第12話「いけない夜の二人」

 ザッシュは夢を見ていた。

 夢だと認識できる夢、いわゆる明晰夢めいせきむだ。

 だが、見知らぬ光景が自分の過去だとは思わない。

 まして、失われた記憶の欠片かけらまたたいてるとは考えもしなかった。


『博士、全コーディング終了、コンパイル問題なし。システム・リブート……アセンブリ開始』

『皆さん、お疲れ様です。そしていつか……この星に帰還した時、お疲れ様でしたと言わせてください。さあ、脱出しましょう!』

『脱出船団の最終便まで時間がないぞ! 連中もすでに火星圏まで迫ってる!』

『さて、行くか……あばよ、故郷。絶望から逃げる俺達を許してくれ。もう、この星には絶望しかない……だから、希望をしるしてきざんだ世界へ皆を――』


 博士と呼ばれた白衣の女性が、慌ただしくなる中で振り返る。

 それを見守るザッシュは、知覚して声を聴くしかできなかった。

 手足は勿論もちろん、肉体の全てが失われている。

 そんなザッシュにさびしく微笑ほほえみ、その女性は眼を潤ませる。


『ごめんなさい、ザッシュ……ママを許して。今の人類が失った全てを、あなたのこれからの世界に封じてたくすわ。私達がそれを取り戻せる日まで……さようなら。私のこと、許してくれなくても――それでも、あなたを愛しているわ』


 やがて急速に、周囲の世界が歪んで色彩を失う。

 辺り一面の機械に、無数の光が工作した光景。光の文字列が飛び交い、窓だけが無数に浮かんでいる。その全てが、映像と音声で世界を映し出していた。

 海、山脈、大都会……世界中のあらゆる場所の景色だ。

 そして、その全てを包むように空を乱舞する、それは――


「天使、なのか……? あれ? あ、ああ……やっぱり、夢だった」


 ふと目を覚ましたザッシュは、薄闇の中で寝返りを打つ。

 山猫亭やまねこていの一室には今、豪快ないびきと複数の寝息が満ちていた。カーテンの隙間から差す星明ほしあかりに眼を凝らせば、向かいのベッドではロアンが歯ぎしりしながらまゆひそめている。彼の方は悪夢にうなされているのだろうか。


「で、このいびきは……ルーシアさんか。豪快だなあ……まだ、もう一眠りできそうだ」


 小さく呟き、ザッシュは壁を向いて身を丸める。

 寒くはないが、先程の夢が嫌な汗を背に浮かべていた。

 その時、しきりにしたシーツの向こうで人の気配が動く。

 もそもそと立ち上がったのは、恐らくリータだ。長過ぎるパジャマのそでを揺らして、彼女はぺたぺたと部屋を出てゆく。

 きっとお手洗いだろうなと思って、ザッシュは再び睡魔すいまに身を委ねた。

 そして数分、ようやく眠りに再会しそうになった、その時。

 突然、ベッドの中に何かが潜り込んできた。


「ん、なんだ……? ちょっと――!? ほあああああっ!」


 肩越しに振り向いたザッシュは、絶叫と同時に口をつぐむ。

 生命の危険を感じたから。

 隣に何故か、リータの安らかな寝顔がある。

 彼女は肉付きの良い肢体を遠慮なく押し付け、ザッシュを抱きしめるように寝ていた。それはルーシアやロアンに知れれば、間違いなく大惨事になってしまうアクシデントだった。

