのも便利だった。作るより撃つ方が早く、消費に製造はすぐには追いついてこないが。

 その分、アイシクル・ショットの威力は低めで、ロッキーベアくらいの大物ともなれば一撃必殺という訳にはいかない。

 だが、今のザッシュには足止め程度の牽制で十分だった。


「よくやったな、ザッシュ……しからば、斬るっ!」


 剣を構えたルーシアが、ザッシュごとリータをかばいつつ駆け出した。

 あっという間に、長い黒髪を翻して疾風になる。

 怒りに燃えるロッキーベアの爪をかいくぐり、ルーシアは一刀のもとに斬り捨てた。あまりにも鮮やかな一撃が、バッサリと巨大な怪力熊を真っ二つにする。

 その頃にはもう、周囲の他の魔物も蹴散けちらされていた。

 道中が楽なのは、ルーシア達が強過ぎるからだ。

 そして、小物の相手をしていたロアンも魔法の杖を手に近寄ってきた。


「片付きましたよ、姫様。さ、死体が消える前に素材や肉を回収しましょう」

「は、はいっ! ……うう、やはりわたくしはお荷物になっているようですね」

「ハッハッハ! 私もロアンも姫様を守るのが務め、お気にめさるな。それに、私達の腕からすれば、姫様もザッシュも似たようなものです。必ずお守りします! ご安心を」


 ルーシアはやたらと張り切っている。

 そして、その自信に恥じぬ剣の腕でパーティを牽引していた。

 ロアンの魔法も見事である。

 結局リータは、腰に下げたレイピアをまだ一度も抜いていなかった。やはりというか、姿ばかり冒険者を気取ってみても……どうやら剣の扱いはまだまだ未熟らしい。

 そうこうしていると、今まで隠れていた影がヒョコリと現れた。


「おお、さっすがー! エルフの女騎士、つえええええ! ……っし、解体しよーよ! ほら、急いで! ロッキーベアの手がさ、珍味ちんみで高く売れんの!」

「ベルティさん……今までどこに」

「ん? ああほら、わたしって修道女シスターじゃん? いたいけな命を殺すなんてできなくて」

「ア、ハイ……ったく、いい根性してるよなあ。戦闘になるたび、いなくなるんだもの」

「まあまあ、ほら! 姫さんも言ってたじゃん? 命を大事にしろって! ささ、ナイフを。わたしはね、右手! 熊の手は右手がいいんだよ。蜂蜜はちみつを取る手だから、甘いの!」


 いたいけな命がどうこうと言う割には、乱暴にベルティはザクザク死体を解体してゆく。その手際だけは鮮やかで、あっという間に毛皮や肉が仕分けされていった。

 そして、わずかな時間が終わりを告げる。

 周囲に散らばった魔物の死体は、光と共に消え始めた。

 このバベルの迷宮では、命を落とした生物は全てが吸収されてしまう。

 どこへ行くのか、どうなるのかは誰も知らない。


「……ロアン、こいつは見事に破戒僧はかいそうだな。斬るか?」

「待ってください、ルーシアさん。姫様の再生ロードする手間が増えるだけですから」

「ふむ、それもそうか」


 リータの護衛役だけあって、ルーシアとロアンの強さは特筆すべきものがあった。二人は冒険者ではないが、フロアランク108のベルティが全く働いてなくても動じない。そればかりか、苦もなく次々と魔物をほふってゆく。