 そして、吊るしたシーツの向こうでムクリと誰かが上体を起こす。

 あのはちきれんばかりの胸の膨らみは、ルーシアだ。


「デッサンとかパースとか! ごちゃごちゃうるさい! 斬るぞ! ムニャムニャ……」


 彼女は寝言を叫んで、そのままパタリとまた寝てしまった。

 ザッシュは生きた心地がしない。

 それで、ゆっくりとベッドの中でリータに向き直る。

 見下ろす胸の中で、リータは安らかに眠っていた。


「リータ、リータッ! 起きて……静かに、何も言わずに起きて。誰もに気づかないように。ね、起きてよ」

「んっ……ふぁ、うっ……あら? まあ、ザッシュ。どうしてわたくしのベッドに」

「逆だよ、逆! リータが俺のベッドに入ってきたのだ」

「そうでしたの……わかりましたわ」

「ちょっと! 待って、寝ないで。寝るなら自分のベッドで」


 寝ぼけ眼のリータは、ようやく自分の状況を理解したようだ。

 そして、何故かにっこり微笑みほおを赤らめる。


「少し、はしたないですわね……わたくし。寝ぼけていたとはいえ、殿方のベッドに。それで、ザッシュ……どうしますの? どういたしましょう。いたしますの?」

「いっ、いたしません! いたされないでください!」

「では、また次回ということで。ふふ、でも……ドキドキしますわね」

「……リータ、絶対面白がってるだろ」


 リータの両耳が、パタパタと翼のように羽ばたいていた。

 それは、彼女の気持ちが浮かれたり喜びを感じている時のサインである。

 それでもリータは、ちょっと残念そうにベッドに身を起こした。大き過ぎるパジャマが少しずり落ちて、肩があらわになりそうだ。ザッシュはあわててそっと襟元を直してやると、ホッと溜息を一つ。

 そんな時、ベッドを降りたリータが突然目を見開いた。


「これは……! いけませんの」

「ん、どしたの? リータ」

「ザッシュ、わたくし……!」

「いや、ちょっと語弊ごへいが……俺、何もしてないよ?」

「わたくしの中の大事な場所に触れてくる、この感触」

「ちょ、リータ! 聴こえてたらみんなが誤解するよ……リータ?」


 不意にリータが、ぼんやりと光りだした。

 そして、両手を広げた彼女が歌い出す。それは静かで、かすかで、細く夜の闇へ浸透する小さな歌声だった。そして、つむがれる詩は言葉が理解できない。

 知らぬ場所のわからぬ言語で、歌うようにリータが手と手で印を結んだ。

 瞬間、信じられないことが起こった。


「こ、これは……!」


 リータが放つ光が集い、大きな円環リングを描く。

 その周囲にはやはり、理解不能な言語で文字が乱舞する。

 人が身を屈めればくぐれそうな光の輪から、何かが飛び出てきた。

 それは、修道女シスターのような服装の女の子だった。

 徐々に光が消え入ると、慌ててザッシュは現れた少女を抱きとめる。リータが歌い終えると同時に、再び室内は深夜の闇に閉ざされた。


再生ロード完了ですわ。さっき、バベルの迷宮ダンジョンで亡くなった方ですの」

「す、凄いね……こうして俺も出てきたんだろうなあ。あ、君、大丈夫?」


 リータもザッシュの腕の中を心配そうに覗き込む。

 薄っすらと目を見開いた少女は、黒目がちな大きい瞳を何度も瞬かせた。

 まるで少年のような顔つきで、頭巾のような黒い布で髪を覆っている。長柄の巨大なハンマーを背負って、両手両足は防具をガッチリと着込んでいた。

 彼女は意識が鮮明になると、ザッシュが降ろしてやるや立ち上がった。


「っべー、ここって地獄? な訳ないよね」

「ここは冒険者の宿、山猫亭ですわ」

「ああ、あの山猫亭……って、どして!? わたし、死んだよね!」

「わたくしとお昼に会って、保存セーブされたのだと思いますわ。なので、死を察したので再生させていただきましたの」

「マジかー! ……そういえば、あんたはハイエルフのお姫様だな。そう、昼の!」


 少女は神官のベルティと名乗った。

 だが、彼女が真っ先にしたことは……持ち物のチェックである。とりわけ、革袋に入った金貨や銀貨を確かめて、豊かな胸を撫で下ろしていた。

 見た目は完全に聖職者なのだが、背のおぞましいまでに凶器然きょうきぜんとしたハンマーがおごそかさを打ち消している。言動もサバサバとしていて、とても神官には見えなかった。


「そっかー、わたし死んだか! わっはっは、そっかそっか……教団の教義じゃ天国に行けるって言ってたのになあ。ま、いっか! お姫さんのお陰で助かったぜ!」


 ベルティはザッシュとリータに握手を求めて、勝手に手を取り握って上下に振った。そして、ドカドカとそのまま部屋を出ていってしまったのだった。

 この出会いが、さらなるトラブルを招くとは……この時の二人には想像もできなかった。

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