 だからザッシュは、リータの側で彼女を守ることに専念できた。


「よし、進むか! なに、心配はいらない。道なき道を斬り開いて進み、並み居る魔物を斬り伏せ歩く! 斬って斬って斬りまくるぞ、ワッハッハ!」

「ベルティさんも、あの……申し訳程度でいいので法術ほうじゅつでの支援を」

「わはは、わかったよロアン。じゃ、今度から神の御加護ごかごっぽいの飛ばすねー」


 三人は意気揚々と更に先へ進む。

 その背に続こうとしたザッシュは、ふと振り返った。

 肌もあらわなリータは、手と手でマントのすそをもてあそびながら溜息ためいきこぼす。


「リータ? どうしたの?」

「いえ、大丈夫ですわ……はぁ、わたくしってばやっぱり駄目な子なのですね」

「はは、そんなことないさ」

「せっかくアマミの武器屋さんと防具屋さんで、自分で選びましたのに」

「……何が判断基準になってるかは、ちょっと疑問だけどね」


 ルーシアもだが、エルフの女性はどうして露出過多ろしゅつかた装束しょうぞくを好むのだろう。リータも剣士としては軽装で、太腿ふとももやお腹、胸元が大きく開いている。

 そのことをやんわり聞いてみたら、リータは耳をパタパタと激しく振り出した。


「まあ! ……かわいく、ないでしょうか」

「いや、それは……かわいい、というか……はは、ちょっと、いや、凄くいいけど」

「よかったですわ、ふふ。エルフは本来、精霊の声を聴いてその助けを借り、時には契約の元に魔法として力を行使しますの。でも、わたくしはその才能がないのですわ」

「でも、その代わり凄い古代魔法ハイエンシェントが使えるじゃないか。それはとても凄いことだよ」

「ありがとう、ザッシュ。そう言っていただけると……わたくし達が肌をさらして戦うのは、精霊の息吹いぶきを感じ取るためですわ。魔法を使わずとも、周囲の万物に宿る精霊が教えてくれますの。エルフは精霊を感じることで、持ち前の機敏きびんな素早さを発揮できますわ」


 ただ、リータはその精霊を感じることもできないと言う。

 なるほどと一応納得しつつ、やはりザッシュは気になる。普段の羽衣はごろものような着衣スケスケも魅力的だが、冒険者として防具を着込んだリータもとても綺麗だ。華奢きゃしゃ細身ほそみなのに、出るとこが出まくっているのでさらにいい。

 直視できないのが難点だし、こうして肌を晒しても彼女は精霊の恩恵おんけいを受けられない。

 それでも、リータはニッコリと微笑ほほえむ。


「やっぱり、着るならかわいいものがいいですの。それに……かわいく、見られたいですわ」

「う、うん。ちゃんとかわいいよ。凄く……凄く、かわいい」

「ふふ、よかった」


 ようやくリータが歩き出す。

 その横に並ぶザッシュは、突然の告白を聞かされる羽目になった。


「ザッシュ……恐らくわたくしはもう、このバベルとアマミから出ることはないと思いますの。ここで生き、子を産み育てて、冒険者の皆様を記憶してゆく。その命を保存セーブし、再生して未来へつなげる。そのいとなみの中でしか生きられないのですわ」

「リータ……」

「でも、いいんですの。こうして王家の力にもなれてますし、ルーシアやロアン、そしてお友達の皆様がいてくれますわ。勿論、ザッシュも」


 リータは語った。

 ハイエルフのバベル攻略への協力のあかしとして、アマミの街に差し出されたのがリータだ。引き換えにハイエルフ達は、バベルで得られた遺物アーティファクトや技術、知識を得ることができる。

 冒険者も古代魔法の恩恵で、命を落としてもやり直すことが可能になった。

 だが、そうした中でリータ個人の自由はいちじるしく損なわれているように思える。

 エフルで42歳といえば、まだまだ年端もゆかぬ少女だ。

 そんなリータにはもう、自分で選ぶ未来など何一つないのである。


「わたくしはでも、何も悲観してませんわ。ただ、アマミとその周囲がわたくしの世界なら……バベルの冒険で、それを広げられるような気がしていますの」

「強いんだね、リータは」

「ふふ、それに……小さな頃から物語や絵草紙えぞうしで、バベルの冒険というのは憧れてましたわ。反面、わたくしが命を落としてはいけない身分であることも承知しています。だから」


 不意に立ち止まったリータが、ぐっと顔を近付けてきた。

 すぐ間近で見上げてくる真っ白な少女は、はかなげな笑顔で微笑む。


「ザッシュ、わたくしをこれからも守ってくださいね? 一番近くで、いつも、いつでも。いつまでも、守ってくださいな」

「わかったよ、リータ。出来る限り、全力で君を守る。ずっと守るよ」


 ザッシュの言葉にリータは、この日一番の笑顔をくれた。

 こんな休日も悪くない、そう思ってザッシュは再び歩き出す。少し先で振り向くルーシア達の前に、上への階段が見えた。107階も構造こそ複雑だったが、どうにか踏破とうはできそうである。

 だが、この時まだ誰も知らない。

 108階、まだ誰も開いたことのない扉の向こうに……何が待っているのかを。

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